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12月28日(土)
1月6日(月)
「街」の年末・年始休み
食事会
1/1日 2日 3日 4日 5日 6日
スタート
時間
 15時頃~ 休みです 16時頃~ 顔見世 定休日 定休日
くまで予定ですので、午後に、電話をして来てください。
03-3928-1378

全日本建設運輸連帯労働組合・関西地区生コン支部 全国金属機械労働組合・港合同 国鉄千葉動力車労働組合

3労組の11月集会結集への訴え(テキスト版)  11月労働者集会 タブロイド版PDF
11月集会タブロイド版 PDF (5.87メガバイト)

最高裁署名の呼びかけ  PDF
最高裁判所宛署名用紙

動労千葉鉄建公団訴訟   解雇撤回・JR復帰署名

4万4327筆の力で不当労働行為を東京高裁に認定させました。署名へのご協力に心よりお礼申し上げます

2013年9月27日
国鉄闘争全国運動

 国鉄1047名解雇をめぐる動労千葉の鉄建公団訴訟控訴審判決が9月25日、東京高裁において出されました。難波裁判長は、1審における不当労働行為認定を覆すことはできず、「動労千葉を含む国鉄分割・民営化に反対する姿勢を示していた労働組合に属する職員を、このような労働組合に所属している自体を理由として、差別して不利益に取り扱う目的、動機(不当労働行為意思)の下に、本件名簿不記載基準を策定し(た)」(判決文)として不当労働行為を明確に認定しました。
 地裁判決に続き高裁においても不当労働行為を認めさせたのは4万4327筆の署名の力です。5万に迫る「解雇撤回・JR復帰を求める要望書」を裁判所に4度にわたって提出し、「国鉄改革の真実」を暴き出し、広く社会に訴えたことが不当労働行為を認定させた大きな力です。1047名解雇をめぐる裁判において本当に大きな前進をかちとることができました。署名をお寄せいただいた全国の仲間に心から感謝を申し上げます。
不当労働行為を明確に認定させた以上、次は〝解雇撤回〟の判決をかちとるべく全力を尽くします。最高裁宛ての「解雇撤回・JR復帰」10万人署名を直ちに開始します。高裁宛署名への大きなご支援に感謝するとともに、あらためて新たな署名運動へのご協力をお願いいたします。
以上

動労千葉 高裁判決に対する声明
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1月2日(木)
福袋の差し入れ 今日もお節を食べます
お雑煮を食べます
ブリの刺身です 色んな人たちが集まってきて…学習・大討論会

 「現代革命への挑戦」
6章
 プロレタリア革命と共産主義
 1章 資本主義に未来はない
 世界大恐慌と新自由主義の全面崩壊は、ロシア革命後も延命に延命を垂ねてきた資本主義・帝国主義の歴史がついに終わりのときを迎えたことを意味している。だがそうであればあるほど、社会のわずか1%にも満たない大ブルジョアジーはいまや、99%の労働者階級人民をどこまでも犠牲にして生き残ろうと必死にあがき、ますます絶望的凶暴化を深めている。
 そのもとでいまや、大量の労働者がまったくの無権利と使い捨て、日々生きていくことさえできない極端な低賃金の非正規職にどんどん突き落とされている。非正規職化とは何か。それは単なる雇用形態の転換にとどまらない。労働者階級がじつに百数十年におよぶ血と汗の闘いでもぎとってきた、生きるために必要な権利のすべてを暴力的に奪い取って、賃金を一挙に2分の1、3分の1に切り下げる大攻撃だ。労働者を人間ではなく完全な「モノ」としてあつかい、労働にたいする労働者の誇りを奪い、その肉体と精神をボロボロになるまで酷使して使い捨てる攻撃だ。資本の「賃金奴隷」となることを徹底的に強制して、青年から未来を、人生そのものを奪い、死に追いやる攻撃なのである。
 しかもこれを最も無慈悲に、残酷に貫きとおした資本こそが、より多くの利潤を得る。資本がまさしく労働者の生き血を吸って肥え太るという、恐るべき世界が現に繰り広げられており、これからますます全社会に拡大しようとしてきている。

 それだけではない。労働者階級への搾取とともに、独占資本によるあらゆる形をとった大衆収奪が極限的に強まるなかで、いまや農民・漁民、都市の中小零細自営業者などがその生活基盤を根こそぎ破壊されつつある。資本がみずからの利益のために地域全体を丸ごと「更地化」し、人びとから土地を奪い、たたき出していく攻撃が大規模化している。失業と貧困が蔓延し、職も家も家族も失って日々飢えと闘わねばならない人びとが大都市のど真ん中にあふれ出している。教育や医療や福祉など社会を成り立たせているいわゆる公的部門すべてが資本の金もうけの手段に変えられ、貧しい人びとは病気になっても医者にかかることさえできない。
 ▼ 新自由主義をうち倒そう
 ひとことで言えば、もはやこの社会では人が人として生きていくことができず、最低限の生命を守ることすらもできない
にもかかわらず、「命より金もうけ」というブルジョアジーの犯罪的な論理がますます大手を振ってまかり通ろうとしている。福島第一原発の事故がもたらした深刻な放射能汚染が、核と原発の廃棄を人類の生存にかかわる問題として突きつけていながら、なおも原発再稼働に突き進む日帝の姿はその典型だ。いまや社会全体が底の底まで腐り果て、崩れ落ちていこうとしている現実が目の前にある。

 この新自由主義は、職場生産点における資本の専制支配のうえに成り立つと同時に、国家によって全面的に支えられている。今日の金融資本・巨大独占資本による全世界への徹底的な搾取と収奪は、ブルジョア国家権力の強大な力、労働者人民にたいするその国家暴力の発動に支えられることで初めて成り立っている。それを可能にしているのはなによりも、
労働運動の屈服と労働組合の変質、そしてブルジョア国家のもとへの翼賛と動員にある。

 資本家階級はさらに、大恐慌下で縮小していく世界市場の争奪をめぐって巨大独占体間、世界の帝国主義・大国間の激しい争闘戦を繰り広げながら、地球上のあらゆる土地、人間生活のあらゆる分野を資本の金融投機の対象とすることで生き延びようとしている。帝国主義ブルジョアジーにとってはいまや戦争すらもが、市場・資源の略奪と労働者人民・他民族虐殺の侵略戦争、強盗戦争であるだけでなく、それ自身が巨額の利益をもたらす一個の「戦争ビジネス」となっている。「死の商人」とはまさにこのことだ。

 核と原発は、帝国主義・新自由主義にとってなくてはならない、世界支配の武器となっている。その結果たとえ全人類が滅びようと、それは彼らの関心事ではない。マルクスは資本のこの恐るべき貪欲と自己運動を指して、「われ亡きあとに洪水は来たれ!」が全資本家階級の標語だと言ったが、今日の新自由主義はまさにそれそのものだ。そこに「理性」など、もはやひとかけらも存在しない。

 もう
これ以上、一瞬たりともこの現実を許しておくことはできない。新自由主義攻撃をうち破り、ブルジョアジーとその国家権力を根底から打倒するために、ただちに総力をあげて立ち上がろう。
 ▼真の人間的共同社会建設へ
  私たちがめざす革命とは
ブルジョアジーの支配を労働者階級人民の団結した力によって打倒し、資本による搾取を完全に終わらせることだ。
現在の社会を根底的・全面的に覆して、人間が人間として生きられる社会、真に人間的な共同社会(=本物の共産主義社会)を全吐界的にうち立てることだ。
このなかでこそ、戦争や殺戮の歴史を最終的に終わらせる道も、帝国主義とスターリン主義が生みだした最凶悪の産物である核と原発を完全に廃棄し、「フクシマ」の現実を真に突破していく道も開かれる。
 これは人類の歴史を塗り替える巨大な変革の事業である。だがけっして困難なことでも、途方もなく長い時間のかかることでもない。労働者人民が本気で決意し、団結して総決起すればすぐにでもできることである。

 なぜなら、敵はわずか1%であり、労働者人民の側は99%であるからだ。1%がほしいままにふるまうことができたのは、99%の人びと、とりわけその圧倒的中心である労働者階級が、ブルジョア・イデオロギーの支配のもとで資本主義があたかも永遠に続く社会であり、労働者は闘っても勝てないように思わせられてきたからだ。

 その原因は、プロレタリア世界革命を裏切りつづけてきたスターリン主義と旧ソ連・東欧の崩壊に始まるその最終的な大破産が、
「革命をやっても労働者は解放されない」という無力感と絶望の思想を労働者階級の中にまきちらしてきたことにある。それとならんで、資本に買収された労働組合の幹部たちが労働組合を資本と闘う武器ではなく、資本と結託した労働者支配の機関に変質させて、労働者の怒りの決起を長期にわたって封じ込めつづけてきたことにある。

 逆にこの壁をうち破って、労働者階級の腹の底からの怒りを全面的に解き放って闘うならば、
労働者自身の力で全世界を変えていくことは絶対にできるのだ。
 すでに、1871年のパリ・コミューン1917年のロシア革命は、労働者階級が実際にブルジョア独裁の国家を打倒して自分自身の政治権力をうち立てることができることを実証した。そして、そこから共産主義社会の建設に向かって進むことはまったく可能であることをさし示した。

 とりわけ
ロシア革命は、国際帝国主義の一角を現実に打倒することによってプロレタリア世界革命への突破口を開いた。

 だが、世界革命の達成を放棄してロシア革命を変質させたスターリン主義は、その裏切りによって帝国主義の延命を支えただけではない。
労働者階級の中にこそ社会を変える力があるという、マルクス主義の最大の核心をゆがめ、否定し解体した。そして帝国主義とともに第2次大戦後の世界を核の力で支配して、プロレタリア革命を圧殺する役割を果たしてきた。このスターリン主義の犯罪性こそ、連合に代表される労働組合の御用組合化とならんで、新自由主義のもとでの資本のやりたい放題をここまでのさばらせてきた元凶である。

 いま必要なことは、労働者階級がこれら一切の壁を突破して、
労働者階級自己解放の思想であるマルクス主義をみずからの手に奪い返し、階級としてひとつに団結して、反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命の実現に向けて総決起することだ。そして農民・漁民をはじめとするすべての勤労諸階級・諸階層の人民が、この労働者階級と固く団結し、資本の支配の全世界的転覆、人間社会の奪還に向かってともに立ち上がることだ。

 今日始まっている数十万・数百万の怒りの決起、その背後にある全世界の労働者人民の
社会変革への熱い思いを一個の組織された力に変えて、ブルジョア国家権力を実際に打倒できる力へと成長させていこう。闘う労働組合をよみがえらせることと、労働者階級の本物の党を建設することこその出発点である。全力で闘い、勝利へ向かって突き進もう。

 2章 共産主義建設の諸条件は 成熟している
 (1) 資本主義社会とその転覆
 資本主義社会の転覆と真の人間的な共同社会=共産主義社会建設の諸条件は、すでに圧倒的に成熟している。問題はただ一点、この変革の主体である労働者階級が、みすがらの歴史的使命と力とにたいする自覚と誇りにめざめ、資本の支配を転覆する闘いに真っ向から総決起していくことにある。
 ▼ 労働者階級自身の事業
 この社会を根底から変える力は、労働者階級の中にこそある。労働者こそ、その労働によって生産と社会を成り立たせているこの社会の真の主人公だ。 
 資本は  労働者なしでは実際には何も生産できないが、
 労働者は 資本家なしでもその団結の力によって立派に社会を運営できる。
 そして労働者階級は、その団結をとおして奪われてきた人間的共同性を奪い返し、新社会を建設していく能力を闘いのなかでみずから獲得していくことのできる階級なのである。
 資本主義社会とは何か。
 資本主義社会の根底には、人間の労働力が商品となり、労働が労働する人間自身の生きる喜びとしてではなく、資本の価値増殖の手段に変質させられている現実がある。「命より金もうけ」に象徴されるこの社会の転倒した非人間的あり方の一切は、この労働力商品化を基礎として成り立っている。この賃労働と資本の関係を、資本の廃止によって全面的・根底的にひっくり返し、人間労働と人間社会の本来の姿をよみがえらせること。ここに問題の核心がある。 
 今日の社会がかかえる部落差別・障害者差別・女性差別などのさまざまな社会的差別や、民族による分断・抑圧と排外主義、地方・農村の切り捨て、被災地にたいする棄民政策なども、そのすべては<賃労働と資本>という資本主義的生産関係のうえに成り立っており、この土台を覆すことで初めて真の解決への道が開かれる。だからこそ、革共同の綱領草案はその冒頭で、次のように提起している。
 「労働者階級(プロレタリアート)の解放は、  労働者自身の事業である。この解放は、資本主義社会の全面的な転覆によって達成される。そして労働者階級の階級的解放は同時に、階級社会のもとでのあらゆる抑圧・差別からの人間の解放、すなわち普遍的な人間解放である」(316頁)

 革共同がこの綱領草案第1項で提起している内容は、マルクスとエングルスが1848年の『共産党宣言』で提起した内容そのものである。

 マルクスとエングルスは、
 
資本主義社会とは労働者階級の搾取のうえに成り立つ社会であること、
 そして資本主義が生みだした近代の労働者階級=プロレタリアートこそ、資本と絶対非和解に対立しており、
 したがって資本が支配するこの社会の根底的・全面的な転覆なしには自己を解放できない階級である

