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スケジュール
12月28日(土)
1月6日(月)
「街」の年末・年始休み
食事会
3日 4日 5日 6日
スタート
時間
16時頃〜 顔見世 定休日 定休日
くまで予定ですので、午後に、電話をして来てください。
03−3928−1378

全日本建設運輸連帯労働組合・関西地区生コン支部 全国金属機械労働組合・港合同 国鉄千葉動力車労働組合

3労組の11月集会結集への訴え(テキスト版)  11月労働者集会 タブロイド版PDF
11月集会タブロイド版 PDF (5.87メガバイト)

最高裁署名の呼びかけ  PDF
最高裁判所宛署名用紙

動労千葉鉄建公団訴訟   解雇撤回・JR復帰署名

4万4327筆の力で不当労働行為を東京高裁に認定させました。署名へのご協力に心よりお礼申し上げます

2013年9月27日
国鉄闘争全国運動

 国鉄1047名解雇をめぐる動労千葉の鉄建公団訴訟控訴審判決が9月25日、東京高裁において出されました。難波裁判長は、1審における不当労働行為認定を覆すことはできず、「動労千葉を含む国鉄分割・民営化に反対する姿勢を示していた労働組合に属する職員を、このような労働組合に所属している自体を理由として、差別して不利益に取り扱う目的、動機(不当労働行為意思)の下に、本件名簿不記載基準を策定し(た)」(判決文)として不当労働行為を明確に認定しました。
 地裁判決に続き高裁においても不当労働行為を認めさせたのは4万4327筆の署名の力です。5万に迫る「解雇撤回・JR復帰を求める要望書」を裁判所に4度にわたって提出し、「国鉄改革の真実」を暴き出し、広く社会に訴えたことが不当労働行為を認定させた大きな力です。1047名解雇をめぐる裁判において本当に大きな前進をかちとることができました。署名をお寄せいただいた全国の仲間に心から感謝を申し上げます。
不当労働行為を明確に認定させた以上、次は解雇撤回≠フ判決をかちとるべく全力を尽くします。最高裁宛ての「解雇撤回・JR復帰」10万人署名を直ちに開始します。高裁宛署名への大きなご支援に感謝するとともに、あらためて新たな署名運動へのご協力をお願いいたします。
以上

動労千葉 高裁判決に対する声明
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1月4日(土)
今日は顔見世 f カンパから始まる
風月堂の差し入れ
2時半の「3時のオヤツ」
新年会。豆腐チゲ ス労組物販・鰊の干物 差し入れ・北海道の本物のウイン
ナー、とハンガリーあたりの合鴨
人参シリシリ 差し入れ・仙台の蒲鉾「大漁旗」端
『現代革命への挑戦』の前史…を話し合う…byウィキぺディア
 共産主義者同盟(共産同、ブント)は、1958年に結成された日本の新左翼党派。学生主体の前衛党派としては、世界初といわれている。

主に全学連を牽引していた学生らが日本共産党から離れて結成し、安保闘争の高揚を支えたが1960年解体。1966年に再建され(二次ブント)、1970年に再び解体し、戦旗派、全国委員会派、ML派、赤軍派など多数の党派に分裂した。

ブントは1960年代後半の学生運動・全共闘と重なる部分が多い。またブントは複数の解体や分裂を経験したため、その組織実態や人員は時期により異なる
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 1950年代、日本共産党は、米ソ冷戦の激化・中華人民共和国の成立(1949年)・朝鮮戦争の勃発(1950年)、そしてそれに伴うコミンフォルム=スターリンからうけた批判により、主流派(所感派)と反主流派(国際派)に分裂するなどの混乱状態に陥った。そして終戦直後の、占領軍・GHQの「解放軍」規定、議会主義的な「愛される共産党」(野坂参三)の方針から転換し武装闘争路線をとった。その経過につれ、終戦直後の人々の支持も離れ、議会の議席はゼロとなった。当時、密かに渡航し、北京で指導部(北京機関)を形成していた書記長徳田球一も1953年客死した。1955年、共産党は、宮本顕治主導下に混乱を回復しようとし、武装闘争路線を廃棄(六全協)したが、党中央が以前持っていた権威は大きく低下した。また1956年にニキータ・フルシチョフによるスターリン批判・ハンガリー事件が起こり、ソ連の権威そのものも大きく揺れ動いた。

