日 誌 |
2014年1月① |
スケジュール |
|
食事会 |
1/1日 | 2日 | 3日 | 4日 | 5日 | 6日 | |
スタート 時間 |
15時頃~ | 休みです | 16時頃~ | 顔見世 | 定休日 | 定休日 |
あくまで予定ですので、午後に、電話をして来てください。 03-3928-1378 |
●全日本建設運輸連帯労働組合・関西地区生コン支部 ●全国金属機械労働組合・港合同 ●国鉄千葉動力車労働組合 3労組の11月集会結集への訴え(テキスト版) 11月労働者集会 タブロイド版PDF 11月集会タブロイド版 PDF (5.87メガバイト) |
動労千葉鉄建公団訴訟 解雇撤回・JR復帰署名
4万4327筆の力で不当労働行為を東京高裁に認定させました。署名へのご協力に心よりお礼申し上げます 2013年9月27日 国鉄1047名解雇をめぐる動労千葉の鉄建公団訴訟控訴審判決が9月25日、東京高裁において出されました。難波裁判長は、1審における不当労働行為認定を覆すことはできず、「動労千葉を含む国鉄分割・民営化に反対する姿勢を示していた労働組合に属する職員を、このような労働組合に所属している自体を理由として、差別して不利益に取り扱う目的、動機(不当労働行為意思)の下に、本件名簿不記載基準を策定し(た)」(判決文)として不当労働行為を明確に認定しました。 |
動労千葉 高裁判決に対する声明 |
|
1月2日(木) |
福袋の差し入れ | 今日もお節を食べます | |
お雑煮を食べます | ||
ブリの刺身です | 色んな人たちが集まってきて…学習・大討論会 | |
「現代革命への挑戦」 6章 プロレタリア革命と共産主義 |
||||
1章 資本主義に未来はない | ||||
世界大恐慌と新自由主義の全面崩壊は、ロシア革命後も延命に延命を垂ねてきた資本主義・帝国主義の歴史がついに終わりのときを迎えたことを意味している。だがそうであればあるほど、社会のわずか1%にも満たない大ブルジョアジーはいまや、99%の労働者階級人民をどこまでも犠牲にして生き残ろうと必死にあがき、ますます絶望的凶暴化を深めている。 | ||||
そのもとでいまや、大量の労働者がまったくの無権利と使い捨て、日々生きていくことさえできない極端な低賃金の非正規職にどんどん突き落とされている。非正規職化とは何か。それは単なる雇用形態の転換にとどまらない。労働者階級がじつに百数十年におよぶ血と汗の闘いでもぎとってきた、生きるために必要な権利のすべてを暴力的に奪い取って、賃金を一挙に2分の1、3分の1に切り下げる大攻撃だ。労働者を人間ではなく完全な「モノ」としてあつかい、労働にたいする労働者の誇りを奪い、その肉体と精神をボロボロになるまで酷使して使い捨てる攻撃だ。資本の「賃金奴隷」となることを徹底的に強制して、青年から未来を、人生そのものを奪い、死に追いやる攻撃なのである。 | ||||
しかもこれを最も無慈悲に、残酷に貫きとおした資本こそが、より多くの利潤を得る。資本がまさしく労働者の生き血を吸って肥え太るという、恐るべき世界が現に繰り広げられており、これからますます全社会に拡大しようとしてきている。 それだけではない。労働者階級への搾取とともに、独占資本によるあらゆる形をとった大衆収奪が極限的に強まるなかで、いまや農民・漁民、都市の中小零細自営業者などがその生活基盤を根こそぎ破壊されつつある。資本がみずからの利益のために地域全体を丸ごと「更地化」し、人びとから土地を奪い、たたき出していく攻撃が大規模化している。失業と貧困が蔓延し、職も家も家族も失って日々飢えと闘わねばならない人びとが大都市のど真ん中にあふれ出している。教育や医療や福祉など社会を成り立たせているいわゆる公的部門すべてが資本の金もうけの手段に変えられ、貧しい人びとは病気になっても医者にかかることさえできない。 |
||||
▼ 新自由主義をうち倒そう | ||||
ひとことで言えば、もはやこの社会では人が人として生きていくことができず、最低限の生命を守ることすらもできない。 にもかかわらず、「命より金もうけ」というブルジョアジーの犯罪的な論理がますます大手を振ってまかり通ろうとしている。福島第一原発の事故がもたらした深刻な放射能汚染が、核と原発の廃棄を人類の生存にかかわる問題として突きつけていながら、なおも原発再稼働に突き進む日帝の姿はその典型だ。いまや社会全体が底の底まで腐り果て、崩れ落ちていこうとしている現実が目の前にある。 この新自由主義は、職場生産点における資本の専制支配のうえに成り立つと同時に、国家によって全面的に支えられている。今日の金融資本・巨大独占資本による全世界への徹底的な搾取と収奪は、ブルジョア国家権力の強大な力、労働者人民にたいするその国家暴力の発動に支えられることで初めて成り立っている。それを可能にしているのはなによりも、労働運動の屈服と労働組合の変質、そしてブルジョア国家のもとへの翼賛と動員にある。 資本家階級はさらに、大恐慌下で縮小していく世界市場の争奪をめぐって巨大独占体間、世界の帝国主義・大国間の激しい争闘戦を繰り広げながら、地球上のあらゆる土地、人間生活のあらゆる分野を資本の金融投機の対象とすることで生き延びようとしている。帝国主義ブルジョアジーにとってはいまや戦争すらもが、市場・資源の略奪と労働者人民・他民族虐殺の侵略戦争、強盗戦争であるだけでなく、それ自身が巨額の利益をもたらす一個の「戦争ビジネス」となっている。「死の商人」とはまさにこのことだ。 核と原発は、帝国主義・新自由主義にとってなくてはならない、世界支配の武器となっている。その結果たとえ全人類が滅びようと、それは彼らの関心事ではない。マルクスは資本のこの恐るべき貪欲と自己運動を指して、「われ亡きあとに洪水は来たれ!」が全資本家階級の標語だと言ったが、今日の新自由主義はまさにそれそのものだ。そこに「理性」など、もはやひとかけらも存在しない。 もうこれ以上、一瞬たりともこの現実を許しておくことはできない。新自由主義攻撃をうち破り、ブルジョアジーとその国家権力を根底から打倒するために、ただちに総力をあげて立ち上がろう。 |