ことを明らかにした。さらに、資本主義社会は、社会が搾取する階級と搾取される階級に分裂して以来の人類の歴史が最後に行きついた姿であり、その転覆は階級社会そのものの廃止につながることを明確にした。しかも、
新たな社会を建設するための諸条件は、ほかならぬ資本主義の発展それ自身の内部にすでに生みだされていることを、『資本論』に代表される資本主義的生産関係の全面的な解明をとおして科学的に明らかにしたのである。

 すなわち、
資本主義社会を転覆すれば共産主義社会は実現できる。その力は、労働者階級自身の団結した闘いのなかにある。プロレタリアートはまさに、自分自身の解放をとおしてすべての人間を解放し、全世界を変革していく革命の主体として世界史に登場したのだ。このことを明らかにしたのがマルクス主義である。

 したがって、
共産主義とは、労働者階級が自己の解放をとおして全人類の解放を達成しようとする、労働者階級自身の現実の運動である。この労働者階級の現実の闘いとは別なところで、観念的な「理想社会」の姿を追い求め、そのユートピアを無理やり現実にあてはめようとするようなものではけっしてない。

 
プロレタリア革命とはなによりも、幾千万・幾億という膨大な人びとの自己解放的決起であり、その沸き立つ闘いのるつぼの中でこそ、崩壊しつつある古いブルジョア社会がはらんでいる新しい社会の諸要素が全面的に解き放たれていくのである。このことが、人類の歴史をまったく新しい段階に推し進めることを可能にする。そこに革命の核心がある。

 そしてその基本的な柱と道筋は、マルクスの『資本論』(1867年に第1巻発行)や、パリ・コミユーンの総括のうえに出された『ゴーダ綱領批判』(1875年)、それを引き継いだレーニンの『国家と革命』(1917年)およびロシア革命の経験それ自身のなかで、すでにつかみとられているということだ。
 ▼ 人間労働の本質
 では、資本主義社会の転覆とは、具体的には何をどうすることなのか

 このことを解明する前に、そもそも
人間の労働とは何か人間社会とは何かをはっきりさせよう。
 人間は自然に働きかけ、自然を加工して生産物をつくること、すなわち労働することで日々の生活を再生産しながら生きている。この労働による物質的生活の生産そのものが人間のあらゆる生活の土台である。

 だが人間の労働は、動物が餌をとる行為とは違う。動物は自己の生命を維持するのに直接必要なものを得るために、本能にもとづいて行動するだけだ。これにたいして人間は、直接の肉体的欲求にしばられることなく自由に生産し、あらかじめ思い描いた自分自身の目的を実現するために生産する。すなわち
人間の労働は、人間自身の自由な意識的活動としておこなわれる。

 また人間の労働は本質的に、
他の人間との協働として、すなわち社会的な活動としておこなわれる。
ある個人の労働が表面的には彼ひとりの孤立した作業としておこなわれた場合でも、彼はその労働を社会の一員としておこなっているのであり、他の無数の人間が繰り広げている労働と結びつき、一体化した活動としておこなっているのだ。他の動物とは異なる人間労働のこうした特殊性こそ、人間が
自分たち自身の社会(「人類」の社会=類的社会)を形づくる根源である。

 さらに、人間の労働がつくりだすものは、人間自身の現在の生活(生存)を満たすのに必要なものにとどまらず、
それをはるかにこえるものを生みだす。人間はこの労働をとおして、全自然を変革すると同時に自分自身をも変革し、歴史をつくり、発展させてきたのである。人間の労働とはこのように、人間にとって最も根源的な、生命そのものと言える活動にほかならない。
▼ 資本と賃労働の関係
 ところが資本主義社会では、労働者がおこなう労働は、労働する人間自身の生活と人間社会全体の再生産のためではなく、資本の価値増殖をひたすら目的にしておこなわれるものとなっている。そこでは、労働の生産物は労働者=生産者のものではなくすべて資本家のものとなり、新たな資本に転化する。資本主義のもとでの生産は、資本が労働者の剰余労働を丸ごと搾取することによって肥え太る過程であり、資本にとって労働者はもはや人間ではなく、たんなる搾取材料でしかない。労働者は、その労働によって生産と社会全体を成り立たせている社会の真の主人公でありながら、実際には資本を増殖させるかぎりにおいてのみ生きることを許されるという、百八十度転倒した関係に置かれている。

 この原因は、
資本主義的生産関係そのものにある
すなわち、資本主義社会では、社会の主要な生産手段が資本家階級の私有財産となり、労働者階級は一切の生産手段・生活手段から切り離されて、自己の労働力を「商品」として資本家に売る以外に生きることができない状態に落とし込められている。奴隷制社会も封建制社会も、生産手段を保有した支配階級が、労働する階級(被搾取階級)を支配して彼らの剰余労働を奪い取る関係を基礎としていた。資本制(資本主義)社会ではそれが、労働力の商品化をとおして資本家階級が労働者階級を搾取する関係として実現されている。この関係は、。資本家と労働者が労働市場で互いに「商品所有者」として「自由・対等」に相対するという、欺瞞的な形式のもとに覆い隠されている。しかしそれは、労働者にとっては自分の労働力が売れなければ飢え死にする「自由」でしかない。
 しかも資本主義は、無限の価値増殖を求める資本の自己運動を本質としており、労働者階級への搾取はそれまでのどの社会よりも過酷なものとなっている。そこでは労働者が働けば働くほど、その結果は、労働者を抑圧し支配する資本の力のいっそうの増大となって現れる。そして人間の最も人間的な活動であるはずの労働は、資本を肥え太らせるためには労働者の命さえ奪い尽くす恐るべき強制労働となって現れる。さらに、資本主義のもとでの技術革新などによる生産力の発展は、労働者への搾取の度合いを強めるばかりか、資本が大量の労働者を「余剰人員」として解雇し、路頭に放り出す結果となって現れる。逆に、労働者人口の一部がたえず失業・半失業状態にたたき込まれていることが、資本の蓄積を推進する条件にさえなっている。

 今日、全社会に広がる非正規職労働者をとりまく現実、あるいは被曝労働に体現される現実は、その極限的な姿であると同時に、じつは
資本主義のもとですべての労働者が置かれている本質的な姿を最も鋭角的に突き出しているのである。

 マルクスは、この
資本と賃労働の関係を「賃金奴隷制」と呼び、資本主義のもとでの賃金労働の現実を「疎外された労働」と呼んで、怒りを込めて告発している。「疎外」とは、人間がみずからつくりだしたものが人間から離れ、逆に人間を支配するよそよそしい力となって現れることを意味する概念である。実際、労働者にとっては、自分の労働の生産物が資本に転化して彼に対立するだけではない。資本のもとでの労働は、「食べることと寝ること」という彼の動物的生存条件を確保するための強制された苫役でしかない。
職場で働くことは彼を機械の部品や資本の言いなりになるロボットに変えるものであり、一日の労働を終えた後の家や居酒屋でこそ彼は、自分がまだ人間でいられると感じるのだ。これは人間本来のあり方からは遠くかけ離れた、彼自身の
類的本質からの疎外である。

 それは同時に、人間と人間との関係における疎外、すなわち
共同性の破壊として最も鋭く現れる。資本による労働者への搾取は、労働者をかぎりなく分断し、互いに対立・競争させることによって可能になるからだ。そして労働者は、その日々の労働によってこうした階級関係全体をみずからの手で再生産する。彼が必死に働けば働くほど、彼をしばりつけている「賃金奴隷」のくびきはますます強まる。資本主義的生産関係とは、労働者階級にとっては資本への永遠の隷属を意味している。
 ▼ 賃金制度の廃止
 労働者階級の解放とは、この資本主義的生産関係(社会関係)の転覆である。すなわち、労働者の剰余労働を資本が搾取する関係の廃止、その基礎となっている労働力の商品化の廃止、言い換えるなら賃金制度の廃止にある。そして賃金労働者にたいする搾取の廃止は、ある階級が他の階級を搾取して成り立つ社会=階級社会そのものの最終的な廃止への道を開く。そのことによって、階級社会のもとで生みだされたあらゆる差別や抑圧、分断と対立をも根絶・一掃し、全人間の解放を実現していく道が開かれる。これが、マルクスとエングルスが提起した本来の共産主義だ。
 これにたいして、古くはマルクス以前の空想的社会主義者に始まって、現代の社会民主主義者やスターリン主義者にいたる多くの潮流がもっぱら問題にしてきたのは、生産のあり方ではなく分配のあり方を変えることだった。労働の生産物が社会全体に「平等・公正に」分配される仕組みをつくりだすことが、「社会主義」「共産主義」であるかのように考えられてきたのである。しかも今日では、この「公正な分配」は、現在の資本主義制度をうち壊さなくてもその改善によって可能になるかのような主張が、日本共産党などによって平然と語られてさえいる。

 だが、こうした考えは根本的に間違っている。分配関係は生産関係の一側面であり、生産関係から切り離された分配形態のみの改善など、本質的にも現実的にも成り立たない。逆に、生産関係の根底的転覆にともなって、旧来の分配形態もまたおのずから消滅し、新たな形態に置き換わっていくということなのである。
 ▼ 階級的団結の意義
 そして最も重要なことは、資本主義的生産関係を転覆する力はじつは、ほかならぬ労働者階級自身の闘いのなかから成長し、発展してくるということである。資本の搾取と日々闘って生きぬくために不可欠なものとして、労働者階級がみずから求め、生みだす団結の形成それ自身が、階級社会のもとで奪われてきた人間的共同性を全社会的に奪い返していく決定的な出発点となるのである。

 その根拠は、労働力が商品化されても、労働者自身は生きた人間であり、資本は労働者を完全には支配できないという点にある。ここに資本主義の最大の矛盾がある。
 労働者のおこなう労働が人間の労働であるかぎり、その労働が実際には、どんなに疎外された労働であっても、労働者自身の主体的な意志にもとづく行為として実現される。資本が労働者を徹底的に「モノ」あつかいし、機械の部品へと落とし込めても、労働者はやはり人間であって、意志も感情ももたないたんなる機械=ロボットにはなりえない

資本がどんなに転倒した社会を極限まで推し進めても、
人間が人間であることを百パーセント否定しつくすことはできないのだ。だからこそ、どれほど虐げられ踏みにじられていても、否、そうであればあるほど労働者階級の中から、「俺たちは奴隷じゃない!」という根源的な叫びと反乱が必ず起こってくる

 3・11の被災地で起きたことも重要である。被災地ではじつは、人間は他の人間と互いに助け合ってこそ生きられるということが、極限状況のなかで膨大な労働者階級人民の間におのずとよみがえった。
資本主義・新自由主義が労働者を徹底的に分断し、人と人との社会的絆を破壊しつくしていても、
労働者階級が生きるために団結して立ち上がるならその瞬間に奪われていた人間的共同性がこの団結の内部に不死鳥のようによみがえってくる。この団結が、資本の支配を掘り崩し、新たな社会をつくりだす基礎を形成するのだ。労働者階級とはそういう階級なのである。
 だからこそマルクスとエングルスは『共産党宣言』で、労働者階級は資本主義の「墓掘り人」であると言い切ったのである。そしてまた「今日、ブルジョアジーに対立しているすべての階級のなかで、
プロレタリアートだけが真に革命的な階級である」とも言い切った。この言葉の意味をいま一度、深くとらえ返したい。

 すなわち、労働者階級がプロレタリア革命の主体となるのは、たんに資本によってひどいあつかいを受けているとか、社会の最下層だとかという点にあるのではない。
労働者階級こそが生産の主体であり、この社会を現実に土台から支え、成り立たせている社会の真の主人公だからである。にもかかわらず彼らは、マルクスの言葉で言えば、この社会において「人間の喪失」を強いられ、資本の支配するこの社会と全面的に、絶対非和解に対立している。したがって労働者階級は、自分自身と全社会とをまさに人間として「完全に再獲得する」ことなしには、みずからの解放をかちとることができない。資本主義社会自身が、階級社会の歴史が行きついた最後の姿として、大工業とともにそうした決定的な階級を、近代の労働者階級=プロレタリアートとして生みだしたのだ。

 したがって労働者階級の闘いは、資本の支配にたいする他の階級の反乱とも違い、たんなる反乱にとどまることなく、その
闘争の内側に新たな社会の萌芽を積極的に生みだすものとなっていく。 
 農民など他の諸階級も、帝国主義権力の抑圧と支配に抗して徹底的に闘うし、農民戦争の歴史に見るように、むしろある面では労働者階級よりもっと戦闘的で激烈な闘いをやりぬく。しかしその闘いは、資本主義的生産関係の根底的転覆へ向けた労働者階級の決起と結びつかないならば、結局は、現在の支配階級にたいする「反乱」の次元をこえて進むことはできず、真に勝利することはできない。労働者階級と結合してともに闘うことによってこそ、農民自身の根底的な解放への扉も開かれる。
 労働者階級の側から言えば、農民をはじめとした他の勤労諸階級・諸階層の人民のすべてを自己のもとに獲得し、みずからの「同盟軍」として組織して、ともに巨大な社会変革をやりぬくということである。
労働者階級とは、それができる階級なのである。「プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは何もない。プロレタリアが獲得すべきは全世界である」という『共産党宣言』の末尾の言葉は、労働者階級のこの階級的本質をみごとに言い表している。