 当時、全学連という動員数最大の大衆運動を独自に牽引し、レッドパージの大学への実施を阻止する・砂川闘争を成功させるなど、さまざまな具体的実績を持っていた学生は、共産党中央の指導に大きな不満を抱くこととなる。そして、共産主義者同盟、略称ブント(Bund)を1958年12月に結成した。世界初の共産党からの独立左翼といわれる。初期の指導部は、香山健一、森田実らであったが、やがてより若い島成郎(※陽和病院・院長、名護「やんばるクリニック)、姫岡玲冶(青木昌彦)、清水丈夫、北小路敏らのグループに移っていった。ちなみに綱領は作成されず、機関紙に掲載されたマニフェストがあるのみだった。組織も厳密に前衛党的な中央集権体制を強いたものではなく、ルーズなもので、組織づくりも大衆闘争のなかでしかありえない、という発想のもとに成り立っていた。同盟員数は設立時点で約300人、1959年8月時点で約1400人、60年安保闘争時には約3000人程度だった。若い活動家の中には、林道義、西部邁、柄谷行人、平岡正明、加藤尚武、長崎浩、などもいた。

 1959年6月全学連新人事で同盟員の唐牛健太郎が全学連委員長に就任。1960年までブント主導下の全学連が実現することとなる。唐牛は全学連委員長就任時「天真爛漫にデモ・ストライキを行います」と言ったという。実際ブントの行動形態は、従来の左翼教条主義的なリゴリズムとは一線を画すものとなり、ジャーナリズムの非難も、「赤い太陽族」「赤いカミナリ族」といった、それまでの左翼攻撃とは異質なものとなった。
 ブントは、闘争が大きくなればなるほど普段政治に関心をそれほどもたないものの参加が雪だるま式に膨れ上がり、また彼我の対立が大きくなればなるほど組織体としての統一を保持することはできなくなった。直接行動主義は、あるものからすれば指示系統のなさからくる跳ね上がり・無駄な流血・体当たりの極左戦術に見え、またあるものからすれば指示系統の重視・優先は、はじめから全てのことを理解していたかにいう、「火中の栗」を拾おうとしない現実的な手腕のなさからくる党派性に見えた。また、動員の「倍々ゲーム」を際限なく推し進めることは不可能だった。

 ブントは1960年7月29日第5回大会を行ったが、60年安保闘争評価をめぐって紛糾のうちに自然流会し、以後統一した行動はなされず、事実上解体した。後に指示系統と党の必要性を感じたもの(清水丈夫・北小路敏など)は黒田寛一の革共同に合流した。近代経済学(西部邁・青木昌彦など)や学究に移行したものも多数いた。島書記長は沈黙を守った。いずれにしても60年安保時、指導的位置を占めていたものは多数ブントから離れた
 「若い日本の会」は、かつての社会運動団体である。

1958年に当時の自民党が改正しようとした警察官職務執行法に対する反対運動から生まれた石原慎太郎、永六輔、谷川俊太郎ら若手文化人による組織。1960年の安保闘争で安保改正に反対を表明したことで知られる。
従来の労働組合運動とは違って、指導部もない綱領もない変わった組織であった。

メンバーには黛、江藤、浅利、石原など後に保守派の転じた人も少なくない。

その他のメンバー大江健三郎、黛敏郎、寺山修司、江藤淳、開高健、浅利慶太、羽仁進。
 続けて、以下をやりたかったが、時間切れ…

1 前衛党組織論序説―『何をなすべきか』に学ぶ―― 『本多著作選』
 本稿は、1973年の夏おこなわれた学生書記局の学習会での講演を録音テープから再生したものである。録音操作や保管の不備により部分的に欠落した個所があるが、全体の理解をさまたげるものではない。別掲のレジュメはそのとき使用したものである。講演はほぼレジュメにそってなされているが、何個所かは省略して話がすすめられている。

  レーニンの『何をなすべきか』をテキストにして、党組織論にかんするこの有名な論文を現代的にどう読みこなすべきか、ここから何を学びとるべきか、について平易に口述しているが、その問題意識、問題にしている対象領域、アプローチの仕方はきわめて高度なものというべきであろう。
 〔序〕現代革命における党組織論の課題
 現代における党組織論をつくりあげていくという観点から、レーニンの『何をなすべきか』をどう学ぶかという問題について、いくつか問題になるような点を指摘したいと思う。