||||
▼真の人間的共同社会建設へ | ||||
|
||||
これは人類の歴史を塗り替える巨大な変革の事業である。だがけっして困難なことでも、途方もなく長い時間のかかることでもない。労働者人民が本気で決意し、団結して総決起すればすぐにでもできることである。 なぜなら、敵はわずか1%であり、労働者人民の側は99%であるからだ。1%がほしいままにふるまうことができたのは、99%の人びと、とりわけその圧倒的中心である労働者階級が、ブルジョア・イデオロギーの支配のもとで資本主義があたかも永遠に続く社会であり、労働者は闘っても勝てないように思わせられてきたからだ。 その原因は、プロレタリア世界革命を裏切りつづけてきたスターリン主義と旧ソ連・東欧の崩壊に始まるその最終的な大破産が、「革命をやっても労働者は解放されない」という無力感と絶望の思想を労働者階級の中にまきちらしてきたことにある。それとならんで、資本に買収された労働組合の幹部たちが労働組合を資本と闘う武器ではなく、資本と結託した労働者支配の機関に変質させて、労働者の怒りの決起を長期にわたって封じ込めつづけてきたことにある。 逆にこの壁をうち破って、労働者階級の腹の底からの怒りを全面的に解き放って闘うならば、労働者自身の力で全世界を変えていくことは絶対にできるのだ。 |
||||
すでに、1871年のパリ・コミューン、1917年のロシア革命は、労働者階級が実際にブルジョア独裁の国家を打倒して自分自身の政治権力をうち立てることができることを実証した。そして、そこから共産主義社会の建設に向かって進むことはまったく可能であることをさし示した。 とりわけロシア革命は、国際帝国主義の一角を現実に打倒することによってプロレタリア世界革命への突破口を開いた。 だが、世界革命の達成を放棄してロシア革命を変質させたスターリン主義は、その裏切りによって帝国主義の延命を支えただけではない。労働者階級の中にこそ社会を変える力があるという、マルクス主義の最大の核心をゆがめ、否定し解体した。そして帝国主義とともに第2次大戦後の世界を核の力で支配して、プロレタリア革命を圧殺する役割を果たしてきた。このスターリン主義の犯罪性こそ、連合に代表される労働組合の御用組合化とならんで、新自由主義のもとでの資本のやりたい放題をここまでのさばらせてきた元凶である。 いま必要なことは、労働者階級がこれら一切の壁を突破して、労働者階級自己解放の思想であるマルクス主義をみずからの手に奪い返し、階級としてひとつに団結して、反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命の実現に向けて総決起することだ。そして農民・漁民をはじめとするすべての勤労諸階級・諸階層の人民が、この労働者階級と固く団結し、資本の支配の全世界的転覆、人間社会の奪還に向かってともに立ち上がることだ。 今日始まっている数十万・数百万の怒りの決起、その背後にある全世界の労働者人民の社会変革への熱い思いを一個の組織された力に変えて、ブルジョア国家権力を実際に打倒できる力へと成長させていこう。闘う労働組合をよみがえらせることと、労働者階級の本物の党を建設することこその出発点である。全力で闘い、勝利へ向かって突き進もう。 |
2章 共産主義建設の諸条件は 成熟している | |||||
(1) 資本主義社会とその転覆 | |||||
資本主義社会の転覆と真の人間的な共同社会=共産主義社会建設の諸条件は、すでに圧倒的に成熟している。問題はただ一点、この変革の主体である労働者階級が、みすがらの歴史的使命と力とにたいする自覚と誇りにめざめ、資本の支配を転覆する闘いに真っ向から総決起していくことにある。 | |||||
▼ 労働者階級自身の事業 | |||||
この社会を根底から変える力は、労働者階級の中にこそある。労働者こそ、その労働によって生産と社会を成り立たせているこの社会の真の主人公だ。 | |||||
|
|||||
今日の社会がかかえる部落差別・障害者差別・女性差別などのさまざまな社会的差別や、民族による分断・抑圧と排外主義、地方・農村の切り捨て、被災地にたいする棄民政策なども、そのすべては<賃労働と資本>という資本主義的生産関係のうえに成り立っており、この土台を覆すことで初めて真の解決への道が開かれる。だからこそ、革共同の綱領草案はその冒頭で、次のように提起している。 | |||||
|