 今日、正規・非正規の分断とブルジョア・イデオロギーの支配のもとで、たとえば大企業の正規職労働者が資本と御用組合の側に深ぶかとからめとられている現実がある。だがそうであっても、労働者が労働者であるかぎり、「階級」としてのこの本質は変わらない。彼らにたいする労働貴族の支配がうち破られ、彼らが眠りからめざめ、階級としてひとつに団結することを学んで闘いに立ち上がるならば、文字どおり全世界を変える力を発揮するのだ。そして今日の大恐慌と3・11情勢は、まさにすべての労働者が続々と決起する時代がついに来たことを示している。

(2) 資本主義から共産主義への革命的転化はどのように闘いとられるか
 資本主義社会の転覆は、労働者階級がその団結の力でブルジョアジーの政治権力を完全に打倒し、これまでの国家機構を徹底的に粉砕・解体したうえに、自分たち自身のまったく新しい国家をうち立てることから始まる。勝利した労働者階級はそのもとで、社会的生産の全体を掌握し、資本主義的生産関係の全面的な解体と組み替えにのりだす。すなわち、「生まれでたばかりの共産主義社会」の建設にただちに着手する。これがプロレタリア革命だ。
 ▼資本の廃止こそが核心  その核心は、資本の廃止にある。
 資本とは何か。
資本とは、多くの労働者の労働によってつくりだされる一つの社会的な力が資本家階級のものとなり、他人の労働を搾取する力に転化したものである。資本主義社会では生産手段が直接生産者である労働者から切り離されて資本家階級の私有財産になっているために、労働者がっくりだすこの社会的な力が社会全体のものとならずに資本家階級の独占物となり、「資本の力」に転化して労働者人民を支配している。
資本主義の転覆とは一言で言えば、このブルジョア的私有財産、すなわち生産手段の私的所有を廃止することだ。

 
『共産党宣言』ではこのことを、次のように書いている。  
 「共産主義の特徴は、所有一般を廃止することではなくて、ブルジョア的所有を廃止することである。
 ところで、近代的なブルジョア的私的所有(私有財産)は、階級対立すなわち他人の搾取にもとづいて生産物の生産と取得がおこなわれる、最後の、そしてもっとも完成された表現なのである。このような意味で、共産主義者は自分たちの理論を、
私有財産(私的所有)の廃止という一語に総括することができる」
 ここで言う「ブルジョア的所有」とは、資本家階級による生産手段の私有を意味する。プロレタリアートは、各人が生きるために自分自身の労働によって獲得したささやかな個人的所有物を廃止する必要はまったくない。そこからは、他人の労働を支配する力が生じる余地はないからだ。必要なのはブルジョア的私有財産の廃止、つまり生産手段を資本家階級の手から奪い取ることであり、そのことによって、生産手段がもはや資本に転化して他人の労働を搾取する力をもつことはできない状態をつくりだすことである。

 そして、資本が廃止されれば、当然のこととして
賃金労働も廃止される。資本の廃止と賃労働の廃止は、実際には同じことである。労働者はもはや、日々の生活の糧を得るために自分の労働力を資本家に切り売りする必要は一切なくなる。代わって、社会の全成員がひとしく労働者=生産者となって、社会的に必要な労働を互いに分かち合って働き、生産物を共同で管理し消費する体制が始まるのだ。

 そこでは、失業や過労死という資本主義に特有の労働者階級の困苦も当然ながら消えてなくなり、他人の労働を搾取して生きる者自体が存在しなくなる。そして、搾取する階級がいなくなれば、もっぱら労働に従事する階級すなわち「労働者階級」という「階級」もなくなる。社会が他人の労働を搾取する者と搾取される者に分裂してきた階級社会の歴史に、完全に終止符を打つ道がここについに開かれる。
 ▼ 生産力と労働の解放
 そしてこの資本の廃止は、資本主義のもとですでに歴史的に成熟していた共産主義社会建設の諸条件を、一気に、全面的に解き放つものとなる。
ひとつは、 資本主義が歴史上初めて生みだした巨大な生産力のすべてが、人間社会の発展のための共有財産として丸ごと社会に還元されることだ。
いまひとつは、 この生産力の大発展を生みだすもととなった、資本主義の近代的大工業のもとで組織された大規模な「結合した労働」が、資本の専制支配のもとでの強制された結合から、労働者自身の自主的で意識的な結合に置き換わることである。
ここに、共産主義社会の真に豊かで高度な建設を可能にする客体的条件と、主体的条件がともに生まれてくる
 生産力とは、労働者の労働が生みだしたものであり、社会的に結合した人間の力そのものである。
資本主義は、大規模に集積された生産手段のもとでのきわめて多数の労働者の「結合された労働」を組織し発展させることにより、それまでの社会とは比較にならない巨大な規模での生産力の急速な発展をつくりだした。しかしこの生産力の発展は、資本主義のもとでは、資本の巨大な価値増殖の対極で、労働者階級をいっそうの窮乏と労働苦にたたき込むものでしかない。しかもみずからの価値増殖を唯一の目的として展開される資本の無限の自己運動は、本質的に「理性」などまったくもたない。その結果は、生産力の発展が逆に、自然と人間とにたいする恐るべき破壊力となって現れるところまで行きつくのだ。

 
資本の廃止は、人間の社会的労働が生みだした生産力を人間社会の手に取り戻すことによって、こうした矛盾の一切に終止符を打つ。資本の廃止が全世界的規模で達成されるなら、飢餓も貧困もない世界をつくりだすことは完全にできる。
現在の社会のように、「生存競争」のために人間同士が争う必要などまったくない。
 さらに、大工業のもとに組織された何千人もの労働者の結合労働は、その個々の労働力の算術的総和ではなく、それをはるかにこえるものを生みだす。1千人の結合労働は、1千人分の労働生産物の合計ではなく、2千人分、3千人分、それ以上の労働生産物を生みだすのだ。

 マルクスはこのことを『資本論』の中で、
「他人との計画的な協働のなかでは、労働者は彼の個体的な限界を抜け出て彼の種族能力を発揮する」と書いている。これは人間労働の本質からくることである。
すなわち、人問とはもともと、共同体社会の一員として
他の人間とともに労働することで、自分自身の個人的限界をもこえていく力を獲得することのできる存在なのである。

 だがこの人間労働のもつ本質的な力が真に解き放たれるためには、
資本の廃止が必要である。なぜなら、資本主義のもとでは、労働者の結合労働は資本による強制によって初めて実現され、組織化されているからだ。そこでは、労働者は共同作業をしていながら実際には一人ひとりバラバラにされ、隣の労働者と互いに会話をすることも許されない。彼らは同じ資本と関係を結ぶが、労働者同士の間で関係を結ぶのではない。労働の社会的結合は、そこにおいては労働者自身の意識的結合としてではなく、まったく逆に、全労働者が資本家とその下士官=労働監督、職制の絶対的な指揮・命令と監視のもとに一糸乱れず働くという形で組織される。そしてこの結合労働が生みだす社会的生産力は、「資本の生産力」としてのみ現れ、生産力が高まれば高まるほど現実の労働者は逆に、自分自身の内在的な生命力を資本にひたすら吸いとられていく結果となっている。

 プロレタリア革命による資本の廃止は、この生産力を真に社会的生産力として解き放つと同時に、労働者の労働を資本による強制から最終的に解放する。強制された結合に代わって、
膨大な労働者の自主的で意識的な結合が生まれるのだ。この転換によって、「結合した労働」はその本来の人間的力を全面的に発揮するとともに、労働者=生産者の共同体的な団結の土台そのものに転化する。この団結のもとでおこなわれる労働は、もはや資本にその生命を吸い取られる労働ではなくなり、逆に労働者一人ひとりの力を全面開花・発展させ、個人の全面的な発達と同時に社会全体のいっそう高度で豊かな発展
をもたらすことを可能
にする。

 そして、そこにおいてこそ、人間社会が直面するあらゆる問題を人間自身の団結の力で突破し、解決していくことが可能になる。原発事故がもたらした深刻な放射能汚染と対決し、克服し、核と原発を本当にこの地上からなくしていくという大変な闘いも、このなかでこそ真に勝利していくことができる。未
来は、圧倒的に聞かれているのである。
 ▼ 『ゴーダ綱領批判』での提起
 資本の廃止への第一歩は、プロレタリア独裁権力による革命的な権力行使のもとで、資本家階級の手から彼らが私物化してきた社会的生産手段のすべてを実力で没収することだ。そしてこの瞬間からただちに労働者階級は、没収した生産手段の労働者国家による国有化を媒介として、それを社会全体の共有財産に変える闘いに入っていく。すなわち、「生まれ出たばかりの共産主義社会」の建設に向かってまっしぐらに突き進んでいくのである。

 マルクスは『資本論』第1巻の刊行(1867年)と1871年のパリ・コミユーンの経験を土台として書かれた『ゴーダ綱領批判』において、この
「生まれ出たばかりの共産主義社会」について、次のように提起している。
 「ここで問題にしているのは、それ自身の基礎の上に発展した共産主義社会ではなくて、反対に、たった今資本主義社会から生まれ出たばかりの共産主義社会である。したがって、この共産主義社会は、あらゆる点で、つまり経済的にも道徳的にも精神的にも、自分が生まれ出てきた母胎である旧社会のなごりをまだとどめている。そのため、一人ひとりの生産者は、彼が社会に与えたのと正確に同じだけのものを―控除がおこなわれたあとで―返してもらう。
 一人ひとりの生産者が社会に与えたものは、彼の個人的労働量である。例えば社会的労働日(社会的総労働時間)は、個人的労働時間の総計か らなる。一人ひとりの生産者の個人的労働時間は、社会的総労働時間のうち彼が給付した部分、つまり社会的総労働時間のうちの彼の寄与部分である。一人ひとりの生産者は―共同の元本(フォンド)のための彼の労働分を差し引いたうえでIこれこれの量の労働を給付したという証明書を社会から受け取り、この証明書をもって消費手段の社会的たくわえの中から、ちょうど同じ量の労働が費やされている消費手段を引き出す。一人ひとりの生産者は、自分かある形で社会に与えたのと
同じ労働量を、別の形で返してもらうのである」
 ここでは、社会的総生産物のうちから、生産それ自身の継続と発展のために不可欠なものを控除し、かつ「共同の元本」(社会全体の共同の必要に当てられる部分)をまず差し引いたうえで、残りが個人的消費手段の分配に回される。その基準が「労働に応じての分配」として提起されている。

 資本主義社会では労働者は、自分の労働力を商品として売って得た賃金で、自分自身と家族の命をつなぐための生活物資(消費手段)を商品の形で買い戻す。資本主義を転覆した後の社会においては、労働者は彼が社会に与えた個人的労働量に応じた消費手段を、社会的総労働のうちの自己の持ち分に応じて共同の倉庫から引き出す。そこでは、「労働に応じた分配」すなわち「ある形の労働がそれと同じ量の別の形の労働と交換される」というかぎりで、形式上は一見、現在の商品経済における「等量交換」の原則と同じものが働いているようにみえるが、じつはまったく違う。

 なぜならそこでは、資本のもとでの生産に代わって、社会の全構成員による生産手段の共有を基礎とした共同の生産がおこなわれており、資本の廃止にともなって商品経済とそれを貫く価値法則自体がすでに廃止されているからだ。

 資本主義とは、商品経済が生産過程を含めた全社会を支配して成り立つ社会だが、その資本主義から「生まれ出たばかりの共産主義社会」においては、「生まれ出たばかり」であるとはいえ、
生産物が商品として生産される関係自体がもう存在していない生産者がその私的生産物を互いに交換することもない。したがって、ある生産物の生産のために支出された労働がその生産物の価値として現れることもなく、生産物を価値どおりに交換するといった関係自身がすでに消滅している。社会的総労働の配分=社会的生産全体の組織化は、資本主義社会におけるような、商品経済すなわち諸商品の私的交換の果てしない連鎖の内部に貫かれてくる価値法則をとおして、間接的におこなわれるのではない。結合した労働者=生産者の集団的意志のもとに、諸個人の労働が直接に社会的総労働の一部分を構成するという、きわめて単純かつ透明な形でおこなわれている。

 さらにそこにおいては、社会の全構成員が労働者となっている以上、
搾取階級はすでに消滅しており、階級対立も存在しない。プロレタリア国家がその権力を発動して上から社会を統制する必要はもはやなく、階級支配の機関という本来の意味での国家は、すでに消えてなくなっている
 ▼ 「自由の国」 への飛躍
 マルクスはそのうえで、これはまだ資本主義社会から生まれ出たばかりの共産主義社会であり、自分がそこから出てきた母胎である旧社会のなごりをまだとどめていると言っている。「労働に応じての分配」は、労働の種類や質とは関係のない、労働力の支出としての労働の量だけを問題にしており、そのかぎりでは平等である。しかし、個人が社会に与える労働量の大きさは各人によって違いがある。そもそも人は一人ひとり同じではないからこそ、その多様な諸個人による共同体として豊かな人間社会がつくられていくのであって、その不均等な諸個人にある均一の尺度を当てはめて、その側面からだけ人間を測ること自体が考えてみればおかしいのだ。

