不当捜索に抗議し、「オープンスペース街」を守る
賛同署名運動のホームページ


facebook 「オープンスペース街」を守る賛同署名運動
賛同署名用紙はこちらからプリントアウトできます。
回りの作業所、福祉労働者、労働組合などに広げてくださいませ。

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日 誌 「オープンスペース街」を守る賛同署名運動




8月
1日 「街」不当逮捕弾劾・即時釈放を訴えるビラ をまきました
2日 障害者作業所つぶしに動く公安警察
3日 差し入れ・北海道の帆立
4日 福島の皆さんから、まとまったメッセージ
5日 店内「義勇兵」がウジャウジャ
6日 「街」弾圧は既に全国・世界の労働者の団結に転化している!不起訴奪還をかちとろう!
7日 差し入れ・ハーゲンダッツ
8日 10日の拘留延長、徹底弾劾!
9日 地裁前で、地域で、都内の作業所で、「ひどい政治弾圧!」との反応続出!!
10日 女子力・強し 男子力強し!
11日 不起訴奪還をかちとろう!
12日 「街」弾圧粉砕は、勾留満期の14日夕方までの3日間決戦
13日 勾留理由開示公判と地裁・検察庁包囲デモ
14日 2名の不起訴奪還をかちとる!
15日 8・15集会
16日 「オープンスペース街」弾圧粉砕の報告ビラ
17日
「たみとや」登場、差し入れ・たくさん
18日 「街」奪還勝利会
19日

7月
1日 夕食は千葉鮮魚・2日目・たいの刺身、ホウボー煮、焼きカ マス
2日 スネヤ到着 7・5で叩くぞ!
3日 アメアパ分会解雇撤回!勝利!
4日 7月1日、最高裁判決が出されました。両者の上告を棄却する/ 生活保護削減 住宅扶助の引き下げ
5日 JR採用差別事件の上告棄却を弾劾する!/ふくしま共同診療所支援ライブ
6日 7・5集会&デモ
7日 動労千葉の団結はいかにつくられたか 水野正美勝浦市議講演
8日 今週の千葉鮮魚、カンパチ、カワハギ、カイワリ、いとより、ムツ、アジ。今週の千葉鮮魚、カンパチ、カワハギ、カイワリ、いとより、ムツ、アジ。
9日 東京地裁前ビラまき第2弾行動やりました/韓国民主労総、7月15日ゼネストにむけ決起大会
10日 差し入れ・ホタテのバター焼き、差し入れ・豚肉で生姜焼き
11日 ふくしま共同診療所支援ライブ
12日 夕食は、盛岡レーメン
13日 武蔵関駅頭で街宣
14日 <安保関連法案>15日の衆院委で採決へ
15日 7・15国会包囲デモ 与党が採決強行
16日 黒ムツの煮つけ
17日 国分寺・本町クリニックで、エコー検査を開始
18日 「街」への不当な家宅捜索弾劾&第21回ふくしま共同診療所支援ライブ
19日 7・19高円寺デモ&中野集会
20日 鈴コン集会
21日 千葉鮮魚・マゴチ、金目?キントキダイ=近目キン トキ、黒ムツ、ヒラメ(小)、いさき(小)。
22日 救援連絡センターの機関紙『救援』第555号(7月10日発行)に、「街」弾圧について掲載されました!
23日 差し入れ・高級西京味噌漬け。鰆・鰤・鮭・メヌケ
24日 福引きに行きます/精神疾患患者“囲い込み” 元患者証言、通院やめられず 
25日 「街」への不当な家宅捜索弾劾&第22回ふくしま共同診療所支援ライブ、
26日 夕食は枝豆・茗荷・大葉・ジャコ他の昆布茶混ぜご飯/油淋鶏
28日 2名の「デッチ上げ」不当逮捕、弾劾!
29日 福祉作業所つぶしの女性2名・不当逮捕を許さない!
30日 10日間の勾留延長
31日 東京都福祉保健局が来ました。

6月
トップの頁 暫定的「トップ頁」
1日 公安1課の不当家宅捜索
2日 連日のガサ/午前中、練馬区に申し入れ行動その後、区職労を訪ねました/しいなさん、たみとやが激励のプレゼント―檄ベジアレ/報道4社が来て、記者会見
3日 ギターが目茶苦茶うまい森川弁護士
4日 ガサ以来初めての「街」屋台。今、テレビで話題の「街」で~す。今日・圧倒的に受けたキャッチコピー
5日 怒りの横断幕、完成!/陣中見舞いコロンビアの餃子?
6日 「街」への不当な家宅捜索弾劾&第15回ふくしま共同診療所支援ライブ
7日 6・7国鉄闘争全国運動集会
8日 「街」日誌版を復活
9日 「街」を作った理由
10日 「作業所を立ち上げた時の“街”、そして今」
11日 弾圧を受けた通所者からカンパです/地域の人の怒りの声
12日 大量の団結・寿司の差し入れ
13日 沢山の応援のメッセージ/「街」への不当な家宅捜索弾劾&第16回ふくしま共同診療所支援ライブ
14日 ニーメラー牧師の告白
15日 新しい立看板、製作中!
16日 火曜恒例・千葉の新鮮・鮮魚 金目・ホウボウ・スズキ・アジ・イサキ・カマスの到着
17日 「人生劇場」=「街」劇場カラオケDVD
18日 朝、通勤前、「街」屋台街宣
19日 反原発福島行動の皆さんからの感動的な檄布&メッセージ
20日 第17回ふくしま共同診療所支援ライブ船長、渾身のライブ 船長・タイマーズ風、現場帰り姿
21日 現代の名工受賞記念「我道一路」 うんめ
22日 休日ですが、今日もやってます、「街」屋台!/元・МL派が来た
23日 今週の千葉鮮魚。キンメダイ、真コチ、マダ
24日 ますのすし、いただきます
25日 八尾北より元気の出る熱い応援メッセージ
26日 「心の病」労災認定、過去最多 背景には長時間労働
27日 「街」への不当な家宅捜索弾劾&第18回ふくしま共同診療所支援ライブ
28日 6・28集会
29日 障害者からの手紙
30日 弾圧粉砕の源、今週の千葉・鮮魚。鯛、金目鯛、真ゴチ、


6月8日(月)
公安警察による作業所つぶし・障害者抹殺の不当弾圧を許さない!