革共同がこの綱領草案第1項で提起している内容は、マルクスとエングルスが1848年の『共産党宣言』で提起した内容そのものである。 マルクスとエングルスは、 資本主義社会とは労働者階級の搾取のうえに成り立つ社会であること、 そして資本主義が生みだした近代の労働者階級=プロレタリアートこそ、資本と絶対非和解に対立しており、 したがって資本が支配するこの社会の根底的・全面的な転覆なしには自己を解放できない階級である ことを明らかにした。さらに、資本主義社会は、社会が搾取する階級と搾取される階級に分裂して以来の人類の歴史が最後に行きついた姿であり、その転覆は階級社会そのものの廃止につながることを明確にした。しかも、新たな社会を建設するための諸条件は、ほかならぬ資本主義の発展それ自身の内部にすでに生みだされていることを、『資本論』に代表される資本主義的生産関係の全面的な解明をとおして科学的に明らかにしたのである。 すなわち、資本主義社会を転覆すれば共産主義社会は実現できる。その力は、労働者階級自身の団結した闘いのなかにある。プロレタリアートはまさに、自分自身の解放をとおしてすべての人間を解放し、全世界を変革していく革命の主体として世界史に登場したのだ。このことを明らかにしたのがマルクス主義である。 したがって、共産主義とは、労働者階級が自己の解放をとおして全人類の解放を達成しようとする、労働者階級自身の現実の運動である。この労働者階級の現実の闘いとは別なところで、観念的な「理想社会」の姿を追い求め、そのユートピアを無理やり現実にあてはめようとするようなものではけっしてない。 プロレタリア革命とはなによりも、幾千万・幾億という膨大な人びとの自己解放的決起であり、その沸き立つ闘いのるつぼの中でこそ、崩壊しつつある古いブルジョア社会がはらんでいる新しい社会の諸要素が全面的に解き放たれていくのである。このことが、人類の歴史をまったく新しい段階に推し進めることを可能にする。そこに革命の核心がある。 そしてその基本的な柱と道筋は、マルクスの『資本論』(1867年に第1巻発行)や、パリ・コミユーンの総括のうえに出された『ゴーダ綱領批判』(1875年)、それを引き継いだレーニンの『国家と革命』(1917年)およびロシア革命の経験それ自身のなかで、すでにつかみとられているということだ。 |
▼ 人間労働の本質 |
では、資本主義社会の転覆とは、具体的には何をどうすることなのか。 このことを解明する前に、そもそも人間の労働とは何か、人間社会とは何かをはっきりさせよう。 人間は自然に働きかけ、自然を加工して生産物をつくること、すなわち労働することで日々の生活を再生産しながら生きている。この労働による物質的生活の生産そのものが人間のあらゆる生活の土台である。 だが人間の労働は、動物が餌をとる行為とは違う。動物は自己の生命を維持するのに直接必要なものを得るために、本能にもとづいて行動するだけだ。これにたいして人間は、直接の肉体的欲求にしばられることなく自由に生産し、あらかじめ思い描いた自分自身の目的を実現するために生産する。すなわち人間の労働は、人間自身の自由な意識的活動としておこなわれる。 また人間の労働は本質的に、他の人間との協働として、すなわち社会的な活動としておこなわれる。 ある個人の労働が表面的には彼ひとりの孤立した作業としておこなわれた場合でも、彼はその労働を社会の一員としておこなっているのであり、他の無数の人間が繰り広げている労働と結びつき、一体化した活動としておこなっているのだ。他の動物とは異なる人間労働のこうした特殊性こそ、人間が自分たち自身の社会(「人類」の社会=類的社会)を形づくる根源である。 さらに、人間の労働がつくりだすものは、人間自身の現在の生活(生存)を満たすのに必要なものにとどまらず、それをはるかにこえるものを生みだす。人間はこの労働をとおして、全自然を変革すると同時に自分自身をも変革し、歴史をつくり、発展させてきたのである。人間の労働とはこのように、人間にとって最も根源的な、生命そのものと言える活動にほかならない。 |
▼ 資本と賃労働の関係 |
ところが資本主義社会では、労働者がおこなう労働は、労働する人間自身の生活と人間社会全体の再生産のためではなく、資本の価値増殖をひたすら目的にしておこなわれるものとなっている。そこでは、労働の生産物は労働者=生産者のものではなくすべて資本家のものとなり、新たな資本に転化する。資本主義のもとでの生産は、資本が労働者の剰余労働を丸ごと搾取することによって肥え太る過程であり、資本にとって労働者はもはや人間ではなく、たんなる搾取材料でしかない。労働者は、その労働によって生産と社会全体を成り立たせている社会の真の主人公でありながら、実際には資本を増殖させるかぎりにおいてのみ生きることを許されるという、百八十度転倒した関係に置かれている。 この原因は、資本主義的生産関係そのものにある。 すなわち、資本主義社会では、社会の主要な生産手段が資本家階級の私有財産となり、労働者階級は一切の生産手段・生活手段から切り離されて、自己の労働力を「商品」として資本家に売る以外に生きることができない状態に落とし込められている。奴隷制社会も封建制社会も、生産手段を保有した支配階級が、労働する階級(被搾取階級)を支配して彼らの剰余労働を奪い取る関係を基礎としていた。資本制(資本主義)社会ではそれが、労働力の商品化をとおして資本家階級が労働者階級を搾取する関係として実現されている。この関係は、。資本家と労働者が労働市場で互いに「商品所有者」として「自由・対等」に相対するという、欺瞞的な形式のもとに覆い隠されている。しかしそれは、労働者にとっては自分の労働力が売れなければ飢え死にする「自由」でしかない。 |