 その意味で「権利」という概念自体が、
不平等を前提に、ひとつの尺度で人間を測るブルジョア的なものであって、旧社会の残存物だとマルクスは言う。
 そして次のように続けている。
 「共産主義社会のより高度な段階で、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属しなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立が消え去ったのち、また、労働が単に生活のための手段であるだけでなく、それ自身第一の生命欲求となったのち、また、諸個人の全面的な発展にともなって彼らの生産力もまた高まり、協同的富のあらゆる泉が豊かに湧き出るようになったのち―そのときはじめて、狭いブルジョア的な権利という地平は完全に踏み越えられ、社会はその旗にこう書くくことができる。すなわち、各人はその能力に応じて〔働き〕、その必要に応じて〔受け取る〕―! と」
 この「共産主義のより高度な段階」においてこそ、個人的消費手段の分配を測る基準そのものをもはや必要としなくなる社会的関係が形成される。古い社会のなごりが完全に消え去ったうえに、『共産党宣言』で言っているような、「一人ひとりの自由な発展が、すべての人びとの自由な発展の条件となるような協力体が登場する」のである。

 その前提として『ゴーダ綱領批判』では、
「協同的富のあらゆる泉が豊かに湧き出るようになったのち」と書かれているが、これはたんに狭い意昧での生産力の発展だけを指すのではない。分業が根底的に止揚され、精神労働と肉体労働の対立が最終的に消え去り、労働それ自身が各人の「第一の生命欲求」=かけがえのない喜びとなり、そのうえに「諸個人の全面的な発展」が実現されること―このことが重要なのだ。

 このことを土台として、それにともなう生産力のそれまでとは質的にもまったく異なる大発展のうえに、物質的にも精神的・文化的にも無限に豊かな世界が生みだされてくるということである。マルクスとエングルスはこのことを、
「必然性の国」から「自由の国」への飛躍と表現している。

 そしてマルクスは、この飛躍を可能にする根本条件は
「労働日の短縮だ」と言っている。共産主義のもとでは資本の廃止にともない「剰余労働」と「必要労働」の区別も消滅し、すべてが社会全体のために必要な労働となっている。そこで重要なのは、「社会的労働日のうちの物質的生産に必要な部分はますます短くなり、個人の自由な精神的・社会的活動のために獲得された時間部分はますます大きくなる」(『資本論』)という点にある。労働時間が大幅に短縮されれば、残されたすべての時間は諸個人の自由な精神的・社会的活動のために使うことができる。まさに「諸個人の全面的な発展」が実現されていくのである。
 ここで重要なこととして、2つのことを確認したい。 
ひとつは、 「生まれ出たばかりの共産主義社会」とは、資本主義のもとですでに生みだされている諸条件の革命的組み替えによって、基本的に達成できるものだということだ。
『資本論』が提起した価値法則の廃絶は従来、途方もなく長い時間のかかる過程であるかのように解釈されてきた歴史があるが、それは違う。労働者階級がプ
ロレタリア世界革命に勝利して資本の廃止を全世界的規模でやりぬくならば、その意識的で白熱的な闘いによって、比較的短期に実現できるものである。その諸条件はすでに、完全に与えられている
いま

ひとつは、
 「生まれ出たばかりの段階」から「より高度の段階」への移行はひとつの連続した過程であって、最初の段階が完成して初めて次の段階へ行くといったような、機械的に区別されるものではけっしてない。権力を握ったプロレタリアートが資本の廃止に着手すればその瞬間から、「より高度の段階」へといたる共産主義社会建設の全プロセスが、プロレタリアート自身の目的意識的な闘いとして、爆発的な勢いで始まっていく

 しかも21世紀の今日、生産力の発展は、マルクスやエングルスが生きていた19世紀よりもはるかに巨大な規模に達している。今日では、全人類の物質的生活を維持するために必要な社会的労働時間は昔と比べ大幅に短縮されており、各人の1日の労働時間に換算すれば、
1日8時間ではなくそれよりもずっとわずかな時間で足りるとも言われている。マルクスの言う「自由の国」は、プロレタリア世界革命の勝利を実現しさえすれば、今日の労働者階級人民にとって完全に手の届くところに広がっているのである。


    全学連福島ブログ

2014年がスタート

 新年を迎えたからと言って、何かが急に変わる訳じゃない。

 刻一刻と迫る被曝による影響や、大企業の利益を守る為の「人間の切り捨て」に対し、722分の1の国会議員として、間抜けな程ノンビリと進む国会内で焦りながらも、皆さんとの横のつながりをより強く持ち、圧倒的多数派にプレッシャーを掛けて行くだけだ。

 でも急がなきゃいけない状況の中で、すぐに物事は動かない、という永田町の当たり前を、身を持って経験できたことは貴重だった。

 ハッキリした事は、国会内では金にならないことはほとんどど見向きもされないという事。

 命に関わることでも「直ちに影響ない」という事なら、平気で無かった事にされてしまう。

 卑しさの塊のような集まりが、国権の最高機関なんて笑えない。

 その中で空回りしすぎた自分がいたことも事実。

2014年は一歩いっぽ、踏みしめながら、大切に生きるぞ。


 2013年に受け取った1番大きなMessageは、皆の力が集まれば、どんな事でも出来るって事。

 だって山本太郎が国会議員になったんだもの。

 皆が本気になれば、選挙でもひっくり返す事が出来る、と証明できた。

 この一年で10年過ぎた位の経験を積ませて貰った。

 濃い濃い一年だった。

 ネガティブキャンペーンを張られても、不思議と大きく落ち込む事はなかった。

 無所属でたった1議席しかない僕を潰そうと躍起になる勢力があるなんて、素敵じゃないか。そんなに恐がらなくてもいいのにね。

 恐れられているのは山本太郎でなく、山本太郎を国会議員にまで押し上げた市民の力なんだけどね。



 芸能人をやっていた時に、言われの無い誹謗中傷の嵐を受けたならば、立ち上がるのに随分時間が必要だっただろう。

 でも、今は違う。

 足を引っ張られれば引っ張られる程に燃えてくる。

 どうして?

 自分にはやるべき事があるから。

 皆と約束した事があるから。

 それを達成するまでは、潰れられないんだよ。

 参議院選のときのような集中した力が出せれば、どんな事でも変えられる。

 今はその絶対数が少ないだけ。

 現状を認識出来ていない人たちに知って貰おう。

 一歩踏み出せていない人の背中を押そう。

 数を増やして皆でプレッシャーをかけよう。

 大企業や経済団体の御用聞きに成り下がった政治家や、反対勢力という名の既得権益に生きる議員を本気にさせるのは、皆さんの声だ、力だ。

 秋の国会が「秘密保護法国会」になり大紛糾したのは、皆さんが動いたから。

 大きな声が上がらなかったら、メディアもスルーしていただろう。

 結局、法案は強行採決されたけど、監視し、声をあげ圧力をかけ続けよう。

 先々、議席が入れ替われば廃止できる。

 でなきゃ、国や、企業の奴隷にされるような未来はすぐにやって来る。

 多国籍企業の究極の金儲けは戦争。

 戦争にならなくても、緊張状態を作り出せば、商売になるもの。

 だからこそ耳触りのいい言葉を駆使しながら、戦争出来る国に変えられるよう、着々と準備は整えられている。

 このままでは、あなたが、あなたの大切な人が戦場に引きずり出されるのも、それほど先の話ではないだろう。

 この国を大企業に売り渡す規制緩和を次々に進め、既得権益を守るために原発事故の影響も隠蔽する者たちがこの国をコントロールしている。


 でも、強行採決やるような勢力が余裕だなんて思わない。

 ビビりながらやってるよ。

 この国に生きる者たちの幸せや権利を叩き売っている事実は消せないから。

 人は騙せても、自分自身は騙せない。

 愛国者の振りをしながら売国に精を出す、悪魔に魂売った様な政治家でさえも、国中から批判の声が上がればスタンスを変えるしかない。

 変えなきゃ、政治家続けられないのだから。

 一番の権力者は、企業でも政治家でもなく、あなただ。

 それを確かにする為にもあなたから、沢山の人たちを賛同者に変えるアクションが必要。

 あなたには力がある。

 この世界を変えるのはあなた。

 2014年は、大切な一年になる。

 泥舟と化したこの国が沈む前に、何とか岸に着ける為に、あなたの力が必要です。

 今年こそ、よろしくお願いいたします。

山本太郎

1月1日(水)
みなさん、
あけまして おめでとうございます。
  
裁判所がリン・スチュアートの釈放を決定しました。
みんなでの取り組みが、効いたのだと思います。
 
                                  星野暁子 
 素晴らしい勝利です。全世界の正義を求める労働者市民の声がリン・スチュアートの抹殺を許さなかったのです。

この勝利は2014年の星野の闘いに限りない勇気を与えます。
12・1全国集会の方針で全力で闘いましょう!
早朝、郵政ビラ、貫徹!
夕方から新年会。リッちゃん作・お節
飯田さんから厚焼き玉子の差し入れ
 田舎のお餅でお雑煮
飯田さんから差し入れ
「「現代革命への挑戦」」の




大討論会!

 夕方から、酒を飲む前に、勉強してみた…
 2014年1・1アピール
 拠点建設、
『前進』1万人読者網、非合法・非公然体制の建設へ
 大恐慌は大失業・戦争を生み出し、革命を生み出す。この情勢認識・時代認識は、第1次世界大戦とロシア革命以来の何度目かの革命情勢が、いま全世界的に成熟していることと一対をなすものである。

われわれはこれと
何をもって闘うのか。言うまでもなく
国鉄決戦を基軸に、闘う労働組合の復権と階級的労働運動の発展をもって闘う。勝負する

2013年の大きな前進の上で、さらにこの
14年の核心的な組織的課題・任務は何か。

 プロレタリア世界革命の決定的な水路である労働者国際連帯の、13年における画期的な発展ということを圧倒的に確認し前提とした上で、特に以下の三つの点を訴えたい。
 ① 組織拡大・拠点建設こそ革命勝利の鍵だ
 第一は、労働組合・労働運動における拠点建設と組織拡大である。組合権力への挑戦である。マルクス主義の核心はプロレタリア自己解放だ。労働者階級自身が闘って自らを解放するということだ。その具体的な道筋が労働組合であり、労働運動である。

 ロシア革命の最後の最大の教訓の書である『共産主義における左翼空論主義』で、レーニンは次のように言う。
 「労働組合を通じる以外に、労働組合と労働者階級の党との相互作用を通じる以外に、世界のどこにも、プロレ々リアートの発達は起こらなかったし、起こることもできなかった」「労働細胞は、プロレタリアがその独裁権力み実現するために不可欠な『共産主義の学校』であり、予備校である」と。
 革共同1991年の5月テーゼ以来、決定的には2006年の「党の革命」以来、血のにじむような悪戦苦闘を通して、このレーニンとマルクス主義の階級的労働運動の立場を、具体的には動労千葉労働運動として職場生産点で必死に実践し、巨大な前進をかちとってきた。  
           
 この闘いは、路線的・組織的には、労働運動を組織できる党への飛躍をかけ、「党と労働組合の一体的建設」の闘いとして、目的意識性をもって必死に追求され実践されてきた。この中で同時に、中央委員会と細胞建設、中央労働者組織委員会と産別委員会建設の闘いの前進ををも切り開き、またこれら一切を地区党建設に集約し、徹底的に地区党を軸に闘うあり方が、大きく前進してきた。実際に労働者指導部、青年指導部が先頭に立ち、職場で拠点建設のために激しく闘ってきたこの間の地平は、実にすごいものがある。それは13年末のマル青労問第10回大会の画期的成功の中に、感動的に示されている。

★ 情勢は
革共同にさらに飛躍的な前進を求めている。
レーニンも「日和見主義・社会排外主義の度し難い指導部」と徹底的に闘った。今日、連合、全労連、全労協の体制内指導部は、解雇撤回を投げ捨て、賃上げストも闘わず、秘密保護法反対の声明ひとつ出せない。権力・資本の手先と化して労働者を抑圧する、この体制内指導部の「信用を完全に失墜させ、労働組合運動のなかから追い出す」まで闘わなければ、労働者は資本に勝利できない。秘密保護法や改憲・戦争とも闘えない。国鉄をはじめ4大産別を先頭に、全国に数十の規模で動労千葉や動労水戸のような組合拠点を建設すれば、階級情勢は一変する。われわれはこの飛躍を必ず実現する。