不当捜索に抗議し、「オープンスペース街」を守る賛同署名とカンパの呼びかけ

1)練馬区にある福祉作業所「オープンスペース街」(以下、「街」)は、発足以来22年間にわたり、障害者解放運動の拠点として地域に根ざし、活動を展開してきました。障害者当事者と職員のみならず、地域住民の支援と交流によって守り育まれてきた、かけがえのない地域の拠点です。

 6月1日、この「街」と職員の自宅など5ヶ所に、警視庁公安1課は突如家宅捜索を強行しました。障害者就労支援事業所である「街」の捜索は5時間にわたり、その間に警察権力が呼び寄せたテレビ局6局と新聞社1社のカメラが居並ぶという異様な光景が演出されました。一部テレビ局・新聞社が「給付金をだまし取った疑い」「過激派の拠点になっていた」と悪質なキャンペーンをふりまきました。
 さらに家宅捜索は3日間にわたって拡大し、開業したばかりの訪問介護事業所と職員宅、「街」分会が所属する東京北部ユニオン事務所など計9ヶ所となりました。押収品は優に100点を超えます。

2)警察がマスコミを使ってキャンペーンする「給付金詐欺」など、100%のでっち上げです。実際、公安警察は今に至るも一人も逮捕することができずにいます。

 そもそも障害者就労支援事業を統括し給付金を支給するのは練馬区です。「街」はNPO法人としての認可を受け、監査も受けてきています。行政からの指導はおろか、何一つ連絡もないところで、いきなり警察、しかも公安警察が家宅捜索に入るということ自体がありえないことであり、福祉事業のあり方そのものを外からぶち壊すやり方です。

 公安警察は、パソコン、利用者の出勤簿、タイムカード、通帳、USBなど、日常的な作業所の業務、請求業務に必要な物品をことごとく「街」から持ち去りました。これは「街」の作業所業務を破壊するとともに、6月10日に迫った5月分の給付費の請求もできない状況により「無収入」を強いる、作業所つぶしの許しがたい攻撃です。

3)それだけではありません。最も許せないことは、公安警察が6月1日の家宅捜索と同時に、「街」に通所するメンバー宅を訪問し、「事情聴取」を強制していることです。

 公安刑事は、「『街』が対応ができないように、家宅捜索と同時に訪問した」と言い放ちつつ、「『街』はみんなしゃべっているから、安心して答えていいぞ」と卑劣な手法で弾圧の協力者に仕立て上げようとしているのです。病院に行こうとするメンバーを車に乗せ、連日交番などに連れ出して調書を取るということが起こっています。「障害者はウソと甘言でどうにでもできる」と徹底的にいたぶって警察に都合のよい「供述」を取ろうとし、徹底的に分断する。「自分の居場所がなくなることに手を貸してしまった」と涙ながらに語っている利用者がいます。これほどの差別に満ちた極悪の手口があるでしょうか!

 かつて戦前・戦中、障害者が排除と治安弾圧の対象とされ、命までも奪われた障害者抹殺政策の歴史を繰り返してはなりません。
精神的な病気や障害を抱えた人たちの福祉作業所は、当事者と職員、地域の人たち、さらに自治体労働者が手を携えて作り運営してきました。本来は公的責任であるべきものを介護・福祉の民営化により、僅かな財政でやりくりしているのです。働く職員の賃金は公務員の三分の一以下ではないでしょうか。「給付金を騙しとる」などとんでもありません。そんな努力に唾を吐き、国家暴力で潰そうとする。許せません!安倍の戦争政治そのものです。

4)今、国会では安倍政権が安保関連法案を通そうとしています。「戦争法案などという無責任なレッテル張りは誤り」「自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争に参加するようなことは決してない」。誰も信じない大ウソをついて本気で戦争をやろうとする安倍政権。

 まさにこの時に、戦争に反対してストライキでたたかい、地域とつながって活動する労働組合の存在を、安倍政権はもはや容認できないのです。そういうことから、「障害者の真の解放は、階級的な労働運動によってこそ実現できる」と自ら労働組合を立ち上げ、闘う労働運動と地域運動の拠点として前進してきた「街」への政治弾圧に踏み切ってきたと考えます。

5)以上のことから、今回の弾圧は、「オープンスペース街」を潰そうとする攻撃であると同時に、それを通して、労働組合、そして作業所をはじめ福祉・介護などの戦後的な社会保障そのものをぶち壊そうとする、安倍政権による戦時型の攻撃だと私たちは考えます。

 安倍政権のもとで、この間沖縄での新基地建設阻止のたたかい、反原発運動、労働組合運動などへの不当な弾圧が相次いでいます。この4月には府中市にある障害者介護事業所事務所と利用者、介助者宅にも、同様の家宅捜索が起こっています。今回の「街」に対する暴挙を許せば、あらゆる作業所、福祉事業所、労働組合、市民運動への弾圧が拡大されかねません。

 こうした攻撃をはねかえすために、呼びかけ文への賛同を訴えます。また、大量の必要物品が押収されているなかで作業所を維持し、法的対応の弁護士費用も必要とされています。「街」救援・支援のカンパをぜひよろしくお願いします。

■ 私達は求め、訴えます
・ 警視庁公安一課は、「オープンスペース街」への不当な捜索・でっちあげ逮捕策動をやめろ!
・ 警視庁公安一課は、押収物の全てを直ちに返却しろ!
・ 「オープンスペース街」を、物心両面で支えよう!

●呼びかけ団体
一般合同労働組合東京北部ユニオン/一陽会労働組合/精神医学研究所附属東京武蔵野病院労働組合(精研労組)
●賛同連絡先:「オープンスペース街」〒177-0051東京都練馬区関町北4-2-11
電話&FAX 03-3928-1378
●メール(賛同アピールを送ってください!)tokyohokubu-matikyuuenkai@yahoo.co.jp

賛 同 署 名
■不当捜索に抗議し、「オープンスペース街」を守る声明に賛同します。

・お名前(個人/団体):
・肩書き(あれば):
・公表の可否: 可/不可
・賛同メッセージ



6月1日の「オープンスペース街」への不当家宅捜索から一週間。作業所つぶし・障害者抹殺の不当弾圧に対して、「オープンスペース街」を守る賛同署名とカンパ運動を開始しました。

開始直後から、続々署名とカンパが集まっています。賛同署名150以上、カンパ額は15万円を超えました。

これから、順次賛同アピールを掲載していきます。
6・7国鉄闘争全国集会で、たくさんの方から署名とメッセージ、カンパをいただきました

「オープンスペース街」を守る賛同署名運動を立ち上げた翌日、弾圧拡大を許さない!と仲間たちが集まり、チラシ配布を行いました。
メールでの賛同メッセージも届いてきています。全国から連帯をよろしくお願いします!


休みだけど、夕食会…というよりは
弾圧が「365日無休・活動家集団」に
育ててくれた。夕食は味噌煮込みウドン
スタミナ付けにうなぎの肝焼き ピータン豆腐
米ナス・イタリアン風 差し入れ・ 差し入れ・
「街」屋台をやります 署名が集まります
アメリカ人からも激励 僕の職場で署名を集めます、
と大量の署名用紙を持っていきました

6月9日(火)

広島連帯ユニオンより、重要な情報が寄せられました。作業所つぶしの攻撃は全国で激化しています。絶対に負けられません!
メッセージと合わせて以下、掲載します。

●山下真吾(広島連帯ユニオン青年部)
 6・7国鉄全国集会での署名の折には大変御世話になりました。...
警察権力による「街」弾圧に対し、広島の青年の一人として弾劾するとともに、安倍の労組破壊と闘う皆様へ、長文にはなりますが連帯のメッセージを送らせていただきます。

広島においても、昨年7月9日、8・6ヒロシマ大行動の共同代表であり、NAZENヒロシマのメンバーでもある室本けい子さんが運営する事業所“よもぎのアトリエ”に対し、広島市は、「指定(介護予防) 居宅サービス事業者の指定取消し」攻撃が行われました。(→http://www.city.hiroshima.lg.jp/…/…/1404698454402/index.html
警察権力の直接の弾圧が無かったとはいえ、これは、この度の「街」弾圧と全く同じ「給付金詐欺」をでっち上げ、地域住民の団結を破壊する構図の攻撃であると考えています。

室本さんは、婦人民主クラブ全国協・広島支部の読者会メンバーとしても反戦・平和運動の主体として、私たち広島連帯ユニオンをはじめ、広島の労働者と連帯し、安倍政権の戦争政治に怒りをたぎらせて闘ってこられました。
毎年、8・6ヒロシマ大行動を行う為に、私たち広島の労働者は、およそ5回の実行委員会を開催し、討論を重ねてきました。