しかも資本主義は、無限の価値増殖を求める資本の自己運動を本質としており、労働者階級への搾取はそれまでのどの社会よりも過酷なものとなっている。そこでは労働者が働けば働くほど、その結果は、労働者を抑圧し支配する資本の力のいっそうの増大となって現れる。そして人間の最も人間的な活動であるはずの労働は、資本を肥え太らせるためには労働者の命さえ奪い尽くす恐るべき強制労働となって現れる。さらに、資本主義のもとでの技術革新などによる生産力の発展は、労働者への搾取の度合いを強めるばかりか、資本が大量の労働者を「余剰人員」として解雇し、路頭に放り出す結果となって現れる。逆に、労働者人口の一部がたえず失業・半失業状態にたたき込まれていることが、資本の蓄積を推進する条件にさえなっている。 今日、全社会に広がる非正規職労働者をとりまく現実、あるいは被曝労働に体現される現実は、その極限的な姿であると同時に、じつは資本主義のもとですべての労働者が置かれている本質的な姿を最も鋭角的に突き出しているのである。 マルクスは、この資本と賃労働の関係を「賃金奴隷制」と呼び、資本主義のもとでの賃金労働の現実を「疎外された労働」と呼んで、怒りを込めて告発している。「疎外」とは、人間がみずからつくりだしたものが人間から離れ、逆に人間を支配するよそよそしい力となって現れることを意味する概念である。実際、労働者にとっては、自分の労働の生産物が資本に転化して彼に対立するだけではない。資本のもとでの労働は、「食べることと寝ること」という彼の動物的生存条件を確保するための強制された苫役でしかない。 職場で働くことは彼を機械の部品や資本の言いなりになるロボットに変えるものであり、一日の労働を終えた後の家や居酒屋でこそ彼は、自分がまだ人間でいられると感じるのだ。これは人間本来のあり方からは遠くかけ離れた、彼自身の類的本質からの疎外である。 それは同時に、人間と人間との関係における疎外、すなわち共同性の破壊として最も鋭く現れる。資本による労働者への搾取は、労働者をかぎりなく分断し、互いに対立・競争させることによって可能になるからだ。そして労働者は、その日々の労働によってこうした階級関係全体をみずからの手で再生産する。彼が必死に働けば働くほど、彼をしばりつけている「賃金奴隷」のくびきはますます強まる。資本主義的生産関係とは、労働者階級にとっては資本への永遠の隷属を意味している。 |
▼ 賃金制度の廃止 |
労働者階級の解放とは、この資本主義的生産関係(社会関係)の転覆である。すなわち、労働者の剰余労働を資本が搾取する関係の廃止、その基礎となっている労働力の商品化の廃止、言い換えるなら賃金制度の廃止にある。そして賃金労働者にたいする搾取の廃止は、ある階級が他の階級を搾取して成り立つ社会=階級社会そのものの最終的な廃止への道を開く。そのことによって、階級社会のもとで生みだされたあらゆる差別や抑圧、分断と対立をも根絶・一掃し、全人間の解放を実現していく道が開かれる。これが、マルクスとエングルスが提起した本来の共産主義だ。 |
これにたいして、古くはマルクス以前の空想的社会主義者に始まって、現代の社会民主主義者やスターリン主義者にいたる多くの潮流がもっぱら問題にしてきたのは、生産のあり方ではなく分配のあり方を変えることだった。労働の生産物が社会全体に「平等・公正に」分配される仕組みをつくりだすことが、「社会主義」「共産主義」であるかのように考えられてきたのである。しかも今日では、この「公正な分配」は、現在の資本主義制度をうち壊さなくてもその改善によって可能になるかのような主張が、日本共産党などによって平然と語られてさえいる。 だが、こうした考えは根本的に間違っている。分配関係は生産関係の一側面であり、生産関係から切り離された分配形態のみの改善など、本質的にも現実的にも成り立たない。逆に、生産関係の根底的転覆にともなって、旧来の分配形態もまたおのずから消滅し、新たな形態に置き換わっていくということなのである。 |
▼ 階級的団結の意義 |
そして最も重要なことは、資本主義的生産関係を転覆する力はじつは、ほかならぬ労働者階級自身の闘いのなかから成長し、発展してくるということである。資本の搾取と日々闘って生きぬくために不可欠なものとして、労働者階級がみずから求め、生みだす団結の形成それ自身が、階級社会のもとで奪われてきた人間的共同性を全社会的に奪い返していく決定的な出発点となるのである。 その根拠は、労働力が商品化されても、労働者自身は生きた人間であり、資本は労働者を完全には支配できないという点にある。ここに資本主義の最大の矛盾がある。 |