 いま
死活的な課題は、労働組合の拠点建設と組織拡大だ。そのためにこそ、
①国鉄新10万筆署名と動労千葉物販・国労原告団物販を武器に、職場に真っ向から国鉄闘争を持ち込み、
②反合・運転保安闘争路線と絶対反対論で民営化・外注化阻止、非正規職撤廃、過労死・長時間労働粉砕を闘い、
③さらに『前進』を大胆に活用して労組活動家集団と職場細胞を建設しよう。
② 1万人読者網の建設に全力で取り組もう
 第二は、1万人『前進』読者網の建設である。『前進』はマルクス主義・共産主義の新聞であると同時に労働者階級の新聞だ。プロレタリア革命はブルジョア革命と比べて格段に目的意識的・組織的な闘いである。全国的政治新聞としての革命党の機関紙による、革命のイデオロギー、全面的政治暴露、闘いの報道、時代認識、路線、方針の提起と、その機関紙の発行・配布・読了・活用を軸に形成される膨大な読者網、協力者響受任者網なしには、「全人民の武装蜂起」の準備と組織化にまで至る闘いは考えられない。

 一昨年の第士回の会議以降、すでに3度の全国機関紙担当者会議が開催され、全国で機関紙拡大の機運は満ち満ちている。各地方委員会・県委員会・地区委員会でも担当者会議が開催され、労働者同志が先頭に立った闘いが始まっている。時代認識と路線での一致が機関紙拡大の実践での一致にまで高められ、職場と地域で『前進』をストレートに提起する決起が起こっている。11・3労働者集会の組織化の先頭に立ったある青年労働者は、「職場で『前進』を広げることが怖くなくなった。『前進』を使うことで職場と社会全体の問題を結びつけて議論することができる」と、確信をもって語っている。

 「大恐慌をプロレタリア世界革命へ」の闘いの唯一無二の武器こそ『前進』である。国鉄決戦の勝利を基軸に職場細胞をつくり、労組拠点建設に勝利し、「党と労働組合の一体的建設」をかちとっていく環こそ、1万人読者網の建設だ。すでに開始されている闘いを、この1年、さらに大胆に精力的に強化し闘うことが重要である。
① 機関紙担当者会議をさらに目的意識的にかちとり、地区党と細胞で機関紙活動を白熱的に論議しよう。
② 「月曜配布体制」を目的意識的に闘いとろう。『前進』を受け取ってすぐ読み、配ることを党活動の土台に据えよう。
③ 宣伝紙を圧倒的に活用しよう。職場や組合の全員に宣伝紙を配布する闘いが始まり、先進的な地方委員会では毎月1千部の宣伝紙を活用する闘いに挑戦している。特に11月集会報道号や訪韓闘争特集号などは圧倒的に活用され配布された。全党員が常に数部の『前進』を持ち歩き大胆に活用しよう。
④ さらに『前進』を定期購読にするために、踏み込んでオルグしよう。革命党の機関紙拡大は自然発生的にはいかない。読者会、学習会をねばり強く設定しよう。
⑤ 最後に、地区党と細胞が時代認識と路線で一致し、団結して闘うことが1万人読者網建設の基礎であることを確認したい。
 1万人読者網の建設は、職場と労働組合のすべての労働者を対象としながらも、より直接的には意識的な活動家層全員を『前進』読者に組織する闘いだ。そうしてこそ労働組合の拠点建設は可能となる。そのためにも今ある 『前進』を労働者新聞として、さらに徹底的に改革し強化することだ。青年を先頭に労働者同志が機関紙改革の先頭に立ち、階級性にあふれた投稿、記事と論文・アピールを、積極的に書いて編集局に寄せよう。

 1万人読者網の建設に勝利することは、大恐慌下の階級闘争を爆発的に前進させる。それと同時に党の財政活動も飛躍的に発展する。機関紙活動こそ党の土台であり生命線だ。革命情勢が成熟し急速に接近している。党と労働組合の闘いを一体的に体現する『前進』が、いよいよ光り輝く時代が来た。地区党と細胞が団結して決起しよう。
  ③ 大恐慌下で非合法・非公然体制は死活的
 第三は、非合法・非公然の党の死活的建設である。レーニンがボルシェビキ党に厳格な中央集権と規律を求めたのは、ツァーリ専制の抑圧との闘いという特殊条件からではなく、そこに帝国主義権力打倒とプロレタリア革命勝利への闘いの本質があるからだ。

 大恐慌が生み出す大失業と戦争、そのもとでの革命情勢の接近は、非合法・非公然体制の圧倒的強化を待ったなしに求める。これまでも労働者同志を始め膨大な同志が非合法・非公然体制の確立のために決起してきた。そして権力やカクマルと闘い、デッチあげ弾圧をも粉砕してきた。この歴史と経験を全面的に継承し、今こそプロレタリア革命への激しい意志と情熱をたぎらせ、
非合法・非公然体制の建設へ総決起する時である。

 革共同が昨年、内閣情報調査室(内謁)と公安調査庁(公調)が送り込んだ希代の反革命スパイ分子・荒川を摘発・打倒した闘いは革命的共産主義運動50年の歴史でも最高の勝利だった。革共同は日帝権力中枢によるこのような攻撃によっても解体されなかったばかりか、それを摘発・粉砕して、逆に革共同自身の存在の大きさと「革命の現実性」への確信を新たにし、プロレタリア革命勝利へさらに決起している。この戦略的スパイ分子をあぶり出し打倒した力こそ、非合法・非公然体制を核心として建設されてきた党の歴史的蓄積と地区党の前進であった。非合法・非公然体制建設の最初の実践であり、同時に最大の土台となるものこそ、労働者細胞建設であり、労組拠点建設である。そして階級的労働運動がプロレタリア革命へと向かう基礎を形成する。労働者階級と労働者同志を先頭とした全党・全人民の総決起で、秘密保護法を強行し改憲・戦争へ絶望的に突き進む安倍政権・日帝権力中枢と徹底対決し、非合法・非公然党の本格的建設を全力で推し進めよう。
 ★ 『革共同50年史』刊行は大躍進の武器だ
 革共同50年史は、60年安保闘争、70年安保・沖縄決戦、70年代対カクマル戦争、80年代三里塚・国鉄決戦、そして1991年5月テーゼ以来の階級的労働運動への歴史的挑戦という、激しくも熱い闘いの歴史である。日本労働者階級と革命的共産主義運動が、スターリン主義や社会民主主義と徹底対決し、日帝ブルジョアジー・権力中枢と激突して闘ってきた血と汗の足跡であり、飛躍につぐ飛躍の階級ドラマである。とりわけ先行して発行された上巻は、5月テーゼ反対派、血債主義派を打倒して階級的労働運動路線に全面突入した「党の革命」の地平と、日帝権力の戦略的スパイ・荒川を摘発・打倒した歴史的で画期的な勝利の全面的な総括の上に立ち、世界革命への大挑戦を宣言した実践の書だ。

 ここから労働者階級と革共同の、新たな闘いの歴史が確実に始まる。『現代革命への挑戦』上巻を武器として猛然と活用し、世界革命への本格的闘いに打って出よう。

 最後に、2014年こそ、全証拠開示と星野同志奪還の年とすることを誓い合おう。長期指名手配と不屈に闘う同志を守り抜こう。獄中の福嶋昌男同志と固く連帯し闘おう。迎賓館・横田爆取弾圧裁判をはじめデ丿千あげ弾圧粉砕の闘いに絶対に勝利しよう。

 以下、「現代革命への挑戦」より
序章
 
非合法・非公然の党建設に勝利
 ▼ 非合法・非公然の党建設  さらにここで、ある意味で最も大切な確認をしよう。
 それは、プロレタリア革命に向かっての準備という点では、革共同と動労千葉(階級的労働運動)の闘いは、
いまひとつ、
革命の最大の必須の条件をつくり出す闘争にも圧倒的に勝利してきたということだ。
 それは、
プロレタリア革命は本質的にブルジョア国家権力打倒の暴力革命としてのみ実現されるということである。

 したがって、反スターリン主義・革命的共産主義運動は、50年の歴史をとおして日帝・国家権力、治安警察などのすべての反革命攻撃と闘いぬき、それに断固反撃し、勝利して前進してきた。そして、プロレタリア党は本質的に非合法・非公然の党であることを結成以来の党是として、70年闘争も、二重対峙・対カクマル戦も、その後の国鉄決戦もすべて闘いぬいてきた。
非公然党の建設と防衛の闘いは階級闘争における最深の、最高の闘いだ

 このかん明らかになった日帝の本格的スパイ工作である荒川スパイ事件において、革共同はみすがら、階級的労働運動の爆発の力と、それと一体の非合法・非公然の党をもってついにこれを摘発し、日帝権力に致命的打撃を与えた。革共同は、これを史上最大級の勝利としてがっちりと確認する。

 また、70年決戦以来、じつに39年もの超長期にわたって獄中生活を強いられてきた星野文昭同志の奪還の闘いは、星野文昭・暁子夫妻の革命的決起と全党・全労働者の決起として前進し、星野同志絶対奪還の闘いはいま階級情勢を揺るがすものに発展している。星野奪還闘争とはまさに国鉄決戦・原発決戦とならぶ一大階級決戦である。星野同志の闘いの地平は、世界史的に未曽有の画期的地平である。星野精神でこそ、革共同は全面的に武装していくということである。

 革共同はいかなる弾圧も、スパイ工作も恐れない。これは50年の歴史のなかで、ある意味で最も誇ることのできる革共同の到達地平だ。
 2章 非合法・非公然の党建設に勝利
 日帝国家権力の弾圧と闘い、ファシスト・カクマルの反革命襲撃をもうち破ってきた最大の力は、70年決戦時以来、一貫して闘いとられてきた非合法・非公然の党建設の勝利にある。
革共同はこの非合法・非公然の党建設を、党を真に労働者階級の革命党として建設するための、
絶対に欠くことのできない第一級の課題としてきた。

それは日帝権力やカクマルによって仕かけられた激しい組織絶滅攻撃をうち破るためにぜひとも必要な、不可欠の闘いであったが、しかしそうした防衛的な側面にとどまるものではない。ブルジョア国家権力の支配を打倒して
プロレタリア革命の勝利を実現するためには、労働者階級の党が必ず意識的・積極的に闘いとらなければならない、革命党としての本質的形態であった。

 この非合法・非公然の党建設は、全党の同志の献身的な決起によって支えられてきただけではない。
膨大な労働者階級人民の本当に感動的な、あらゆる形の決起と援助・協力があってこそ、闘いとられてきたのである。まさに
労働者階級がつくりだす「人民の海」に守られてこそ、革共同は生きぬいてきたのであり、それは労働者階級がみすがらの手で党を建設し、支え、守りぬいてきた闘いそのものであった。

 こうしていま、革共同50年の歴史をふり返ったとき、日帝国家権力やファシスト反革命と激突して闘い、勝利してきた地平に心の底から確信をもち、誇りに思うことができる。それはじつに多くの血と汗を流し、さまざまな困難と闘って闘いぬいてきた日々であった。ブルジョア・イデオロギーやスターリン主義・社会民主主義・小ブルジョア革命主義などとの激烈な党派闘争の日々でもあった。しかし、ひとえに労働者階級とともに歩んだ、胸を張って報告できる光り輝く歴史である。。

 3章 91年5月テーゼ以来の闘い
 5章 党と労働組合の一体的建設
(1) 「党の革命」が明確にしたこと
(2) 党は階級の「最高の団結形態
 3全総の提起にたいして、カクマル=黒田寛一は政治局の一員として決議に賛成しておきながら、総会の終了後に、「黒田の私信」という形をとった私的通信活動を軸とする反党フラクション活動を開始し、革共同から脱落し逃亡したのである。

 党を党としてつくっていくという場合、党中央の建設という問題が独白の問題としてある。それは、地区党の建設を土台として、日本と世界の全労働者階級の解放、さらに全人民・諸階層の階級的解放をも射程に入れて建設されていかなければならない。そうしてこそ、労働者階級の階級的主体性の力を全面的に開示することができる。労働者階級は、全体が一つの前衛となって闘うことで、全社会を変革・再形成し、共産主義社会へと突き進んでいくことができるのである。

 結論として、党は、プロレタリア革命の勝利と共産主義社会建設への前進にとって不可欠な〈党・労働組合・ソビエト〉の決定的一環を構成している。このようなものとして党は、労働者階級のあらゆる闘いの最先頭に立って闘う。

 「党の革命」は、革命的労働者党建設のそうした本格的な大発展への道を切り開いた。そしてその一切の土壌・土台は階級的労働運動の前進にあることが、一点のあいまいさもなく明確になったのである。
(3) 革命期の党建設に勝利しよう
 階級的労働運動を大きく強く発展させること、このことをぬきにして革共同の存在意義はない。次のことを厳格に確認したい。
 第一に、労働組合と労働運動の革命的再生と労働者階級の階級的政治勢力としての台頭こそ、今日最も求められる中心的任務であり基軸である。階級自身がすでに動きだし、党のそうした飛躍を求めている。労働運動のできる党になんとしてもなろう。ある意味ではこれがすべててである。党と労働組合の一体的建設は、まさにそのなかでのみ可能だ。