そんな中で、昨年、“7・1集団的自衛権行使閣議決定”があり、それと一体で室本さんの事業所に対するこの攻撃がかかったのです。
これは、単なる反原発運動の高揚では無く、政権打倒の政治運動への発展に対する安倍自身の並々ならぬ恐怖の現れであると思います。

室本さんが事業所認定取消の書面の受け取りなどの通知を広島市役所で受けた日と、婦民広島支部が、広島市に対して安倍の平和式典参加への抗議の申し入れを行った日は、恐らくほとんど離れていなかったと記憶しています。(現在確認中)
どのような形であれ、広島市が安倍政権と一体である事は明白であり、労働者の団結を心の底から憎悪している何よりの証拠です。

だからこそ、「街」弾圧に屈せずに闘う皆さんと、私たちヒロシマの労働者との団結が重要になります。
今年の8・6に向け、実行委員会もすでに2回行われ、活発な議論がなされています。

今週11日(木)に3回目の実行委員会を行います。
そこで私も、皆さんの闘いについて実行委員会で発言するとともに、参加者へ“「オープンスペース街」を守る賛同署名とカンパ”を呼びかけたいと考えております。

安倍の戦争政治に対して労働運動で反撃し、労働者の団結=ゼネストで安倍打倒の闘いに打って出ましょう!

皆さん 共に闘って下さい!!!

紙の賛同署名用紙はこちらからプリントアウトできます。
回りの作業所、福祉労働者、労働組合などに広げてくださいませ。
http://rentaiunion2007.web.fc2.com/matisyomei.pdf

ホームページも立ち上げました。こちらをご覧下さい。自立支援法に反対してきた「街」のこれまでの取り組みも掲載されています。http://syakujiigawa.web.fc2.com/68-index.html

福祉事業所の労働組合委員長の方より、メールで賛同メッセージをいただきました。ありがとうございます!

●林武文 (個人)

ゆにおん同愛会執行委員長

...

仮に不正請求があったとしても警察の介入はまったく筋違いだし、メンバーさん宅への事情聴取は許せません。
警察は利用者の事などまったく考えていません。

三人が釈放された!喜びにあふれたテント前~5.28経産省前弾圧事件

5月28日経産省の敷地に入ったとされて逮捕されていた3人が、6月8日夕方、3箇所の警察署からそれぞれ釈放された。

この日は午前に東京地裁で「勾留理由開示公判」があった。ここでも検事側はまともに答えられず、法廷終了後に「仲間を返せ」の声が一斉に上がるなど、不当逮捕への怒りが沸騰していた。

検事側も「勾留延長」は不可能とみて釈放に踏み切った。

午後5時半すぎから、3人が次々に経産省前テントひろばに現れると、仲間たちが黄色いハンカチを振って出迎えた。抱き合ったり握手をしたり、喜び一杯だった。釈放された火炎瓶テツさんは「私たちの行為は経産省の仕事に支障を与えたわけでもなく、不当逮捕であることは間違いないが、口を開けたまっこう鯨の口に自ら飛び込んでしまったことを深く反省している」と語り、「ありがとうという言葉で言い尽くせないほど、仲間に感謝している」と言葉を詰まらせた。(M)

今日、経産省前弾圧の3人が無事に帰ってきました。ネットに色々書かれたことが取り調べに利用されたことが辛かったと言っていました。実際、権力の分断かと思えるような誹謗中傷がありました。考え方の違いはあっても弾圧の時にはグッと飲み込んで一緒に闘わなければならないと改めて考えさせられました。とにかく、奪還、おめでとう!被逮捕者のみなさんは、今日はゆっくり休んでください。救援会も、あとのことは明日、今日は休みましょう。たくさんの支援の声をあげたみなさんもお疲れ様。カンパが85万くらいになってるそうです!次は関西の3人を奪還です‼︎


朝、防衛隊   今週の千葉鮮魚   地域の人から続々支援
昼食は動労千葉物販そば



三里塚の人参の葉と桜えびの

かき揚げ
支援者、続々


徳島の人からの差し入れ

「金時まんじゅう」で3時のお茶
夕食は火曜恒例・千葉の鮮魚デー。ガサがあっても継続中!
キンメ・チヌ・カワハギ・イサキの刺身を作ります。あら汁で…明日の弾圧粉砕のエネルギーに。食事は大事です

「アサヒグラフ」に、僕たちの写真が載りました!
石川真生(まお)の
「日の丸」を視る目
(沖縄料理店「チャンプルー街」にて)
日の丸・君が代だって!?
これが、僕たちの旗さ。

「障害」のある人も・ない人も支えあって共に生きる
人の世を作ろう!


折角、注目されているので、「街」を作った理由という文を掲載しよう!

 以下の文章は、私がまだ共同作業所「ほっとすぺーす関町」の職員時代から「街」のボランティア時代の2年間、数回に渡り書いた文章です。そのため読み進むと、時間的に飛んでしまう表現がありますがご了承ください。

 また「福祉」についてキチンと学んだ経験もなく、共同作業所の職員になって数ヶ月の段階で書き始めたものなので、今読み返してみると乱暴で未熟な文章だなぁと赤面しますが、あえて改訂せずにそのまま掲載することにしました。

「街」を作った理由ハネやん

(1993年春から連載開始)

 1、共同作業所における低賃金の問題
自主運営のリサイクルショップ『オープンスペース街』は、共同作業所「ほっとすぺーす関町」のスタッフ3人、メンバー1人、地域の女性1人の5人を準備委員として、「ほっとすぺーす」運営委員会とは別個の形で設立された。
作った動機とその後の経過を書くと、1月に入ってすぐに、「ほっとすぺーす関町」としては初めてのメンバーとの個人面談が行なわれた。そこでメンバーの多くの声として出たのが、作業工賃の圧倒的低さの問題でした。1と月間働いて、わずか数千円たらずの低賃金。これが共同作業所の名のもとにまかり通っている。

 内職の袋張りや軽作業という作業の内容と共に、こうした低賃金はほとんど刑務所における懲役者と同じ状況下に置かれているといってもいい。そして、こうした下請労働こそが日本経済のいつわりの「繁栄」を支えてきたし、現に支えていることを決して忘れてはならない。

 メンバーの一人がこう書いた。「下請作業というのは、その賃金の恐るべき低さ、納期などの面で、私達、精神障害者の人間としての尊厳を傷つけられることが多い」という文章は、その点を鋭く指摘している。まさに共同作業所の作業というものは、つねにそうした問題性をはらんでいることに無自覚であってはなるまい。

 このことは同時に、共同作業所が「医療」から「福祉」、「地域の中での受け皿づくり」という面で果たしてきた役割は大きい。それは作業所に与えられた医療からの「入口」としての側面においてである。しかし当時、一部のメンバーにとって作業所から「社会」への「出口」の形態を考える時期にそろそろきている(勿論、「入口」としての役割を放棄するということでは決してないし、それはそれで、現段階では重要な意義がある)。

 1月のメンバーとの個人面談で突きつけられたのは、実はこの課題であった。「工賃をもっとほしい」というメンバーの切実な声は、共同作業所の日常活動に汲々としていた未熟なスタッフに対して共同作業所からの「出口」を切り拓くことを要求したのである。