労働者のおこなう労働が人間の労働であるかぎり、その労働が実際には、どんなに疎外された労働であっても、労働者自身の主体的な意志にもとづく行為として実現される。資本が労働者を徹底的に「モノ」あつかいし、機械の部品へと落とし込めても、労働者はやはり人間であって、意志も感情ももたないたんなる機械=ロボットにはなりえない。 資本がどんなに転倒した社会を極限まで推し進めても、人間が人間であることを百パーセント否定しつくすことはできないのだ。だからこそ、どれほど虐げられ踏みにじられていても、否、そうであればあるほど労働者階級の中から、「俺たちは奴隷じゃない!」という根源的な叫びと反乱が必ず起こってくる。 3・11の被災地で起きたことも重要である。被災地ではじつは、人間は他の人間と互いに助け合ってこそ生きられるということが、極限状況のなかで膨大な労働者階級人民の間におのずとよみがえった。 資本主義・新自由主義が労働者を徹底的に分断し、人と人との社会的絆を破壊しつくしていても、労働者階級が生きるために団結して立ち上がるならその瞬間に、奪われていた人間的共同性がこの団結の内部に不死鳥のようによみがえってくる。この団結が、資本の支配を掘り崩し、新たな社会をつくりだす基礎を形成するのだ。労働者階級とはそういう階級なのである。 だからこそマルクスとエングルスは『共産党宣言』で、労働者階級は資本主義の「墓掘り人」であると言い切ったのである。そしてまた「今日、ブルジョアジーに対立しているすべての階級のなかで、プロレタリアートだけが真に革命的な階級である」とも言い切った。この言葉の意味をいま一度、深くとらえ返したい。 すなわち、労働者階級がプロレタリア革命の主体となるのは、たんに資本によってひどいあつかいを受けているとか、社会の最下層だとかという点にあるのではない。労働者階級こそが生産の主体であり、この社会を現実に土台から支え、成り立たせている社会の真の主人公だからである。にもかかわらず彼らは、マルクスの言葉で言えば、この社会において「人間の喪失」を強いられ、資本の支配するこの社会と全面的に、絶対非和解に対立している。したがって労働者階級は、自分自身と全社会とをまさに人間として「完全に再獲得する」ことなしには、みずからの解放をかちとることができない。資本主義社会自身が、階級社会の歴史が行きついた最後の姿として、大工業とともにそうした決定的な階級を、近代の労働者階級=プロレタリアートとして生みだしたのだ。 したがって労働者階級の闘いは、資本の支配にたいする他の階級の反乱とも違い、たんなる反乱にとどまることなく、その闘争の内側に新たな社会の萌芽を積極的に生みだすものとなっていく。 |
農民など他の諸階級も、帝国主義権力の抑圧と支配に抗して徹底的に闘うし、農民戦争の歴史に見るように、むしろある面では労働者階級よりもっと戦闘的で激烈な闘いをやりぬく。しかしその闘いは、資本主義的生産関係の根底的転覆へ向けた労働者階級の決起と結びつかないならば、結局は、現在の支配階級にたいする「反乱」の次元をこえて進むことはできず、真に勝利することはできない。労働者階級と結合してともに闘うことによってこそ、農民自身の根底的な解放への扉も開かれる。 労働者階級の側から言えば、農民をはじめとした他の勤労諸階級・諸階層の人民のすべてを自己のもとに獲得し、みずからの「同盟軍」として組織して、ともに巨大な社会変革をやりぬくということである。労働者階級とは、それができる階級なのである。「プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは何もない。プロレタリアが獲得すべきは全世界である」という『共産党宣言』の末尾の言葉は、労働者階級のこの階級的本質をみごとに言い表している。 今日、正規・非正規の分断とブルジョア・イデオロギーの支配のもとで、たとえば大企業の正規職労働者が資本と御用組合の側に深ぶかとからめとられている現実がある。だがそうであっても、労働者が労働者であるかぎり、「階級」としてのこの本質は変わらない。彼らにたいする労働貴族の支配がうち破られ、彼らが眠りからめざめ、階級としてひとつに団結することを学んで闘いに立ち上がるならば、文字どおり全世界を変える力を発揮するのだ。そして今日の大恐慌と3・11情勢は、まさにすべての労働者が続々と決起する時代がついに来たことを示している。 |
(2) 資本主義から共産主義への革命的転化はどのように闘いとられるか |
資本主義社会の転覆は、労働者階級がその団結の力でブルジョアジーの政治権力を完全に打倒し、これまでの国家機構を徹底的に粉砕・解体したうえに、自分たち自身のまったく新しい国家をうち立てることから始まる。勝利した労働者階級はそのもとで、社会的生産の全体を掌握し、資本主義的生産関係の全面的な解体と組み替えにのりだす。すなわち、「生まれでたばかりの共産主義社会」の建設にただちに着手する。これがプロレタリア革命だ。 |
▼資本の廃止こそが核心 その核心は、資本の廃止にある。 |
資本とは何か。 資本とは、多くの労働者の労働によってつくりだされる一つの社会的な力が資本家階級のものとなり、他人の労働を搾取する力に転化したものである。資本主義社会では生産手段が直接生産者である労働者から切り離されて資本家階級の私有財産になっているために、労働者がっくりだすこの社会的な力が社会全体のものとならずに資本家階級の独占物となり、「資本の力」に転化して労働者人民を支配している。資本主義の転覆とは一言で言えば、このブルジョア的私有財産、すなわち生産手段の私的所有を廃止することだ。 『共産党宣言』ではこのことを、次のように書いている。 |
||||||
|
||||||