階級の指導部」の圧倒的形成にかかっている。階級的労働運動のなかで鍛えられた労働者が、労働者革命家として党の指導部になり、全労働者階級の階級形成の先頭に立って闘うとき、革命を勝利に導いていくことが可能となる。
第二に、この闘いで一切の鍵となるものは、「階級の指導部」の圧倒的形成にかかっている。階級的労働運動のなかで鍛えられた労働者が、労働者革命家として党の指導部になり、全労働者階級の階級形成の先頭に立って闘うとき、革命を勝利に導いていくことが可能となる。

 そのことは今日、きわめて実践的・具体的に問われている。中央委員会と労働者細胞の一体的建設、中央労働者組織委員会と各産別委員会の建設、そしてなによりも地区党建設を一切の総括軸として闘うあり方の確立である。時代認識と路線で徹底的に一致し、あくまでも地区党の団結を基礎に、すべての闘いを推進していくあり方への挑戦である。
第三に、こうした実践のなかで、そこで求められる思想的・理論的諸問題と必死に格闘していくことである。それをとおしてのみ、マルクス主義を鍛え、深くっかむことができる。またこれこそが革命的理論を発展させる原動力である。
 ▼ 機関紙活動の大改革
 第四に、機関紙活動を党建設と階級的労働運動推進の最大の柱にすえて闘うことである。
 新しい時代の新しい機関紙活動への挑戦が求められている。以下の7項目を確認したい。
① プロレタリア革命勝利へ向かって目的意識的・戦略的に闘うことだ。機関紙活動は、労働者階級人民の中に日帝中枢から防衛された独白の機関紙配布網を建設することをとおして、階級の独自の系列をつくる闘いだ。なによりも職場の中で配布することであり、それをテコに階級的団結をつくりだしていくことである。
② 機関紙活動は綱領草案と一体で、労働者階級自己解放の思想であるマルクス主義を全労働者の中にもちこみ、マルクス主義で獲得していく闘いだ。
革命は何千力という労働者の崇高な蜂起であり、共産主義運動は階級廃絶の大事業である。この闘いはマルクス主義で武装することによってのみ勝利する。 
③ 党と労働組合の一体的建設のための武器として機関紙はある。党の方針を労働組合の方針にしていく闘いと、労働組合の実践を党が主体的に受けとめ、新たな方針を形成していく闘い―その相互浸透的発展をかちとる媒介となるのが党の機関紙である。
④ 労働者同志が、機関紙の内容に責任をとるために総決起すること。産別委員会論文や日常的な職場活動報告をはじめとして。自分がぶつかっている壁は全労働者・全党がぶつかっている壁として自覚し、階級全体の実践のなかから教訓をつかみとっていくためには、労働者同志自身の手による機関紙作成がきわめて重要である。
⑤ 編集局を先頭に機関紙改革のためにさらに血のにじむ努力をする。内外情勢は激しく発展し、プロレタリア革命情勢は日々成熟している。口々の宣伝・扇動がこれほど鍵を握っている時代はない。情勢のあらゆる変化に対応し、すべての闘いを鼓舞し、労働者階級の前進の決定的武器となる機関紙を闘いとる。
⑥ 機関紙の財政は労働者同志の分担金で維持されている。機関紙の発行があってこそ、革命運動は本格的に発展する。機関紙活動の前進は、財政闘争の前進としても実現されなければならない。
⑦ 国際階級闘争は、世界単一の労働者党建設の課題を急速に浮上させている。血債主義との闘い、マルクス主義を否定し解体する思想的・政治的潮流との闘いは、国際的にも党派闘争上の重要課題である。
関紙を武器に、階級的労働運動路線と国際連帯闘争を全面的に発展させ、世界単一の党建設の道へ突
 以上の7項目のうえで、ここでぜひとも強調しておきたいのは、独自の印刷工場建設の意義である。
 革共同の50年の歴史は、階級的労働運動の歴史であるとともに、機関紙『前進』の歴史である。
 『前進』は1959年9月、60年安保闘争の高揚を前に本多延嘉前書記長によって創刊された。3全総直後の62年10月に週刊化をかちとり、以後、反戦派労働者の職場はもとより、闘いに決起した膨大な青年労働者・学生の中に圧倒的に浸透していった。

 1967年10・8羽田闘争以降の70年安保・沖縄闘争を牽引したのは、紛れもなく『前進』による宣伝・扇動であった。
 日帝国家権力中枢による破防法弾圧は、その目標として『前進』の発行禁止を最初から狙っていた。だがそれが思いどおりに行かないなかで、カクマルを使った印刷所への武装襲撃と破壊によって『前進』の発行を停止に追い込もうとする攻撃をしかけた。これにたいして革共同は
74年11月、自前の印刷工場の建設をかちとり、権力・反革命のどんな襲撃をも粉砕して機関紙の発行を実力で守りぬく体制を確立した。94年には前進社を江戸川区に移転し、階級的労働運動と革命的共産主義運動の本格的発展に備えて『前進』発行体制をさらに強化した。

 この独自の印刷工場での40年におよぶ『前進』の印刷と発行が、ただの1号の中断も、遅れもなしに継続されてきたのは、ひとえにこの重責を一身に担って決起した印刷局の同志たちの献身性によるものである。革命情勢の急接近のなかで、いまこそ『前進』が輝く時代を迎えている。
 ▼ 非合法・非公然体制強化へ
 第五に、革命期の党建設において最も重要なことは、党の非合法・非公然体制の強化である。

 プロレタリア革命運動は、それが開始された瞬間から、ブルジョア国家権力との倒すか倒されるかの死闘を本質としている、日帝権力にとって労働者階級の革命党など絶対に認められないものであり、徹底的に破壊し絶滅するか、もしくは屈服・総転向させて解体するかのどちらかしかない。それは戦前も、戦後もまったく同じだ。

 戦前の日本共産党は、弾圧によって組織を完全に壊滅させられた。戦後の共産党はそのことを逆に総括して議会主義・合法主義に転向し、資本主義体制の転覆など考えないと日帝に恭順の意を示すことで体制内政党として生き延びてきた。革共同は、こうしたあり方を根本的にのりこえるものとして、党を本質的に非合法・非公然の党として建設する道を進んできた。

 革共同50年の歴史は実際に、党の破壊を狙う日帝権力中枢との死闘の歴史であり、権力・反革命の攻撃から党を守りぬくために、全党の同志はもとより膨大な労働者階級人民が決起してきた歴史であった。日帝権力から党の中枢指導部を防衛し、ともに闘うために多くの労働者・学生が寝食を忘れて決起した。またデッチあげ指名手配の攻撃にたいし、非合法・非公然体制のもとで弾圧を粉砕し、同志を守りぬいて党の団結をうち固めてきた歴史であった。

 プロレタリア革命の急接近情勢は、非合法・非公然体制の圧倒的強化を求めている。プロレタリア革命への烈々たる意志をみなぎらせ、この課題に全力をあげて突き進もう。その最初の実践は、労働者細胞の建設にある。

 この闘いは同時に、無期の獄中闘争を闘う星野文昭同志との連帯、下獄して闘う福嶋昌男同志との連帯の道である。
▼ 反軍闘争の戦略的重要性
 この章の最後に、帝国主義軍隊の解体・自衛隊兵士獲得の闘いの戦略的重要性について確認しておきたい。

 世界大恐慌と「3・11」情勢以降、プロレタリア世界革命戦略にとって反軍闘争の決定的重要性が高まっている。革命的反軍闘争の第一の核心は、労働者階級と兵士を一体的に獲得していくことにある。
プロレタリア革命の革命的軍隊の中心を担うのは労働者階級である。したがって、プロレタリア革命を目的意識的にめざす階級的労働運動の前進と、4大産別を基軸とする全職場生産点における権力奪取・ゼネストに向けた闘いの前進そのものが、兵士の獲得と兵士の隊内決起の巨大な基礎となる。

 第二の核心は、第一の闘いを基礎としてつくりだされる、軍隊内における非合法・非公然の強固なマルクス主義革命党組織の建設である。この建設は、あらゆる水路をとおしてねばり強く推進される。プロレタリア革命戦略にとって決定的に重要な環となるこの軍隊内の党細胞建設は、党全体の非合法・非公然体制の強化と密接に結びついている。そして階級的労働運動の前進のなかで必ず可能になるものであり、大胆に促進される。

 最末期帝国主義の絶望的延命形態である新自由主義の帝国主義軍隊はすでに崩壊している。それは米軍に端的に示されている。2012年のアフガニスタン侵略戦争での米兵の戦死者は229人。同年の米現役兵と予備兵の自殺は349人(米国防総省発表)。これは、皿年以降最多の数字だ。これが「世界最強の軍隊」なるものの実態である。

 兵士は軍服を着た労働者であり、今日では非正規の青年労働者と本質的に何ひとつ変わらない。資本家階級のおこなう戦争によって命をも奪われ、負傷や発病によって彼らの役に立だなくなれば即座に切り捨てられ、路頭に放りだされる存在だ。労働者階級と兵士の団結・結合に勝利したとき、プロレタリア世界革命の勝利は実現する。

 その土台となるのが、階級的労働運動路線のもとでの党と労働組合の一体的建設の前進である。この闘いを圧倒的に推し進めるなかで、反軍闘争の画歴史的前進を切り開こう。 

 6章 プロレタリア革命と共産主義
 4章 プロレタリア革命の勝利を準備するもの
(1) 20世紀革の総括とその突破
 革命的情勢の成熟は、資本主義・帝国主義のくびきからの解放を求める労働者階級人民の巨大な決起を必ず呼び起こす。今日の世界大恐慌と全世界の激動はまさに、そうした歴史的情勢の決定的な成熟を示している。日本でも全世界でも、膨大な労働者階級を先頭に全人民が、とりわけ青年労働者と学生が、人生をかけ、未来をかけた根源的な決起をすでに開始している。

 問題は、この決起がプロレタリア世界革命の勝利に実際に結実するためには、
何が必要なのかということだ。国際階級闘争の歴史はそのことを鋭く突きつけている。
▼ 革命の勝敗を分かつもの
 労働者階級人民のプロレタリア革命への決起は、必ず勝利するとは限らない。1917年のロシア革命は勝利したが、1918年のドイツ革命は敗北した。
また1930年代の激闘や、第2次大戦後の戦後革命期において、世界の労働者階級は帝国主義の転覆にまで行きつくような巨大な闘いに立ち上がったが、ロシア革命に続く勝利を切り開くことはできなかった。

 1949年の中国革命や1959年のキューバ革命は、帝国主義の植民地支配を武装解放闘争によって打倒し、革命政権の樹立に成功した。しかし、プロレタリア世界革命との結合の道を閉ざすなかでスターリン主義的変質を決定的に深め、当初めざした労働者と農民の解放への道とは真逆のものに転落していった。
この原因はどこにあるのか。
 1917年ロシア革命の勝利は、ソビエトを生みだした巨万の労働者・農民・兵士大衆の大決起と、命に向けてあらゆる準備を積み重ねてきたボルシェビキ党の指導が生きて結びつくことによってかちとられた
それ続くドイツ革命を中心としたヨーロッパの革命的激動は、第1次大戦で崩壊した第2インターナショナルに代わる新たな党と革命的な労働組合指導部の未形成のもとで、旧体制を打倒する蜂起を実現しながらプロレタリア独裁権力の樹立に失敗し、ブルジョアジーに再び権力を奪い返された
 1930年代や第2次大戦後の新たな世界革命情勢の成熟は、プロレタリア革命に敵対する反革命に転落したスターリン主義の決定的な裏切りによって無残な敗北を強制され、その多くが血の海に沈められてきた。しかしこの総括も、「スターリン主義の裏切りの結果」というご言に一切を解消して済ますことはできない。当時の国際プロレタリアートが、スターリン主義によるマルクス主義の歪曲・解体と全面的・非和解的に対決し、それを革命的に打倒し、のりこえて進むことができなかったということだ。トロツキーと第4インターがスターリン主義を批判しながらスターリン主義打倒の立場に完全に立ちきることを回避し、逆に「労働者国家無条件擁護」のスローガンを掲げ続けたことにも、その一端が示されている。
 ▼ 「階級形成」こそ最大の課題
 そこに突き出されているのは、プロレタリア革命の勝利を実現する主体的条件としての、労働者階級の<階級としての自己形成>の問題である。
 革命的情勢が本物の革命に転化するためには、労働者階級のあらゆる層の中から、さらには社会を構成するあらゆる種類の人民大衆の中から、<ブルジョア階級の支配をうち倒さなければもはや一刻も生きていけない>という強烈な思いと熱情が、数亘万・数千万という膨大な規模で噴き上がってくることが必要である。だがそれだけでは足りない