 一応、順序からいうと、まず大きくいって、最初に現代革命における党組織論の課題、そういった問題を序説的に問題にする必要があるのではないかと思う。

 レーニンだから尊重するというのではなくて、レーニンのやったようなことを、現代のわれわれが運動を進めていくうえで十分とりあげる必要があるのだということを、現代的に確認しないと入れないようなところもあると思う。そこはそれなりに、ある程度つめてやるという必要があるのではないかと思う。
 
 二番目は、日本における十数年間の運動のなかで、その問題がどうあつかわれ、どう処理されてきたのか、というようなことをあつかう。三番目のところでは、こうやってきた事実の実践的な視点のうえにふまえるとなると、党組織論というのは、だいたいわれわれとしては、どんなことを明らかにしておく必要があるのか、ということを考えてみる。
 
 (1) 革命的共産主義運動の党組織問題
 (2) 日本における革命的共産主義運動の組織論的な総括
 (3) 党組織論の構成と任務
 3番目の党組織論の構成と任務という問題だが、
@党とは何かという問題。それから
A党の歴史的な任務は何か、党の歴史的任務ということが、二番目に明らかにされなければいけない。
B党建設という独自の課題。党建設上の独自の課題という問題が三番目に明らかにされなければいけない、一応独自性をもっているから。
C党の組織的活動。
Dプロレタリア世界革命の完遂と党の止揚、という問題。一応、党はなくなるということだから。永遠不滅にあるというのではない、党の終りという問題、これは当面の問題としては確認しておくだけでいいと思うんだ。
 @ 党とは何か
  党とは何か、ということになるが、一言でいうと、党というのは
共産主義者の結集体といえばいい。さしあたっていうと、これは党の一番やさしい説明だ。かんたんだけど、これはわりと重要な規定で、党とは共産主義者の政治的結集体である。だから共産主義者というのが前提的にあるんだ、党の前に。

 党としてしか、ある意味では表現されないから、たえずその構成員は、共産主義者であることに自分自身がたちかえるかたちでしか党にかめないのだ。それなしには、党の構成員の一人になることはできない。そういう意味では、党とは何かというのは、まずもって共産主義とは何かということを明らかにすることから基礎づけられなければいけないということだ。

 別ないい方をすると党というのは、プロレタリアートの完全な解放めざして、階級のなかの先進的分子が結集し、そのためにたたかう組織である、というふうにもいうことができる。

 もっと広くいうと、党とは何かということになるけれど、党とは、ブルジョア党もプロレタリア党もひっくるめて全部大ざっばに集め、そのうえで党とは何かと抽象的に考えてみると、はっきりしてくる。その階級の独自の利害を代表して、その階級のなかの先進的分子が集まって、そして、
その階級の利益を実現するために活動するグループ、それがだ。これはブルジョア政党だろうがプロレタリア政党だろうがかわらないわけだ。またそういう党をもつことによって、階級は自分自身の意志を表現することができる。党とは何かということをくわしくやっていけば、いろいろあると思うが、ひとまず、そういうふうにおさえていたらいいと思う。
 
 
A 党の歴史的任務 
 それから、一体それでは、党とは何をやるものかということになるのだが、これが二番目の問題だ。
 一言でいえば
プロレタリア独裁をかちとり、維持することだ。維持・強化するということ、これが党の任務。もうすこしいうと、階級闘争をとおしてプロレタリア独裁をかちとり、それを維持・強化すること。これが党に与えられている歴史的任務だ。この任務を達成しない人間は、いくら勝ったとしてもあまり威張れないわけだ。

 階級闘争をとおしてプロレタリア独裁、別な意味でいえば、社会主義的生産組織ということだけれど、プロレタリア独裁をかちとり、社会主義的生産組織の建設をめざしてそれの維持・強化のためにたたかうことだ。そこまでいえば完全だ。社会主義的生産組織、これは一応、生殖と労働、両面含んでいると思ってもらいたい。生産という概念は両方を含むから、つまり生産というのは生産的労働と、生殖と二つから成り立っているわけだから。