ここで言う「ブルジョア的所有」とは、資本家階級による生産手段の私有を意味する。プロレタリアートは、各人が生きるために自分自身の労働によって獲得したささやかな個人的所有物を廃止する必要はまったくない。そこからは、他人の労働を支配する力が生じる余地はないからだ。必要なのはブルジョア的私有財産の廃止、つまり生産手段を資本家階級の手から奪い取ることであり、そのことによって、生産手段がもはや資本に転化して他人の労働を搾取する力をもつことはできない状態をつくりだすことである。 そして、資本が廃止されれば、当然のこととして賃金労働も廃止される。資本の廃止と賃労働の廃止は、実際には同じことである。労働者はもはや、日々の生活の糧を得るために自分の労働力を資本家に切り売りする必要は一切なくなる。代わって、社会の全成員がひとしく労働者=生産者となって、社会的に必要な労働を互いに分かち合って働き、生産物を共同で管理し消費する体制が始まるのだ。 そこでは、失業や過労死という資本主義に特有の労働者階級の困苦も当然ながら消えてなくなり、他人の労働を搾取して生きる者自体が存在しなくなる。そして、搾取する階級がいなくなれば、もっぱら労働に従事する階級すなわち「労働者階級」という「階級」もなくなる。社会が他人の労働を搾取する者と搾取される者に分裂してきた階級社会の歴史に、完全に終止符を打つ道がここについに開かれる。 |
||||||
▼ 生産力と労働の解放 | ||||||
そしてこの資本の廃止は、資本主義のもとですでに歴史的に成熟していた共産主義社会建設の諸条件を、一気に、全面的に解き放つものとなる。 | ||||||
|
||||||
生産力とは、労働者の労働が生みだしたものであり、社会的に結合した人間の力そのものである。 資本主義は、大規模に集積された生産手段のもとでのきわめて多数の労働者の「結合された労働」を組織し発展させることにより、それまでの社会とは比較にならない巨大な規模での生産力の急速な発展をつくりだした。しかしこの生産力の発展は、資本主義のもとでは、資本の巨大な価値増殖の対極で、労働者階級をいっそうの窮乏と労働苦にたたき込むものでしかない。しかもみずからの価値増殖を唯一の目的として展開される資本の無限の自己運動は、本質的に「理性」などまったくもたない。その結果は、生産力の発展が逆に、自然と人間とにたいする恐るべき破壊力となって現れるところまで行きつくのだ。 資本の廃止は、人間の社会的労働が生みだした生産力を人間社会の手に取り戻すことによって、こうした矛盾の一切に終止符を打つ。資本の廃止が全世界的規模で達成されるなら、飢餓も貧困もない世界をつくりだすことは完全にできる。 現在の社会のように、「生存競争」のために人間同士が争う必要などまったくない。 |
||||||
さらに、大工業のもとに組織された何千人もの労働者の結合労働は、その個々の労働力の算術的総和ではなく、それをはるかにこえるものを生みだす。1千人の結合労働は、1千人分の労働生産物の合計ではなく、2千人分、3千人分、それ以上の労働生産物を生みだすのだ。 マルクスはこのことを『資本論』の中で、「他人との計画的な協働のなかでは、労働者は彼の個体的な限界を抜け出て彼の種族能力を発揮する」と書いている。これは人間労働の本質からくることである。 すなわち、人問とはもともと、共同体社会の一員として他の人間とともに労働することで、自分自身の個人的限界をもこえていく力を獲得することのできる存在なのである。 だがこの人間労働のもつ本質的な力が真に解き放たれるためには、資本の廃止が必要である。なぜなら、資本主義のもとでは、労働者の結合労働は資本による強制によって初めて実現され、組織化されているからだ。そこでは、労働者は共同作業をしていながら実際には一人ひとりバラバラにされ、隣の労働者と互いに会話をすることも許されない。彼らは同じ資本と関係を結ぶが、労働者同士の間で関係を結ぶのではない。労働の社会的結合は、そこにおいては労働者自身の意識的結合としてではなく、まったく逆に、全労働者が資本家とその下士官=労働監督、職制の絶対的な指揮・命令と監視のもとに一糸乱れず働くという形で組織される。そしてこの結合労働が生みだす社会的生産力は、「資本の生産力」としてのみ現れ、生産力が高まれば高まるほど現実の労働者は逆に、自分自身の内在的な生命力を資本にひたすら吸いとられていく結果となっている。 プロレタリア革命による資本の廃止は、この生産力を真に社会的生産力として解き放つと同時に、労働者の労働を資本による強制から最終的に解放する。強制された結合に代わって、膨大な労働者の自主的で意識的な結合が生まれるのだ。この転換によって、「結合した労働」はその本来の人間的力を全面的に発揮するとともに、労働者=生産者の共同体的な団結の土台そのものに転化する。この団結のもとでおこなわれる労働は、もはや資本にその生命を吸い取られる労働ではなくなり、逆に労働者一人ひとりの力を全面開花・発展させ、個人の全面的な発達と同時に社会全体のいっそう高度で豊かな発展 をもたらすことを可能にする。 そして、そこにおいてこそ、人間社会が直面するあらゆる問題を人間自身の団結の力で突破し、解決していくことが可能になる。原発事故がもたらした深刻な放射能汚染と対決し、克服し、核と原発を本当にこの地上からなくしていくという大変な闘いも、このなかでこそ真に勝利していくことができる。未来は、圧倒的に聞かれているのである。 |
||||||
▼ 『ゴーダ綱領批判』での提起 | ||||||