 その中心に、
革命的プロレタリアートの最も強固な隊列が、自分自身の解放をとおして階級社会そのものを廃止するという労働者階級の歴史的使命をはっきりと自覚し、ブルジョアジーの手から全権力を奪い取る用意をすでに整えて登場していることが必要である。
 ブルジョアジーとの長期にわたる日々の死闘をとおしてあらかじめ訓練され、鍛えぬかれた隊列として、一定の規模をもって存在していること。
 この隊列が、巨大な革命情勢のもとで初めて政治生活に引き込まれてきた膨大な大衆と結びつき、この大衆と{体化し、その最先頭部隊・基軸部隊となって闘うこと。
 そのことによって、すべての人民大衆の前に最も信頼できる指導部として登場することが決定的なのである。
 革命の勝敗を分かつ最大の鍵はここにある。 
 そしてこのことは、ブルジョア国家権力打倒の成否を決するだけではない。革命に勝利したプロレタリアートが、プロレタリア独裁権力を樹立して、そこからただちに資本の廃止と共産主義社会の建設に向かって進み出すためにも絶対不可欠なのである。
 労働者階級が権力を握るということは、資本家階級に代わって自分自身が支配階級となることを意味する。
 それはつまり、社会の運営に全責任をとることであり、
 資本主義から引き継いだ社会がかかえる一切の矛盾や諸問題をみずからの課題として真正面から引き受け、その克服と解決のために全力をつくして闘うこと
  を意味するのだ。
 労働者階級の階級形成とは、現実の一人ひとりの労働者を、まさにそうした任務を全人民の先頭に立って献身的に担いぬくことのできる偉大な歴史的存在へと変革し、育て上げていくことにほかならない。
(2) 党と労働組合の一体的建設
 この階級形成の核心は、労働者階級の党の建設と、階級的な労働組合の建設にある。
 プロレタリア革命の勝利を実現していく根源的な力は、資本との絶対非和解を貫く労働者階級の階級的団結の形成と、その拡大・強化・発展にある。労働者階級はそのために、労働組合のもとに団結して職場生産点における資本との日常的闘いをやりぬくと同時に、自らの階級的利害を体現する党を、他の諸政党から独立した自分たち自身の党としてつくりだす。
  この党は、労働組合の闘いと深く結合し、それを土台としながら、労働者の意識をくもらせるあらゆるブルジョア的・小ブルジョア的イデオロギーとの闘争をやりぬいて、自己を一個の政治勢力として登場させる。そして、労働者階級の階級としての自己形成を闘いとっていく。そしてプロレタリア革命の達成という目的に向けてすべての闘いを意識的に組織し、結合し、革命の勝利に必要な一切を計画的・系統的に準備するために闘う。労働組合は、この党と結びつくことによってみずからの闘いの意義と役割を自覚し、その階級的団結をさらに強化・発展させていく。
 労働者階級はさらに、この党と労働組合の闘いをとして、農民など他の諸階級・諸階層の人民をもみずからの側に圧倒的に獲得し、団結の内側に引き入れて闘う。そしてそのことを基礎として、権力奪取へ向けた革命情勢の決定的煮詰まりの真っただ中において、プロレタリア権力の母体となるソビエト(コミューン)を膨大な大衆とともにつくりだし、発展させていくのである。この党・労働組合・ソビエトは、プロレタリア革命の勝利と共産主義社会の建設を闘いとっていく武器として、プロレタリアート自身が闘いのなかで生みだしていく組織であり、そのどのひとつが欠けても真の勝利を切り開くことはできない
 とりわけ、革命的情勢を革命に転化していくために今日、最も重要なことは、労働者階級の党の建設と、労働組合の階級的な指導部建設である。この両者は、本質的にも現実的にも、不可分一体の闘いとして推進されることによって初めてかちとられる。
ここに今、世界の労働者階級がひとしく直面している最大の課題があると言っていい。
▼ 労働組合の革命的役割 
そもそも、  労働組合とは何か
 労働者階級の党とは何か
 党と労働組合は、どんな関係にあるのか。
 労働者は資本の無制限の搾取に立ち向かうためには団結して闘う以外ない
労働組合はその団結形態として、労働者の闘いが始まるやいなやどこでも、おのずから不可避に結成される。
だがそれは同時に、その存在と闘い自体が資本の専制的な職場支配をその足元から掘り崩すものとなる。
労働者が一人ひとり分断され、資本主義の弱肉強食の競争原理が職場に徹底的に貫かれていることこそが、資本の搾取を成り立たせてきた土台であるからだ。

 
だからこそ資本は、労働者の団結、労働組合そのものを敵視し、その破壊に全力をあげる。労働者階級は逆に、この団結を唯一の武器にして、「生きぬくための闘い」=資本との日々の死闘を闘いぬくのである。

 19世紀の工場法制定に始まる労働者階級の権利の獲得や労働条件の改善は、そうした労働組合の血と汗の闘いをとおしてかちとられてきた。そして今日、大恐慌下の危機にあえぐ資本主義・帝国主義による新自由主義攻撃の激化のもとで、労働者の団結権と生存権をめぐる激突が再び、19世紀以上の激しさをもって焦点化している。

 資本に買収された労働貴族と御用組合がその手先となって労働者に襲いかかり、賃金の大幅切り下げや非正規職化をはじめ、労働者階級が産業革命期以来の闘いで獲得してきたすべての諸権利を奪い取るような、搾取の極限的強化に道を開いているのだ。これにたいして職場からの反乱によって腐った労組幹部を追放し、労働組合を現場労働者の手に奪い返すこと、闘う労働組合をよみがえらせることは、いまや全世界の労働者階級にとってまさに生きるための死活がかかった闘いそのものとなっている。
 だが労働組合の役割は、そこにとどまるものではない。
  マルクスは、マルクス自身が起草した第1インターナショナルの決議「労働組合、その過去・現在・未来」において、
「労働組合は、資本と労働とのあいだのゲリラ戦のために必要なのであるが、賃労働制度そのものと資本の支配を廃止するための組織された力としてよりいっそう重要である」と提起している。すなわち、労働組合は、直接には労働者が自分自身と家族の生命と生活を守るために資本の搾取と日々闘う武器としてつくりだされるが、その闘いをとおして、労働者階級が
みずからの根底的解放=資本主義社会転覆の革命を実現するための決定的な「組織された力」へと成長していくのだ。

 ここにおいて、
労働者階級の革命党の存在と、党と労働組合との結びつきがきわめて大きな意味をもってくる。
 ▼ 党と労働組合の結合
 実際に労働者は、資本との闘いに踏み出したその瞬間から、労働組合を求めると同時に自分たち自身の党を求める。この党は、個々の労働者の狭い職業的利害をこえて階級全体の利害を体現し、また労働者階級の究極的解放を最大の目的としてその実現のために全力をあげて闘う。この党はしたがって、プロレタリア革命の必要性を自覚し、そのために全人生をかけて闘うことを決意した人びとによって、マルクス主義の党として、革命的共産主義者の政治的結集体としてつくりだされる。
 さらにこの党は、生まれ落ちたその瞬間から全ブルジョア社会と非和解的な対立関係にあり、ブルジョア権力のもとでは本質的に非合法の存在であって、政治警察との日々の死闘を不可欠とし、またそのなかで「党」として鍛えられる。
労働組合が労働者階級の最も基礎的な団結形態であるとすれば、党は、労働者階級の一部であってその階級意識を最も鋭く体現する最高の団結形態であり、最も鍛えぬかれた階級の前衛である。
 問題は、この党が、労働者階級全体とどこまで深く広く、生きいきと結びついて活動しているか否かにある。
これについてレーニンは次のように言っている。
 「資本主義にたいして首尾よく勝利をおさめるためには、指導党である共産党、革命的階級であるプロレタリアートと、大衆、すなわち勤労被搾取者全体とのあいだの、正しい相互関係が必要である。ただ共産党が、真に革命的階級の前衛であるばあいに、この党がこの階級のすぐれた分子全員を包容しているばあいに、頑強な革命闘争の経験によって啓蒙されきたえられた、完全に自覚した、献身的な共産主義者からなっているばあいに、この党が自分の階級の全生活と、またこの階級を通じて被搾取者の全大衆と、切っても切れないように結びついており、この階級とこの大衆に完全な信頼の念をおこさせる能力をもっているばあいに、そのような党だけが、あらゆる資本主義勢力に反対するもっとも仮借ない、決定的な、最後の闘争において、プロレタリアートを指導することができる。他方では、このような党に指導されるときにだけ、プロレタリアートは、その革命的攻撃力をあますところなく発揮し、……人口中に占めるその割合よりもはるかに大きい自己の力を、あますところなく発揮することができる」平共産主義インタナショナル第二回大会の基本的任務についてのテーゼ」、『レーニン全集』第31巻)
 レーニンの言うこうした党は、どのようにして形成されるのか
 それはまさに、党が労働組合の闘いと有機的に結合することによってこそ可能になる。
労働組合を通じるほかには、労働者階級の党と労働組合の相互作用を通じるほかには、世界中のどこでも、プロレタリアートの発達は、生じなかったし、また生じることもできなかった」(『共産主義における左翼空論主義』、『レーニン全集』第31巻)
  このことについてレーニンは、と言っているが、党建設が階級的な労働組合の建設と一体で闘いとられていくことこそが、党と全労働者階級との結合を保障するのだ。逆に労働組合の側から言えば、労働組合が資本との日々のゲリラ戦を闘う手段にとどまらず、プロレタリア革命の勝利を実現する「組織された力」へと成長するためには、労働組合の中心的活動家が党のもとに獲得され、党と固く結合していくことが不可欠なのである。

 党も労働組合も、労働者階級がその自己解放闘争を闘いぬくために絶対不可欠の組織として、闘いのなかでみずからつくりだすものだ。この両者が一体的に、相互発展的に形成されていくプロセスこそが、労働者階級を真にプロレタリア革命の主体として形成し、鍛え上げていくプロセスなのである。

 たしかに党と労働組合は同じものではなく、そこにはそれぞれの役割がある。しかし、両者をまったく別べつのものとして分断してとらえることは正しくない。まして、スターリン主義のように党を労働組合のはるか上に置いて絶対視したり、それへの反発と裏返しとして逆に党の役割を否定するのは、どちらも根本的に間違っている。
▼ 「革命のヒドラ」を育てる
 労働者階級と資本家階級との対立が絶対非和解である以上、職場における労働組合の闘いはそれ自身の内側に、資本の支配の根底的転覆につながるものを含んでいる。どんなにささいな要求にもとづく闘いのなかにも、その火種は必ず存在する。とりわけ労働組合のストライキには、この意味で、文字どおりの「革命のヒドラ(怪物)」が宿っている。

 党は、労働組合の指導部と一体となって、職場での日常的な資本との闘いの先頭に立つとともに、その積み重ねのなかからこの「革命のヒドラ」を意識的に引き出し、成長させていくのである。それは、一人ひとりの労働者が団結のなかで人間として、労働者としての誇りを取り戻していく闘いであり、自分の中にもっている自己解放の力を積極的に解き放っていく闘いである。このことこそが、労働者階級を抑えつけている全体制を空中に吹き飛ばしていくプロレタリアートの巨大な力を育て上げていくものとなるのである。

 そのためには、この闘いが、職場の全労働者の主体的決起を丸ごと引き出す闘いとして展開されていくことが重要である。少数組合が開始した闘いであっても、それが職場の全労働者の魂をとらえ、所属組合の枠をこえて、あるいは未組織労働者や下請け会社の労働者をも含めた職場の全労働者の怒りと決起に本当に火をつけていったとき、資本との力関係に本物の化学変化が起きるのだ。そもそも労働組合とは、同じ職場で働くすべての労働者を資本の分断支配をうち破って文字どおり「ひとつにする」ところに核心があり、だからこそ
「労働者の基礎的団結形態」としての意義をもつのである。

 また労働者は、この闘いのなかで、自分たちの職場の狭い利害をこえて階級全体・人民全体の利害を守り、貫く立場に自分自身を立たせていくことを学んでいく。すなわち、
職場生産点の制圧を基礎にして、実際に社会全体に責任をとる勢力として登場し、そのための階級的力を労働組合としての闘いのなかで養っていく
 
 逆に、党と結合した労働組合指導部によるそうした意識的闘いがなければ、労働組合の中には、当面の労働条件の改善や各職場・各産別の狭い職業的利書の枠内に闘いをおしとどめてしまう傾向も生まれてくる。その結果は、資本による労組幹部の買収と組合自体の体制内への取り込みを許すことにもなっていく。また党は、労働組合の闘いを他の誰よりも
熟知し、労働運動を正しく指導できる力をもたなければ「労働者階級の党」とはなりえない。職場生産点の闘いと結びつかない「マルクス主義」などおよそ空論であるからだ。