 もう一度いうと、階級闘争をとおしてプロレタリア独裁をかちとり(言葉はまだ練れてないけど)、いわば、社会主義的生産組織の建設をめざして、たたかうということだ。

 完全に社会主義的生産組織が出来上がると、もう党はいらなくなる。完全にできてしまえば、つまり一応共産主義の第一の段階にいたったら、党はないのではないか。党というかたちでは指導を表現する必要はなくなってくるのではないかと思う。その辺はいまからあんまりスコラ的(細かい事柄について、 無用でわずらわしい議論をするさま)じてもしようがないから、将来の課題として残しておけばいいのではないかと思う。
 
 B党建設の独自的課題
  それから党自身が自分自身を維持していくうえで、あるいはつくり出していくうえで、果たしていかなければならない
独自の役割をもっているわけだ。つまり、歴史的任務を果たしていくために、おのれ自身を維持しなければいけないわけだから、そういうような問題もこのBのところであつかわなければいけない。
 
 
i、党の団結 
 たとえば、具体的問題としていうと、党が自分自身を成り立たせていくためには、まず
党の団結という問題がなによりも重視されないといけない。
 内容的にいうと、党組織をブルジョアーと反革命から守り、維持していくことだ。
 (以下、録音聞きとれず、数行分略)………
 
 党を守り、維持していくこと、維持し、守っていくやり方が、いわゆる会議をもち、党費をはらい、新聞を購読するということだ。
 いわゆる党の三原則。会議、財政、機関紙というものだ。これはかなり重要なことだ。会議をきちんともってそれに出ること。それから党費をちゃんとはらうこと、新聞をちゃんと読むこと。

 これは面白いんだね、気持としては新聞を読んでふやすことというふうにしたいところなのだ。事実、その方がいいんだ。だけど、ふやさなくても新聞をちゃんと読むということはまず前提だ。会議に出ることというのも、党員を、会議に出る人をまたふやすという課題を含んでいるだろう。だけど、それは党員のまず最低の義務ではない。

 まず会議をやって、自分が出ること、これが義務なんだ。それから党費をちゃんとはらうこと。つまり自分がすることが先なんだ。会議をやって、会議に出ること、党費をはらうこと、自分自身が新聞を読むこと、ひどい奴は自分で読まないで人に売って歩いている人がいるけれど、こういうのはけっして模範的とはいわない。

 
まず読むことが先なんだ。お金を出して読むこと、購読すること。

 それから党の団結のなかの二番目の要素としては、
党員を厳格な基準で獲得して、党を拡大・強化していくということ。

 それから三番目の課題が、
党の幹部要員、ロシア話でいうとカードル。
 機関部員の養成、それをとおしての党の強化。このカードルという概念は、いわゆる指導部という概念よりもうすこし独自な概念なんだ。指導部とイコールではない。党の基幹部分をしょってたつような各種の要員がいるでしょう。つまり党中央から細胞のキャップにいたるまで、それぞれの部署における
基幹部員、これの優秀さによって党の勢力とか性格とかは決まるということなんだ。細胞が強いかどうか、支部が強いかどうかは、しょせん、そこの指導部の質にかかってくる。

 その質が悪ければ、いくらいい人がやっていても増えないし、増えないだけならいいけれど、維持できないし、そういう意味では、基幹部という問題は党にとっては非常に大きな問題なんだ。つまり、党を維持すること、党を拡大すること、党を強化すること、この生命の維持・発展・強化ということだけれど、そういう問題が党の団結としてまず最初に確認されなければいけない。
 
 
A 党員のプロレタリア的規律 
 つぎは、こういう団結を一人ひとり支えている(党員の問題としていうと)、
党の団結を支えてゆく規律の問題というのが二番目に明らかにされなければいけない。

 党の規律、ないしはこの規律を支えていくものは何かということ、これは『左翼小児病』のなかでレーニンがいっていることの三つの指摘が一応有効なのではないかと思うのだけれど、ひとつは
共産主義的自覚にふまえて闘かうことだ。

 ここでは、だから一番先に各人の問題が問題になっているんだ。あの文章のなかで、これにいろいろなことがくっついて、プロレタリア的英雄主義とかいろいろついてるけれど、うんと枝葉をとってしまうと
共産主義的自覚ということだ。