 一般就労への援助か、職親をさがすことか、「ほっとすぺーす関町」とは違った形で工賃的に比較的高い自主的事業を始めるか、それとも、まったく別の形態か。 

 2、当事者に対する差別と偏見
『街』を作ろうと思った動機は、「精神障害者」(以下、当事者とする)の解放が共同作業所という枠内では不可能ではないかという疑問からだった。もし仮りに、「理想的な」作業所というものが実現できたとしても、それですべてが完結するものではないという想いを、勤め始めた当初から抱いていた。

 当事者に対する社会的な差別・偏見が温存されたままで、共同作業所が「良い共同作業所」として永遠に存続するような社会では、共同作業所は「第2の精神病院」と化してしまう。そうならないためには、当事者の人たちだけが変わればいいのでなく、本当の意味で変わらなければならないのは私たち「健常者」の側なのだ。事実、私自身、共同作業所の職員になるまでは、共同作業所の存在や、当事者の人たちが置かれてきた歴史や状況にほとんど無知だった。いや正直に書けば、マスコミの流す一方的で偏向した情報を無批判的に受け入れて、偏見をもっていたし、差別に加担していたといえる。

 「社会の人の障害者に対する偏見・蔑視」(明雄さん)、また、「精神障害者は怖い」という捏造が私たちの中に入り込む原因はどこにあるのか。それは、当事者の人たちと私たち「健常者」が、日常的にほとんど関わりをもたない点に由来する。

1、当事者の人たちが起こす事件がある度に、マスコミによる意図的としか言い様のないキャンペーンなどで、当事者に対する偏見がつくられていく、
2、そうした偏見があるので、つきあいが難しくなり
3、そして、つきあいがないから、よけい偏見が助長され、
4、偏見が拡大される結果、つきあいが更に難しくなっていく。

こうした悪循環をなんとしても断ち切りたいという思いが『街』を作った第2の理由でした。

 『街』で地域の人たちと出会う。その出会いの中で、当事者の本当の姿を知っていく。そして偏見が徐々に氷解されていく。いや、その過程を通して、私たち自身の身についていた「差別・偏見」という悪しき汚れをぬぐいとることができるのではないかと考えた。そうした『街』での出会いと、私たちの側に「厳しい自己点検、自己変革」(久保ヤン)という蓄積があってはじめて、差別も抑圧も偏見もない新しい『共生社会』の基礎がつくられるのであり、その社会にふさわしい内容をつくりだしていくことが可能となる。それに向けた第1歩として『街』がつくられた。差別と偏見を日常的なふれあいと交流を通して、『街』が目指している「障害のある人も・ない人も支えあって共に生きる街」づくりを前進させたいと考えた。

 3、当事者の住居問題
第3の理由は、当事者の住居問題です。
現在、日本では150万人の人が精神病院に通院し、35万人が入院していると言われている。練馬では約7千人の人が通院し、1900人の人が入院している。この35万人の退院が今日、緊急課題となっている。そのためには、退院後の生活の大前提であり、住居・アパート若しくは、世話人や医者などのケア付きの共同住居・グループホームの大量の創設が必要です。しかし、アパートを借りることは非常に困難と言わなければなりません。入院しているということを隠さなければアパートを貸してくれないのが実情でした。

 この35万人の退院ということを考えた場合、「35万人体制に改革の矛先を向けないままの『受け皿』論には、うさんくささが限りなくつきまとう」 現在の比較的症状の「軽い」人たちだけを共同作業所などに通ってもらうことで、事足りとしてはなるまい。

 今なお、多くの当事者たちが犯罪を犯したわけでもないのに、「閉鎖病棟の鉄格子の中に収容されているという惨状、この悲惨な人権侵害」(久良木さん)を決して忘れてはならない。

 入院している人は、刑事被告人や懲役者よりもひどい状況下に置かれている。刑事被告人は、弁護士接見という形で面会が認められている。また、懲役者は定期刑としてその期間さえつとめれば「娑婆」に出ることができる。これは、罪刑法定主義による「懲役者の人権」を守るものである。

 しかし、長期入院させられている人たちには、この『権利』さえ許されていない。そこでは病院の医師たちが裁判官や検察官を代行する。いや、そこでは被告の人権を守るべき弁護人の同席も許さない「欠席裁判」で、すべてが決定されて行く。正当な異議申立さえもすべて「病状」のせいにされて、保護室に入れられてしまう。これで法治国家といえるのだろうか! 暗黒裁判そのものです。まさにこれは、人権侵害そのものであり、「国家賠償の問題」(久良木さん)です。

 ともかく、あらゆる手段で長期入院の人たちを受け入れる住居を着実に作っていくこと。それと共に、三十五万人という大量の退院を実現していくためには、徐々に変えていく、一つ一つ積み重ねて行くという発想では限界がある。「ともかく退院という発想」(久良木さん)が不可欠です。

 また、「受け皿を地域に幾つか作る」ことで終わるのではなく、「地域を丸ごと受け皿化する」という中でしか、本当の解決方法はないのではないか。そのためには、『街』における地域の人たちとの熱い出会いを通して、その人たちとの固い連携と協力の下、「支えあい共に生きる街」づくりに向けて着実に前進していくことを夢想しました。 

 地域の人たちの立上がり
私は、いまだ見ぬ地域の人々との結合の可能性に賭けたといっていい。しかし開店の準備段階で「店の持続性」に対する疑問が提起された。「本当にやって行けるのだろうか?」と。しかし、私はそれに関してまったく楽天的であった。

 確かに当時の主体的力量を考えた場合、持続は困難だった。だが、私の中には地域の人々が必ず援助してくれるという「確信」があった。それは私の「人間は変わりうるもの」「民衆は必ず立ち上がる」という不動の確信に由来する。そして、地域の人たちが陸続として立ち上がっていくイメージの中に、『街』が成功する条件を見ていたといえる。そのイメージ、言い換えれば、そうした想像力(現実を変革する内容を基礎とする)に依拠することによって『街』は開店以前からすでに成功する条件を獲得していたといえる。また、そうした想像力とその実践なしには、今日いわれている「ノーマライゼーション」(私流にいえば、「支えあい共に生きる街」)は、そもそも絵に描いた餅にすぎない。

 「振り返ってみると……私の中にあったのは……個人の生をがんじがらめにしていく地域社会の否定的イメージ」と久保やんが以前の自分を振り返っていみじくも書いていたが、実際こうした地域と地域の人々に対する否定的イメージに捉われる傾向が強いのではないだろうか。ここからは、どうせ失敗する、やっても無駄ということしか出てこない。それはどうしてなのか? 歴史を正しく学んでいない、としか言いようがない。

 5月の連休に、『街』のみんなで奥秩父へキャンプに行ってきた。そしてバンガローで一泊した翌日、「秩父困民党」巡りをした。1884年、秩父困民党は秩父の谷間から武装蜂起し、郡役所を占拠して、「無政の郷」を作り出した。そして、「自由自治元年」という年号を制定する。「明治維新」前後の民衆運動史を我流でかじったことのある私は、ここに一度来てみたかった。

 よく「日本人は従順な民族」といわれているが、100年前の人たちは飛びっきり元気印だった。秩父蜂起は、自由民権運動の最後にして最高の形態である。11月1日の夜、手に手に武器を持った農民3000が椋神社に結集した。今回、椋神社には誰も集まっていなかったが、百数十年前の農民たちの喚声が今にも聞こえて来るようだった。当時の民衆は、まだまだ歴史を動かす主人公としての気概と原動力をもっていた。「20世紀末の人たちよ頑張れ」そう言われた気がした。