(3)マルクスの提起とレーニンの格闘
 党と労働組合のこうした本質的な関係、プロレタリア革命における党と労働組合の一体的建設の重要性は、労働者階級の闘いの歴史のなかで最初から自明だったことではけっしてない。
むしろ
逆に、スターリン主義者や社会民主主義者は一貫して、党と労働組合にかんするマルクスの提起を歪曲しつづけてきた。労働組合の役割はもっぱら、経済闘争を闘うことにあるとされた。しかも、資本主義体制内での労働者の地位や生活条件の改善をどうかちとるかというところに切り縮められてきた。政治闘争はそれとは別個に、政党が担うものとされてきた。さらには、革命の問題を労働組合の中で議論したり、労働運動の課題としてはならないとする考え方さえもが横行してきたのだ。
  ▼ 第1・第2インターでの闘い
 古くは、1864年に創立された第1インターナショナルの中で、マルクスとエングルスは、労働組合の意義を認めなかったプルードン主義者らと闘った。と同時に、主としてイギリスの労働組合主義者に代表される、労働組合の役割を資本との直接的な闘争の枠内に狭く限定しようとする傾向と闘った。先に紹介した第1インターの決議は、その党派闘争の産物である。
 マルクスはそこで、労働組合の真の意義は「資本の支配を廃止するための組織された力」となる点にあると提起した。
そして、労働組合はいまや労働者階級の完全な解放をめざして闘うことを学ばなくてはならないと言い、労働組合の活動が狭く利己的なものでなく、「踏みにじられている幾百万の人民の解放」をめざすものになるべきだと言い切った。労働組合運動と社会主義運動との固い結合をつくりだすこと―
ここに資本主義転覆のがあることを、マルクスはつかんでいたのである。
 だが1871年のパリーコミューンの後、このマルクスの思想を理解しなかったイギリスの労働組合主義者は、「労働組合運動とパリーコミューンは異質」という主張を展開しはしめた。このことが、バクーニンの無政府主義とならんで、第1インターを崩壊に追い込んでいったひとつの原因であった。
 1889年に創立された第2インターナショナルの中で、問題はさらに拡大し、重大化していった。
第2インターは、19世紀後半以降の欧州大陸やアメリカにおける労働者階級の急速な成長を受けて、第1次大戦の前夜には、ドイツ社会民主党だけをとっても100万人をこえる党員を擁し、組織労働者の8割を影響下におく巨大な勢力に発展していた。だがその指導部は、
党と労働組合を分断し労働組合の役割を経済闘争に限定していく方向にますますのめり込んでいた。他方で党のおこなう「政治闘争」はもっぱら、選挙でブルジョア議会に多数の議員を送り込むことに絞り上げられていったのである。

 それは、党と労働組合の内部に「革命などやらなくても、資本主義の改良を積み重ねていけばよい」という改良主義を生む土台となった。そしてこの改良主義はついには、第1次大戦への突入とともに、第2インター指導部の総崩壊と変質=社会排外主義への無残な転落と戦争翼賛となって現れた。

 これと全力で闘い、〈国家と革命〉にかんするマルクス・エングルスの提起とともに、
〈党と労働組合〉にかんするマルクス主義の考え方をも復権させ、かつ実践的に発展させるための格闘をやりぬいたのが、レーニンである。
 ▼ レーニンの党組織論
 『なにをなすべきか』に代表されるレーニンの党組織論は、実際には、党と労働組合の一体的建設論として展開されている。
 19世紀末から20世紀の初頭にかけて、ロシアの労働者階級は、ロシア帝政(ツアーリズム)のもとでの激しい弾圧と労働組合の非合法化にもかかわらず、大衆ストライキに次つぎと決起していた。レーニンはこのなかに、革命的階級としての労働者階級の本質をみいだし、彼らを革命の主体としてどう育て上げていくか、そのためにどういう組織(労働者の組織と革命家の組織)が必要かという観点から、『なにをなすべきか』を執筆した。

 それは、ロシア国内の経済主義者への批判であると同時に、第2インター内に強まっていた改良主義・経済主義・日和見主義・議会主義的な偏向と腐敗にたいする闘争の開始でもあった。

 1903年に始まったロシア社会民主労働党のボルシェビキとメンシェビキヘの分裂は、党組織論をめぐる対立を直接の契機としているが、その根底には、労働組合の位置づけをめぐる考え方の違いが同時にはらまれていた。メンシェビキは、当時の第2インター指導部と同様に、労働組合の役割は経済闘争にあるとして、「労働組合の政治的中立論」を展開していた。だがレーニンとボルシェビキは、1905年のロシア革命の敗北後、その総括のなかから革命における労働組合の決定的な重要性をあらためて学ひとり、労働組合の中立論を突破して、逆に「労働組合と党とのより緊密な接近」を提起し、路線的にも確立していった。そして労働組合内で革命的に活動することを党の最も重要な任務として明確にし、かつそれを実践的に貫くことで1917年の勝利を闘いとっていったのだ。

 こうしたなかでレーニンは、階級的な労働組合を組織してその闘いを実際に指導できる党を、どう建設するかを徹底して考えぬいた。

 そこで引き出されてきた結論は、労働者階級の革命党はまず
第一に、全国の労働運動の指導を引き受けることのできる、全国単一の革命家の組織でなくてはならないということであった。そこには、労働運動のすべての指導部を可能なかぎり含むことが求められるとした。

 第二に、この党は、政治警察との死闘において鍛えぬかれた職業革命家の組織と、労働者大衆の中に深く広く網の目のように張りめぐらされた組織網との結合によって、つくりだされなければならないとした。そして、労働者大衆の中から、革命に全生涯をかけることを決意し、権力との死闘においても訓練を積んだ指導的活動家が、職業革命家として大量に生みだされてくるようにしなければならないと提起した。

 第三に、この党は、階級情勢のどんな激変にも対応でき、日常活動から蜂起にいたるすべての闘いを首尾一貫して最後の勝利まで貫き通すことのできる、柔軟性と堅忍不抜性をあわせもった組織としてつくりだされる必要があった。
 そしてそのためには、党を、全国的政治新聞の発行とその配布網を中心にして建設していくことがなによりも重要だと提起したのである。

 この新聞は、労働者の新聞であると同時に共産主義者の新聞であり、両者が一つに融合したものである。この立場に立ってあらゆる問題についての全面的な政治的暴露を組織し、計画的・系統的に発行される新聞こそ、集団的宣伝者こ扇動者であると同時に集団的組織者である。この新聞とその配布網こそ、全国各地の闘いをひとつの党に結集させることに始まって、蜂起の前夜に全人民を戦闘配置につかせることを可能にする決定的な手段であり、革命運動と労働運動の最大の武器なのだと提起した。

 1917年のロシア革命の勝利はまさに、こうした〈党と労働組合の一体的建設〉をめぐるレーニンとボルシェビキ党の組織的な格闘を土台として実現されたのだ。
 ▼ 「党の規律」の意味するもの
 いまひとつ、レーニンが格闘したことは、メンシェビキに代表される小ブルジョア的革命性と徹底的・非妥協的に闘って、党を、現実の階級闘争に真に責任をとることのできる組織としてつくりあげることであった。

 メンシェビキは、党の綱領を支持して党に協力する者はすべて党員とみなすと主張したが、これにたいしてボルシェビキは、党の組織のひとつに所属して闘い、そこでの任務に実際に責任を負って活動する者だけを党員とした。両者の分裂の契機となったこの党員資格をめぐる対立は、じつは党を、革命についておしゃべりはするが現実の闘いには責任をとらないインテリゲンチャのサークルの連合体のような組織としてつくるのか、それとも現実の闘いに最後まで責任をとりきるプロレタリア的規律に貫かれた組織としてつくるのかという、重大な対立であった。

 レーニンの党組織論の核心である党細胞の建設論、細胞と中央委員会の生き生きとした結合と、その結合のうえに成立する民主主義的中央集権主義、党の「鉄の規律」という考え方は、こうした基本思想のうえに成り立っている。それらは党を、真に労働者階級の党として、革命的プロレタリアートの政治的結集体としてつくりだすために不可欠の課題として提起されている。

 レーニンは後に、ロシア革命の勝利を総括するなかで、「プロレタリアートの無条件の中央集権と最も厳格な規律」がブルジョアジーに勝つための基本条件のひとつであるとして、この
「党の規律」の核心問題について次のように語っている。  
 「なによりも問題なのは、プロレタリアートの革命党の規律は、なにによってささえられ、何によって点検され、なにによって補強されるかということである。
第一に、プロレタリア前衛の自覚によってであり、革命にたいする彼らの献身、彼らの忍耐、自己犠牲、  英雄精神によってである
第二に、もっとも広範な勤労大衆、なによりもまずプロレタリア的な勤労大衆と、しかし、また非プロレタリア的な勤労大衆とも、結びつきをたもち、彼らと接近し、そう言いたければ、ある程度まで彼らと溶けあう能力によってである。
第三に、この前衛の政治的指導の正しさによってであり、この前衛の政治上の戦略と戦術の正しさによってであるただし、それはもっとも広範な大衆が彼ら自身の経験によって、この正しさを納得するということを条件とする。
 これらの条件がないと、ブルジョアジーを打倒して全社会を改造するべき先進的な階級の党の実をそなえた革命党内の規律は、実現できない。これらの条件がなければ、規律をつくりだそうとする試みは、かならず。つまらぬもの、空文句、もったいぶった仕草になる。他方、これらの条件は、一度に生じるわけにいかない。それは、長期にわたる労苦とくるしい経験によってはじめてつくりあげられる。これらの条件をつくりあげるのを容易にするものは、正しい革命理論である。そして革命理論のほうは、教条ではなく、ほんとうに大衆的な、ほんとうに革命的な運動の実践と緊密に結びついてはじめて、最終的にできあがるものである」
(『共産主義における左翼空論主義』)
 「ロシアは、ただ一つ正しい革命理論であるマルクス主義を、未曽有の苦しみと犠牲、比類ない革命的英雄精神信じられないほどの根気とひたむきな探求、学習、実践による試練、失望、点検、ヨーロッパの経験との比較の半世紀の歴史によって、真に苦しんでで闘いとったのである」(同)
▼ 革共同の到達地平
 レーニンの党組織論をこうした観点から、プロレタリアートの革命的な階級形成論、党と労働組合の一体的建設論としてあらためてつかみなおすことは、今日、きわめて重要である。なぜなら、スターリン主義によるマルクス主義・レーニン主義の歪曲が、とりわけこの党組織論の領域で最も悪質な害毒を流しつづけてきたからだ。

 すなわち、スターリン主義は、党を現実の労働者階級とは切り離された、労働者階級のはるか上に立つ一握りのエリート集団にまつりあげることで、労働者国家の変質とともに党をも変質させた。そしてレーニンの提起の中から「中央集権」「鉄の規律」という言葉だけを切りとって、それを魂のないひからびた教条としてふりかざすことで、「スターリン主義の党」への労働者人民の絶対的服従を強要しつづけてきたのである。

 他方では、これへの反発から今日、レーニンの党組織論そのものを否定する傾向が世界的に一種の「流行の思想」となっているが、これは結局、メンシェビキ的な解党主義、腐敗したサークル主義を美化し、蔓延させるものとなるしかない。そうではなくて、レーニンとボルシェビキ党の闘いをその真の姿においてつかみなおし、彼らの実践的格闘にもっと徹底的に学び、その教訓を21世紀革命に生かしていくことこそが求められている。
 革共同は、反スターリン主義・革命的共産主義の党としての半世紀をこえる格闘をへて、ついに今日、党と労働組合の一体的建設論を、マルクス主義・レーニン主義の組織論的核心として明確にするところに到達した。この地平は、革共同が、スターリン主義との決別に始まって、60年安保闘争、70年安保・沖縄闘争を闘い、その後の権力・反革命による組織絶滅攻撃との20年にわたる内戦をくぐりぬけ、さらに党を真に「労働者階級の党」としてうち立てるための91年5月テーゼ以来の長期にわたる格闘をとおして、まさに徹底的に「苦しんで闘いとった地平」である。

 09年に発表された、
「労働者階級の解放は、労働者自身の事業である」に始まる綱領草案は、そのひとつの結実である。このことに圧倒的な誇りと確信をもち、いまこそ全世界のプロレタリアートに向けて、革共同とともに「世界単一の労働者党」を建設し、プロレタリア世界革命の勝利へ向かって前進することを呼びかけよう。
※ 学んだことを…年始に来た地域の人に使ってみた。まだ、うまく展開できていないのを知れたことが「お年玉」になった!
動労千葉を支援する会のホームページから転載
  • 30日の午後に発表されたキム·ミョンファン、鉄道労組委員長の闘争命令5号。
    一つ、ゼネスト闘争を現場闘争に転換する。ゼネスト闘争を展開している全組合員たちは、明日12月31日午前9時から地区別にストライキ闘争の報告と現場闘争決意大会を開催し、午前11時までに現場に復帰する。
    一つ、ストライキ闘争の報告と現場闘争決意大会には最大限連隊単位と一緒に進行して、支部ごとに力強く集団的に復帰し、復帰しては支部で一括収集し、支部争対委員長が使用者側に伝達する。
    一つ、鉄道の分割と民営化阻止闘争は終わらなかったし、今後も継続する。今晩支部ごとに、当面の懲戒と現場弾圧粉砕、民主労組を死守するための闘争計画を共有し、力強い闘争を決意する。
  • 2013年12月30日      
  • 全国鉄道労働組合中央争議対策委員長キム·ミョンファン
  • 国民の皆さんの絶対的な支持と声援の中、展開されたゼネストの間、鉄道労働者はやりがいに満ちて幸福でした。その間鉄道労働者似大して負わせてくれた支持と声援。関心と愛に深く感謝し鉄道労組は鉄道民営化を阻止するために絶えることなく闘争をやり遂げていきます。新年にも過程に喜びと幸福がいっぱいあふれますように。
  • 全国鉄道労働組合

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