 「一番目の問題としていうと、政治的能力を養うこと、つまり一番目は共産主義的自覚を深めること、二番目は
政治能力を養うこと、培養すること。

 それから三番目に、
正しい理論、正しい方針
 つまり党の規律が守られていくためには、各人がおれは頑張るんだという共産主義的な自覚が.もとにならないことにはどうにもならない。最初の一人の、今流にいえば、決意が重要なんだ。これがないことには、規律なんて百万遍のべたって、会議にちゃんと出ることなんてくり返しいったところで、当人が出る気がなければ出てこないだろうから。だから、まず
一番目に自覚が重要

 しかし、自覚だけあればいいというわけではない。やはり、
政治的能力がついていないと、もうひとつ前進しないでしょう。 やはり、いろいろな運動をやり抜いていく能力とか、会議をちゃんと主催してやっていけるかどうか、大衆の前で多少なんとかいえる能力とか、場合によったらベッタリとくっついてしまう能力だとか。いろいろなこういう能力によって、これが促進されていないとやっぱり弱い。そういう意味で二番目に・各人の政治的能力が一歩一歩高められていかないといけない、これはもう確かだ。決意だけでは二〜三ヵ月はもつけれど、すぐ虚しくなってしまう、能力を高めながら決意を深めていかないと。

 それから三番目の問題としては、自覚・決意もある、能力もある、けれども、方針がまったくトンチンカン、党の方針がまったく
トンチンカンでは、これは頑張れないわけだ。

 そういう意味では党自身が正しい理論にふまえていること、正しい方針をもっていること、これが何といっても党の規律を支えるものだ。だから規律というのは、そういう意味ではたんに抽象的な、非政治的な性格のものではなしに、規律というのは同時にそういう
思想面でも、能力面でも、理論面でも、党が正しい状態にあるときにはじめて維持されるような種類のものだ、というふうに理解しないといけないのではないかと思う。
 
 B 党の指導体系 
 それから、第三の問題としては、党の団結、二番目の規律ということにひきつづいて三番目の問題として、
党の指導という問題になる。

 党建設の独自的課題の三番目。一番目が団結。二番目が規律、三番目が指導ということなんだ。一言でいえば、党はなによりも
中央集権主義的な指導の体制をつくらないことには、やっていけないということだ。

 これもわりと重要なことでありながら、なかなか長いあいだはっきりさせられないような面をもっていたんだ。民主主義的中央集権制という問題は、ともかく党は中央集権的であるということは、つまり単一の党ということはたえず意識されなければいけないということだ。 

 C 全国的政治新聞 
 それから四番目の問題としては、こういう党全体を
ひとつに結びつけていく手段というのは何かというと全国的政治新聞だということだ。だから、団結、規律、指導、新聞ということだ。これが党の独自的なもので、党は、この四つが保持されていないと維持されないわけだ。党だってだって、分裂してたらもう党ではないし、規律が守られているような状態でなかったら党ではないし、各個バラバラにやっていたら、つまり、中央集権制がないようだったらダメだし、やはり新聞によって、合法新聞であるか、マル秘新聞であるかを問わず、なんらかの新聞、系統的に発行される新聞によって全党が思想統一されていなかったら、党が成り立っていかない。そういう問題がでてくるのではないかと思う。
 
 C 党の組織的活動
  四番目の問題としては、党は
いろいろな活動をやっていくということ。
 これはいわば現在的にいうと、三大義務のようなことと関連させて考えてもらったらいいと思う。三大義務とか、二重対峙・戦略的前進・党建設というような活動領域と関連させて理解してもらえばいいと思う。
 
 D 党の止揚
  それから五番目には
党の止揚
 大体そういったところが、ごくごく大ざっぱにいった〔序〕の部分になると思う。

1月3日(金)
新年、ニャャャャ〜っ!
夕食はブリの刺身 ブリしゃぶ タコのカルパッチョ
水菜・人参・キノコ・豚のシャブ ジーも登場
Tジイも登場…2014年をシャブシャブ そこに理事も登場
沖縄・サン食品の沖縄そば ヨッシーも登場
集まった酒 飲んだ酒 理事の戦後直後の労働運動と、
労働者の生活の話を聞いていたら
10時過ぎ
1月@へ 1月Bへ
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