 つまり人類史を振り返ってみても、「地域の否定的なイメージ」は殆ど出てこない。それよりも、いつの時代においても民衆は元気なのである。逆にいうと、「民衆は元気」と思えないのは、「民衆が元気だと困る」「元気であってほしくない」という権力者の論理に絡めとられている。

 『街』開店以降の2か月の経験は、「民衆は元気」ということを証明した2か月であった。「ほっとすぺーす関町」と『街』、ボランティアと地域の人たちとの関係がさやかながら有機的に結合され始めた日々でした。詳細は省くが、ともかく、『街』開店以前の「ほっとすぺーす関町」の状況に比べて、開店後の活性化は、めざましいものがある。そうした前進を根底で支えているのは、32名の『街』のボランティア・スタッフでした。いくら『街』の設立スタッフの思い入れが強いものであろうと、こうしたボランティア・スタッフの人たちの援助なしには、『街』は存続し、発展することはできなかった。

 トリエステの教訓
羽仁五郎は『都市の論理』の中でこう書いている。「そこに地域社会があったか、なかったということより、そこに革命的性質があったか、なかったかということによって精神障害者の解放か、拘束か、ということが決定された」と。

 つまり「地域」ということを考えた場合、「地域一般」というものが問われているのではない。これまでは「行政に多くを依存しずぎてきた。住民による直接参加と自らの地域社会づくり」という傾向が強かったが、やはり行政の側からの(上からの)地域社会づくりに依存しないで、地域社会の主体である地域住民を中心とする「下からの」地域づくりというものこそが、羽仁五郎のいう「先進的な内容をもった地域」づくりを進めていく上で大切なことだと思った。

 イタリアでは、その歴史性を利用し、地域との結びつきを強める中で精神医療改革を社会改革の一環としてすすめていった。トリエステのバザーリア医師は、従来の精神医療をのりこえる道を提起する。それは医師・「患者」関係を根本的にひっくり返すことである。当事者の「病気ではなく、苦悩の問題に共同してかかわる時、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化してきます。そこから抑圧への願望もなくなり、現実の問題が出てくる。自らの問題が心理学的な問題などではなく、社会的、それゆえに政治的な問題であることを学びます」と。そして、そこから医師と「患者」の関係だけでなく、入院制度の問題、制度と住民一般との全く新しい関係を展開していくことになる。

 バザーリアはトリエステの解体に際してこう語った。「病院の壁が残っているかどうかは問題ではありません。私たちは壁の内外を変えることによって、施設の論理を破壊するのです」と。

 地域との結合
イタリアの北部にあるパルマ県の「草の根精神医療」は、1969年の学生たちによるコロルノ精神病院の占拠によって開始の鐘を告げ知らせた。35日間にわたる占拠闘争の中でパルマ全体が活性化していく。「何百回と集会をもった。工場でも、公民館でも、あちこちの町や村でも。あらゆる人がそれに参加した。労働者も、農民も、知識人も、そして患者自身も」

 またこの占拠闘争には、多くの患者さんが参加した。病院での会議で、彼らの多くが発言し、自らの要求(思想の自由、自己決定権など)を伝えた。このように多くの地域住民の参加の中で「草の根精神医療」がすすめられたパルマとは、いかなる地域だったのか? この精神医療改革の進展をみるとき、パルマの歴史を抜きには語れない。

 1922年、ムッソリーニの「ローマ行進」に対して、ファシストを追放しバリケードを作って抵抗したり、1943~45年にはナチスの占領軍に対してパルチザンを結成して闘った。北イタリアのいたる所で労働運動の歴史があり、こうしたファシズムとの闘いと分かちがたく結びついている。冒頭で書いたように「精神医療改革を社会改革の一環」としてすすめていく根拠がここにある。

 精神医療改革の闘いが、多数の住民の参加のもとで展開される所はどこでも、こうした労働者組織が強く根を張っている。当事者の社会参加を実現しようとするとき、こうしたグループの協力があった。それは労組や協同組合、社共の分会のほかに、文化、歌、狩り、釣りのクラブにいたるまでの各組織網がフルに動員されたのである。

 ともかく『街』を基軸とした地域との関わりの中で切り開いてきた5ケ月間の成果と教訓を生かしきり、さらなる飛躍に向けて前進していきたいと思う。「病気が精神病院で超克されるとは思わない。私たちは外部社会で病気にうち勝たなければならないし、それは社会が変わることでそうなるのだと思う」

4、『街』の2年間の実践から
 早いものでオープンスペース『街』は開店2周年を迎える。同時に私が「ほっとすぺーす関町」を辞めてから1年が経った。簡単に、この1年間を振り返ってみたい。低賃金の改善、偏見・差別の問題、生活支援・住居問題、地域との関わり、以上の4点が『街』を開店した主な理由であった。

 作業所から地域へ
 以上4点は、社会=地域との関係性の変革とまとめることができる。それは、従来の当事者・作業所と地域との「閉ざされた関係」を「開かれた関係」へ変えることである。しかし「地域に開かれた作業所・場」を目指すというが、実際この点が最も困難である。

 「つくりっこの家クラブハウス」発行の『つくりっこだより』の中にこういう文章がのっていた。「地域で作業所を開きたいと地域の中に作業所をつくっても、地域とのかかわりがとぼしく結果的に閉鎖的な場になってしまうことが、ままある」と窪田氏(クボタクリニック)の話を引用し「そういう状況というのは、ありがちなこと」と筆者は書いている。

 このことは多くの作業所の設立過程にも共通する課題でもある。それは、当事者の人たちの置かれている厳しい状況(共同作業所の設立に対して住民の反対運動が起きるなど)に規定されて、地域の外部から、ある意味で強制着陸させる形で作業所を設立せざろうえなかったことに関連している。つまり作業所設立の出発点が、当事者の家族たちを中心とする地域を巻き込んだ住民運動として展開してこなかった(いや、できない困難性があった)点に由来している。

 言い換えると、多くの作業所があらかじめ「閉ざされた場」として出発せざるをえなかったといえるだろう。勿論、別の形で設立された作業所もある。「つくりっこだより」の筆者は、「クラブハウスは作業所でありながら地域から生まれたという類いまれな存在」と書いている。まさにそれは、「つくりっこの家クラブハウス」を設立する以前の十余年間の着実で豊富な活動に裏打ちされた言葉そのものである。

偏見・差別の問題 
 しかし『街』は、地域運動の蓄積が全くないという所から出発したのだから、いまさらジタバタしたって始まらない。問題は「閉鎖的な場」をいかに「地域に開かれた作業所・場」に変えて行くのかという点にあった。紙面の都合上結論だけ書くと、『街』開店以来の1年間を振り返ってみると「まあ、いい線を行ってるんじゃないか!」と思っている。『街』の1年間の方針と実践は、差別と偏見という課題を正面から掲げて地域の中へ大胆に飛び込むことであった。

 当事者に対する偏見が作られていく構造を、「当事者の人たち」と「地域の人たち」が実際にふれあい・交流することを通して突き崩して行く方法をとった。それも出来るだけ大量の地域の人々との交流を目指した。

 「『街』で地域の人たちと出会う。その出会いの中で、当事者の本当の姿を知っていく。そして偏見が徐々に氷解されていく。いや、その過程を通して私たち自身の身についていた『差別と偏見』という悪しき汚れをぬぐいとることができるだろう」(『街』で思うこと2)と以前に書いた。