資本の廃止への第一歩は、プロレタリア独裁権力による革命的な権力行使のもとで、資本家階級の手から彼らが私物化してきた社会的生産手段のすべてを実力で没収することだ。そしてこの瞬間からただちに労働者階級は、没収した生産手段の労働者国家による国有化を媒介として、それを社会全体の共有財産に変える闘いに入っていく。すなわち、「生まれ出たばかりの共産主義社会」の建設に向かってまっしぐらに突き進んでいくのである。 マルクスは『資本論』第1巻の刊行(1867年)と1871年のパリ・コミユーンの経験を土台として書かれた『ゴーダ綱領批判』において、この「生まれ出たばかりの共産主義社会」について、次のように提起している。 |
||||||
|
||||||
ここでは、社会的総生産物のうちから、生産それ自身の継続と発展のために不可欠なものを控除し、かつ「共同の元本」(社会全体の共同の必要に当てられる部分)をまず差し引いたうえで、残りが個人的消費手段の分配に回される。その基準が「労働に応じての分配」として提起されている。 資本主義社会では労働者は、自分の労働力を商品として売って得た賃金で、自分自身と家族の命をつなぐための生活物資(消費手段)を商品の形で買い戻す。資本主義を転覆した後の社会においては、労働者は彼が社会に与えた個人的労働量に応じた消費手段を、社会的総労働のうちの自己の持ち分に応じて共同の倉庫から引き出す。そこでは、「労働に応じた分配」すなわち「ある形の労働がそれと同じ量の別の形の労働と交換される」というかぎりで、形式上は一見、現在の商品経済における「等量交換」の原則と同じものが働いているようにみえるが、じつはまったく違う。 なぜならそこでは、資本のもとでの生産に代わって、社会の全構成員による生産手段の共有を基礎とした共同の生産がおこなわれており、資本の廃止にともなって商品経済とそれを貫く価値法則自体がすでに廃止されているからだ。 資本主義とは、商品経済が生産過程を含めた全社会を支配して成り立つ社会だが、その資本主義から「生まれ出たばかりの共産主義社会」においては、「生まれ出たばかり」であるとはいえ、生産物が商品として生産される関係自体がもう存在していない。生産者がその私的生産物を互いに交換することもない。したがって、ある生産物の生産のために支出された労働がその生産物の価値として現れることもなく、生産物を価値どおりに交換するといった関係自身がすでに消滅している。社会的総労働の配分=社会的生産全体の組織化は、資本主義社会におけるような、商品経済すなわち諸商品の私的交換の果てしない連鎖の内部に貫かれてくる価値法則をとおして、間接的におこなわれるのではない。結合した労働者=生産者の集団的意志のもとに、諸個人の労働が直接に社会的総労働の一部分を構成するという、きわめて単純かつ透明な形でおこなわれている。 さらにそこにおいては、社会の全構成員が労働者となっている以上、搾取階級はすでに消滅しており、階級対立も存在しない。プロレタリア国家がその権力を発動して上から社会を統制する必要はもはやなく、階級支配の機関という本来の意味での国家は、すでに消えてなくなっている。 |
||||||
▼ 「自由の国」 への飛躍 | ||||||
マルクスはそのうえで、これはまだ資本主義社会から生まれ出たばかりの共産主義社会であり、自分がそこから出てきた母胎である旧社会のなごりをまだとどめていると言っている。「労働に応じての分配」は、労働の種類や質とは関係のない、労働力の支出としての労働の量だけを問題にしており、そのかぎりでは平等である。しかし、個人が社会に与える労働量の大きさは各人によって違いがある。そもそも人は一人ひとり同じではないからこそ、その多様な諸個人による共同体として豊かな人間社会がつくられていくのであって、その不均等な諸個人にある均一の尺度を当てはめて、その側面からだけ人間を測ること自体が考えてみればおかしいのだ。 その意味で「権利」という概念自体が、不平等を前提に、ひとつの尺度で人間を測るブルジョア的なものであって、旧社会の残存物だとマルクスは言う。 そして次のように続けている。 |
||||||
|
||||||
この「共産主義のより高度な段階」においてこそ、個人的消費手段の分配を測る基準そのものをもはや必要としなくなる社会的関係が形成される。古い社会のなごりが完全に消え去ったうえに、『共産党宣言』で言っているような、「一人ひとりの自由な発展が、すべての人びとの自由な発展の条件となるような協力体が登場する」のである。 その前提として『ゴーダ綱領批判』では、「協同的富のあらゆる泉が豊かに湧き出るようになったのち」と書かれているが、これはたんに狭い意昧での生産力の発展だけを指すのではない。分業が根底的に止揚され、精神労働と肉体労働の対立が最終的に消え去り、労働それ自身が各人の「第一の生命欲求」=かけがえのない喜びとなり、そのうえに「諸個人の全面的な発展」が実現されること―このことが重要なのだ。 このことを土台として、それにともなう生産力のそれまでとは質的にもまったく異なる大発展のうえに、物質的にも精神的・文化的にも無限に豊かな世界が生みだされてくるということである。マルクスとエングルスはこのことを、「必然性の国」から「自由の国」への飛躍と表現している。 そしてマルクスは、この飛躍を可能にする根本条件は「労働日の短縮だ」と言っている。共産主義のもとでは資本の廃止にともない「剰余労働」と「必要労働」の区別も消滅し、すべてが社会全体のために必要な労働となっている。そこで重要なのは、「社会的労働日のうちの物質的生産に必要な部分はますます短くなり、個人の自由な精神的・社会的活動のために獲得された時間部分はますます大きくなる」(『資本論』)という点にある。労働時間が大幅に短縮されれば、残されたすべての時間は諸個人の自由な精神的・社会的活動のために使うことができる。まさに「諸個人の全面的な発展」が実現されていくのである。 ここで重要なこととして、2つのことを確認したい。 |