 昨年、『街』のお客さんから、「ほっとすぺーす関町」に4件の仕事依頼があった。Aさん、Bさんは共に『街』が開店した当初からのお客さんで、『街』の活動をつぶさに見て来た人たちである。Aさん、Bさんは『街』へ働きに来る「ほっとすぺーす」のメンバーたちとの日常的な交流を一年間、蓄積してきたともいえる。その蓄積の中から信頼関係が生まれ、仕事の依頼へと繋がったのである。そして、そうした信頼関係を生みだした原動力は「ほっとすぺーす」のメンバーや当事者一人ひとりの豊かな人間性そのものにほかならない。

 しかし、こうした信頼関係が生まれたことだけで単純に喜んではいられない。『街ニュース』18号でH氏はこう書いている。

 「『精神障害者』の地域生活の現実は厳しく偏見や差別は変わっていません。『精神障害者』のみならず『障害者』が地域で生きるということの辛さは、死活のかかった問題としてあります」と、H氏が指摘しているように「現実は厳しく、偏見や差別は変わっていない」と言わざろうえない。実はこの仕事依頼の過程で、ある差別事件が発生した。Aさんの仕事依頼の中で、Aさんの外部の人から「精神障害者」に対する差別的な発言があった。「ほっとすぺーす関町」や『街』を一歩出ると偏見と差別はまだ色濃く残っている。ただ一言つけ加えると、そうした差別的な発言に対して断固として立ち向かったのがAさんその人であった。「間違っているのは当事者の人でなく、アナタの方だ!」という立場を最後まで貫きえたことの中に、1年前のAさんに比べて大きなな変革がある。まさに、そうした立場に立ちえたのはこの一年間、『街』において当事者の人たちとふれあい・交流してきたことの結果といえるであろう。

地域の底辺から
 『街』における1年間の活動を通して、私自身のスタンスが変化してきた。最初は「ほっとすぺーす」からだけの視点で地域のことを考えていた。しかし『街』において、「ほっとすぺーす関町」のメンバーの人たちだけではなく、関町で暮らしている他の共同作業所・病院のデイケアに通うメンバーの人たち、作業所へ通えない人たちなど100人近い当事者と出会うことができた。

 そして「街」が「オープンスペース」(地域の人たちに開かれた場)であるがゆえに、当事者だけでなく他の様々な「障害者」を持った人たち、一人暮らしの高齢者、在日アジア人外国人労働者やその他の人たちと出会った。そして彼らがこの地域社会の中で、生きる上での困難性に直面してること知らされた。

 それゆえ『街』は、地域に開かれた場として作られたことで、「よろず相談の場」になった。しかし開店当初、この「オープンスペース」の思いは、抽象的なスローガンにすぎなかった。それが、この1年間の実践の中で徐々にではあるが具体的なものになりつつある。

 そのことに踏まえて『街』の今後の方向性は、作業所から地域のことをを考え始めるのでなく、地域の底辺から、地域の一部分(一構成要素)としての「ほっとすぺーす関町」や慈雲堂病院、また関町生活実習所や、さらに他の「障害」をもっている人たち、高齢の「障害者」の方々、在日アジア人の皆さん、その他、今の社会=地域が生きづらいと思っている人たちと手を結び、今の生きづらい「町」を「障害」のある人も・ない人も支えあって共に生きる「街」へと、さらに前進していきたいと考えています。

お疲れさまでした。
 原稿依頼があったので、「街」の歴史を素描してみました。2002.2
 「街」から「ジュゴンの家」へ/ハネやん
1、「街」から
 1993年、共同作業所の職員時代に自主運営のリサイクルショップ「オープンスペース街(まち)」(以下、「街」)の設立に関わって以来、いろいろな場を作っては、壊してきた。
 
 地域で暮らしていた病院のデイケアのメンバーの自殺をキッカケに、94年に立ち上げた憩いと相談の場「関町ケアネットワーク」は、携帯電話の広がりと共にその役目を終えた。
 
 95年に作った、食と楽しみの場・沖縄料理店「チャンプルー街」も、2001年6月に惜しまれつつ閉店した。
 
 ワープロにモデムを繋ぎながら始めたワープロ通信の時代、そしてインターネットの勃興期、「街」のホームページの中にある掲示板「心の広場」には、全国の若者たちの悩みが書き込まれ、それに応えるため24時間、携帯電話による相談を始めた。
 
 そして地方で孤立している若者たちが宿泊しながら学びあえる場・「ステイ街」が出来た。一時は、リサイクルショップ「街」の前にあるマンションを3戸借り、「関町ケアネットワーク」を含め多い時で10人以上の若者たちが宿泊していた。そして若者たちの内の何人かが自立していった。

 ある日、インターネットを通じて「街」のことを知り、引きこもり・通院・入院を繰り返していた息子を連れた母親がやってきた。Kさん(26才)を初めて見た時、思わず「高校生みたいだ」と思ったほど幼い顔をしていた。
 
 「今まで息子のためにいくらお金を使ったか知れない」 母親は定年を間近にひかえ、「もうこれ以上息子の面倒は見れない」「これが最後のチャンス」という悲壮な覚悟で「街」にやって来た。Kさんにも「もう、これまでの生活を続けたくない」というギリギリの覚悟があった。 Kさんは「街」で二週間の研修を終えた後、近くにアパートを借りて自立生活を始めた。御飯の炊き方も知らなかった彼だったが、まもなく「街」を卒業し、地域商店でアルバイトをはじめた。高校中退のKさんは近くにある定時制高校に通い、その後専門学校に進学した。そして今年初め、植木屋に就職が決まって、この街から巣立って行った。
 
 Kさんとは、何度も衝突して出て行ったり、否を詫びて戻ってきたり、本当に沢山のエピソードがあった。彼が自立できた理由は、Kさんの意地と素直さ、「生れ変わりたい」 という強い意志、それと「これが最後のチャンス」という母親の覚悟にあったのではないかと思う。
 
 その「ステイ街」も今は、混在型グループホーム「ハウス街」という一戸建ての家へと形を変えた。そこではかつての「ステイ街」の機能の他に、知的なハンディキャップを持った人たちの自立体験の場などになっている。
 
 リサイクルショップ「街」、憩いと相談の場「関町ケアネットワーク」、沖縄料理店「チャンプルー街」、宿泊研修の場「ステイ街」という4つの場は、今、「街」と「ハウス街」の二つに整理・縮小した。それでも衣・食・住+憩い・相談を、保障しえているのではないかと思っている。
 
2、「ジュゴンの家」へ
 「街」が出来た後、「街」のリサイクルショップ方式は、小平「カジャ」、三ノ輪「ゆいまある」、沖縄・名護「ジュゴンの家」、そして那覇「はんたぴあ」へと引き継がれた。
 
 「久良木さんの『日本全国・出会いの旅』沖縄編で紹介されていた女性で、「てるしのワークセンター」とか家族会の仕事をされている山里さんを交え、久良木さんの思い出、沖縄の精神保健の現状、『街』の目指している方向性など、日が暮れるのも忘れ語り合いました。話している中で、リサイクルショップ『街』名護店構想が僕の中でムクムクと頭をもたげてきた。