||||||
|
全学連福島ブログ |
|
2014年がスタート 新年を迎えたからと言って、何かが急に変わる訳じゃない。 刻一刻と迫る被曝による影響や、大企業の利益を守る為の「人間の切り捨て」に対し、722分の1の国会議員として、間抜けな程ノンビリと進む国会内で焦りながらも、皆さんとの横のつながりをより強く持ち、圧倒的多数派にプレッシャーを掛けて行くだけだ。 でも急がなきゃいけない状況の中で、すぐに物事は動かない、という永田町の当たり前を、身を持って経験できたことは貴重だった。 ハッキリした事は、国会内では金にならないことはほとんどど見向きもされないという事。 命に関わることでも「直ちに影響ない」という事なら、平気で無かった事にされてしまう。 卑しさの塊のような集まりが、国権の最高機関なんて笑えない。 その中で空回りしすぎた自分がいたことも事実。 2014年は一歩いっぽ、踏みしめながら、大切に生きるぞ。 2013年に受け取った1番大きなMessageは、皆の力が集まれば、どんな事でも出来るって事。 だって山本太郎が国会議員になったんだもの。 皆が本気になれば、選挙でもひっくり返す事が出来る、と証明できた。 この一年で10年過ぎた位の経験を積ませて貰った。 濃い濃い一年だった。 ネガティブキャンペーンを張られても、不思議と大きく落ち込む事はなかった。 無所属でたった1議席しかない僕を潰そうと躍起になる勢力があるなんて、素敵じゃないか。そんなに恐がらなくてもいいのにね。 恐れられているのは山本太郎でなく、山本太郎を国会議員にまで押し上げた市民の力なんだけどね。 芸能人をやっていた時に、言われの無い誹謗中傷の嵐を受けたならば、立ち上がるのに随分時間が必要だっただろう。 でも、今は違う。 足を引っ張られれば引っ張られる程に燃えてくる。 どうして? 自分にはやるべき事があるから。 皆と約束した事があるから。 それを達成するまでは、潰れられないんだよ。 参議院選のときのような集中した力が出せれば、どんな事でも変えられる。 今はその絶対数が少ないだけ。 現状を認識出来ていない人たちに知って貰おう。 一歩踏み出せていない人の背中を押そう。 数を増やして皆でプレッシャーをかけよう。 大企業や経済団体の御用聞きに成り下がった政治家や、反対勢力という名の既得権益に生きる議員を本気にさせるのは、皆さんの声だ、力だ。 秋の国会が「秘密保護法国会」になり大紛糾したのは、皆さんが動いたから。 大きな声が上がらなかったら、メディアもスルーしていただろう。 結局、法案は強行採決されたけど、監視し、声をあげ圧力をかけ続けよう。 先々、議席が入れ替われば廃止できる。 でなきゃ、国や、企業の奴隷にされるような未来はすぐにやって来る。 多国籍企業の究極の金儲けは戦争。 戦争にならなくても、緊張状態を作り出せば、商売になるもの。 だからこそ耳触りのいい言葉を駆使しながら、戦争出来る国に変えられるよう、着々と準備は整えられている。 このままでは、あなたが、あなたの大切な人が戦場に引きずり出されるのも、それほど先の話ではないだろう。 この国を大企業に売り渡す規制緩和を次々に進め、既得権益を守るために原発事故の影響も隠蔽する者たちがこの国をコントロールしている。 でも、強行採決やるような勢力が余裕だなんて思わない。 ビビりながらやってるよ。 この国に生きる者たちの幸せや権利を叩き売っている事実は消せないから。 人は騙せても、自分自身は騙せない。 愛国者の振りをしながら売国に精を出す、悪魔に魂売った様な政治家でさえも、国中から批判の声が上がればスタンスを変えるしかない。 変えなきゃ、政治家続けられないのだから。 一番の権力者は、企業でも政治家でもなく、あなただ。 それを確かにする為にもあなたから、沢山の人たちを賛同者に変えるアクションが必要。 あなたには力がある。 この世界を変えるのはあなた。 2014年は、大切な一年になる。 泥舟と化したこの国が沈む前に、何とか岸に着ける為に、あなたの力が必要です。 今年こそ、よろしくお願いいたします。 山本太郎 |
1月1日(水) |
みなさん、
あけまして おめでとうございます。
裁判所がリン・スチュアートの釈放を決定しました。
みんなでの取り組みが、効いたのだと思います。 星野暁子
|
素晴らしい勝利です。全世界の正義を求める労働者市民の声がリン・スチュアートの抹殺を許さなかったのです。 この勝利は2014年の星野の闘いに限りない勇気を与えます。 12・1全国集会の方針で全力で闘いましょう! |
早朝、郵政ビラ、貫徹! | ||
夕方から新年会。リッちゃん作・お節 | ||
飯田さんから厚焼き玉子の差し入れ | ||
田舎のお餅でお雑煮 | ||
飯田さんから差し入れ | ||
「「現代革命への挑戦」」の 大討論会! |
夕方から、酒を飲む前に、勉強してみた… | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
動労千葉を支援する会のホームページから転載 |
|
|