 沖縄に来て半月。第1期・ジュゴンの家から第2期・ジュゴンの家へ。この半月の過程は、『僕たちが沖縄で出来ること、沖縄の人たちと連帯する道、その内容を本土に持ちかえり、再びそれをふくらませて沖縄にフィードバックすること』を模索し、思考錯誤する半月でした。

 僕たちができること。徹底的に『地域』にこだわること。『連帯・共闘』を声高に叫ぶことではなく、地域の人たちの生活に根ざした現実から出発すること。これが『街』の精神・スタイルだ。たとえどんなに小さくても、一歩一歩堅実な前進を積み重ねて行きたいという想いで一杯になった」(2000.8.31「ジュゴンの家」日誌) 
 2000年秋、4つの場の整理・縮小に伴って生れた力を、沖縄・名護のリサイクルショップ「ジュゴンの家」へ注ぎ込んだ。当初は、僕たち年寄組と、アリちゃん・ようこちゃんの若者組が、半月交代で「ジュゴンの家」を運営するという計画を立てていた。アリちゃんは、インターネットを通じて「街」と知り合った北海道出身の引きこもり・入院を体験した青年。その後、僕と共に沖縄料理店「チャンプルー街」のシェフとなり、生きづらさから自らを解放した。
 
 2000年10月15日の「ジュゴンの家」のオープンの手伝いに来ていた埼玉県の不登校の高校一年生・晋君は一年間、
「ジュゴンの家」の店長をつとめた後、昨秋から「ジュゴンの海の家」という移動式コミュニケーションの場を一人でスタートさせた。
 
「失敗は成功の素」
 若者たちの可能性を信じ、責任ある仕事につかせることが成長につながる、というやり方を僕たちは取ってきた。失敗したら一緒に考えて、そこから教訓を学びとればいい。
 
 昨年6月、不登校・通院・入院を経験している群馬県出身のUさん(23才)が、名護に移り住み、11月から「ジュゴンの家」の店長となった。昨年末には東京出身のSさん(24才)が沖縄に来た。彼は小学校の時から不登校を続け、通院体験者でもあるが、今では立派に「ジュゴンの家」の店長代理をこなしている。「ジュゴンの家」の若者は元気で信頼できる若者として、沖縄の人々に認められ、愛されている。生きづらかった過去を乗り越えて、沖縄のおじい・おばあたちの希望の星となっている。 
 
3、「病」、癒し、から、解放へ
 押し付けられた生きづらさ、それを癒すだけでいいだろうか? 僕たちは、「病」・癒しではなく、人が人として生きることのできる社会づくりをする中で、自らを解放したい!
 
 2月3日の名護市長選挙。宮城康博さんの勇気ある立候補に対して、「街」と「ジュゴンの家」は12名で応援に行った。何しろ彼は、僕たちのバンド「ヨッシー&ジュゴンの家」のベースマンなのだから。その間「街」を守ったのは、メンバー、ボランティアさん、・お客さんたちだった。
 
 選挙戦など一度もやったことのない僕らだったが、ギターを弾き、歌を唄いながら朝から晩まで市街地を練り歩いて沢山の市民に訴えた。現市長の権力と金を使った無法選挙に一歩もひるまず、心の病やハンディキャップを乗り越えて最後までやり抜いた。当選を勝ち取れなかったとはいえ、僕たちに敗北感などない。やり抜いた勝利感で一杯である。
 
 「街」「ジュゴンの家」は本当に名護市長選を闘えて良かった。そして、やり抜くことの中で一人一人の足りない部分も知ることができた。更なる飛躍のための宿題として、選挙後、点検し、ただちに新しい挑戦を始めている。
 
 「病気が精神病院で超克されるとは思わない。私たちは外部社会で病気にうち勝たなければならないし、それは社会が変わることでそうなるのだと思う」(イタリア・トリエステの教訓) 
                  2002.2 記

「街」弾圧②ー公安警察に徹底弾劾の嵐!
6・2記者会見


動画 「こころ病んでも」 2003年

以下、2010年「街」日誌より
10月29日(金)
10・29全国大フォーラム日比谷屋音
11月派、入り口で11・7労働者集会の大情宣活動を展開!
「街」分会、総決起、「街」リーフレット2時間で3000枚撒ききる
10.29全国大フォーラムに、15人でビラまきに行ってきました。
会場に着くと、スタッフや、当事者がどんどん入っていきます。
前日に練習した「障害者自立支援法反対」の歌を歌いながら、リーフレットをまきました。
「共同作業所を守ろう!」と、声をかけると、「それ、ください」と、受け取りに来てくれる人もいました。用意していた3000枚を撒ききりました!!

会場の中は、人がたくさんいる割には盛り上がりがなく、拍手もまばら。
発言した厚生労働省の政務次官に、「帰れ!」と、野次が飛んでいました。

すぐそばに居た「利用者」らしき人が「帰りたい!」と言うのに、スタッフと思われる人が「これが今日の仕事だよ。帰るとお昼ご飯が出ないよ!食べるにはここに居るしかないよ」と説得、しぶしぶ参加の利用者。これじゃぁ、会場が満杯でも意味がない!障害者は救済の対象なんかじゃない!!社会を変革する主体だ!

「障害者自立支援法反対リーフレット」を3000枚撒ききった「街」の仲間は、ものすごく元気です!!盛り上がっています!

撒ききったことで、自信にあふれ、充実感・連帯感がみなぎっています!
今日は、これが「団結」をより一層つくり出した一日でした!!

10月28日(木)
 明日の「10・29全国大フォーラム」に向けて3000枚の「街」ビラの帳合をします ビラは ↓ に
明日の「10.29全国大フォーラム」にむけて、みんなで「自立支援法反対リーフレット」の帳合いをしました。3000枚!!何時間かかるか・・・と思いましたが、団結の力であっという間に終わりました。
 
明日のビラまきに参加したい!と駆けつけてくる仲間もいて、仕事の後は、交流会。
作業所の話、生き方の話、いろいろ討論して充実した一日でした!!
 
明日は、早朝からビラまき!皆燃えています。
以下、アンケート回答の内容を紹介します。

●まだ、障害者自立支援法の法内施設に移行していない44カ所より抜粋
< 2 >作業所の「法内移行」実態調査アンケート結果発表!

共同作業所の現状はどうなっているのか。それを知る所から始めてみよう、ということで、私たちは、東京都内の作業所を中心にアンケート調査をしました。アンケートを送付したのは、約300ヶ所。このうち、73ヶ所から回答がありました。(8月下旬に送付。10月10日までの集約分)ほとんどの作業所で「法内施設に移行することに反対」という意見でした。

・就労ばかりが強調されている。
・廃止が決定しているのに、移行しなければならないのに、納得できない。・実態とかけ離れている法だ。という意見が多かったです。

・膨大な事務量の増加が、職員を労働強化に追い込んでいる、という回答がほとんどの作業所から寄せられています。これが、一番多かった問題点です。
・作業所職員が、常に作業所の収入増を求められる。
・作業の受注に追われる。
・待機者を作らないようにしなければならない。ものすごい重圧と矛盾が作業所の職員にのしかかっていることが見えてきます。法内施設に移行していない44
・移行に反対33
・移行に賛成1
・意見なし10

法内施設に移行済み29 移行はしたが、今後が不安26
・政府は廃止と明言しているのに移行しないと補助金を切るとは全く得心が行きません。うちの作業所は多くが短期(1年程度)の利用で、時々により利用人数の増減が激しく、法になじまないと、都には話をしております。

・地域活動センターの要綱が精神の共同作業所向けに全くできてなく、移行先の受け皿が事実上ないことです。区は無理矢理B型移行をすすめてますが……はてさて、です。・国・都・区・市などの言う事にただうなずくだけではより良い福祉にはなっていかない。これからは、私たちが手をとりあい社会に訴えていく必要があると思っています。

・区に対し、移行する気はないと明言しております。「断固反対!!」
・障害者の実態とかけ離れた自立支援法です。
・区との話し合い、区の意向に左右されるこわさがあります。
・うちは、当事者(メンバー)とスタッフがお互いになくてはならない相手としてパートナーシップの関係で心の居場所をつくってきました。障害者自立支援法には全くな

●自立支援法の法内施設に移行している29カ所より抜粋じめない理念を高めあって23年間やってきたのです。
★すでに法内施設に移行したところからも、たくさんの「自立支援法反対」の声が上がっています。自立支援法に賛成だから、法内施設に移行したわけじゃない、ということです。まだ、移行していないところも、移行したところも、いっしょに障害者自立支援法廃止に向けて、闘いましょう!

< 3 >
じめない理念を高めあって23年間やってきたのです。
・区、都からはH23年までの移行を、と言われてきていますが、現状法内への移行が可能か、経営的にも多くの課題を抱えています。法人全体で検討を積み重ねていく必要がある段階です。又、法内施設への移行が利用者支援にとって、そこで働く職員にとって最善かは疑問が多く残ると考えています。お互いに多くの問題を抱えていますが、当事者、地域にとって本当に意味の有る活動の場づくりを進めていきたいですね。

・廃止が決定しているにもかかわらず、移行しなければならないのは納得がいきません。
・事務処理が増えた。利用者に不安を軽減するのが大変であった。何度も学習会やミーティングを行ったが完全に不安をなくすことはやはり無理だった。

・職員数を減らし、作業場を整備し、人員配置を効率化したが、以前に比べゆとりはなくなった。
・法律の根本的考え方、(受益負担)がそもそも最大なる問題なので収入増になっても喜べません。私どもは大きな社会福祉法人に入っているので常に収入増をもとめられ、とにかく待機者を作らないで入所させなさいとの命令があり、スタッフや空間が広がる訳ではない中で、利用者ばかり増え、ケアが希薄になってきています。作業の受注も大変で、ますます職員は多忙になります。

・なんでもかんでも就労(作業)させろ、という都の指導方針が問題です。民主党はもっとしっかりすべき。今後が不安です。
・行政はやはり就労の事にばかり評価の目が向いている。しかし、実際に作業所等に通っている方々で就労が現実的に検討できる方は5%もいないでしょう。症状が消失しておらず不安定な状態の方々が多い精神障害の方々を中心としてそれに乗れる人達だけを対象にして行くのであれば楽であるが、それに乗れない大多数の方々をどうしていくかが問題となる。

・気をつけないと、福祉的視点を見失うことになりかねない。
・通所率でいつも(毎日)がヒヤヒヤものです。日払い制ではなく月カウントの最低通所日数制にでもしてほしいと思っています。
・精神障害者の作業所ですが、利用者の通所にムラがあり、又、就労移行支援の方の確保に日々頭を悩ませています。
・当施設において法内施設に移行して、よかった点はほとんどありません。当施設は無理をしてNPO法人になったところです。現在借りている場所も、お金を数百万かけカフェやリニューアルしましたが無理にNPO法人(自立支援法に基づき)を
立ち上げたことに現在数多くの問題をかかえております。
・軽減措置はあるものの利用料があることについては断固反対です。また就労系は併用できないのでニーズに柔軟に対応できず、他サービスの矛盾を感じています。

< 4 >障害者自立支援法の法内施設に移行するとは、どういう事なのか。私たちは、担当の練馬区障害者施策推進課に話を聞きに行きました。障害施策推進課の説明によると、あと一年半のうちに練馬区内全部の作業所を法内施設に移行させる、ひとつも残さない、とのこと。担当者は、今「オープンスペース街」が自立支援法の法内施設に移行すると、こんなに報酬が増えますよ、と、試算表まで用意していました。練馬区側としては、「報酬額アップ」しか説得できる有利な点がない、ということなのでしょうか? 移行後の問題点・職員の労働強化についてなどは、一切説明されませんでした。こうした取り組みやアンケート結果などを通して、私たちは「自立支援法への法内移行」について、以下のように考えます。

作業所の報酬額が増えることは利用者の利用料が増えることを意味しています。利用料は報酬の1割負担。現在は負担上限枠が設定されていますが、それもいつ撤廃されるかわかりません。そうなると作業所に一回通うと630円が利用料になります。利用者は、働いているのに給料をもらうどころか、お金を払わなければならないのです。

こんなのは絶対にまちがっています!障害者自立支援法は介護保険と同様、医療・福祉削減を目的とした法です。資本主義が完全に行きづまった74=75年不況以降の80年代からずっと考えられてきた社会保障の切り捨て策です。しかしそれは単なる削減ではありません。

公的責任の下にあった福祉を徹底的に民営化・外注化し、企業が参入できる市場を新しく作り出しました。そこでは働く労働者を登録やパートの非正規に切り替え徹底的に搾取し、利用者からも収奪を強める仕組みに作りかえます。国の補助金を撤退させ、最終的には地域主権の名で全部廃止し、福祉を丸ごと商売に変え投資家が稼げるように作業所などの姿も変えられようとしています。福祉の民営化・外注化は実は企業の下請け化であり、民主党政府はその流れを一貫してサポートしています。

民主党政府は「自立支援法を廃止する」と言いますが、では民営化・外注化はやめるのでしょうか?政府はそんなことは言っていません。人々に貧富拡大をもたらす福祉の売買を中止させることは、必要な人に必要な福祉を無条件に提供する社会を本気で作りだすこと以外ありえないからです。そのためには搾取をなくし、労働者が人らしく生きられる社会を取り戻す闘いが必要です。

しかし民主党政府は「国民が許さない、資本家が許さない」と反対しています。

●練馬区の担当者に会ってきました
①「応益負担の利用料」について
②これは福祉の民営化・外注化だ
③さらなる改悪の新法=総合福祉法とは…

< 5 >では総合福祉法とは何でしょうか。自立支援法の民営化・外注化を引きついだ、さらなる改悪です。谷間を埋めると言いますが、福祉全体を個人契約万能で“個人の能力しだい、権利の主張しだい”という適者生存原則に切り替えます。「商売である福祉」「納税者への見返りとしての福祉」「就労訓練としての福祉」に参加しなければ福祉が得られないという新たな能力主義を発生させます。そこでは「自己決定権」は福祉の商売化のために積極的に広められています。また「差別禁止法」は国家や企業の責任を回避して「個人救済」へとレベル縮小させます。

「施設隔離反対」が叫ばれますが、しかしその言葉とは裏腹に、家族や労働組合、地域生活で社会的に存在してきた障害者と労働者の団結を解体し、介護給付などをめぐっても一部の「能力ある障害者」を参画させながら、地域でのボス支配に道を開きます。

自立支援法に代わる総合福祉法は、新自由主義の徹底化を叫ぶ悪法です。
共同作業所は、1963年、「柱1本持ち寄って、じぶんたちの手で障害者の働く場を作ろう」と作業所第1号が誕生。また、それまで福祉の光の当たらなかった精神障害者・第1号の共同作業所は、1976年に誕生しました。

共同作業所は、障害者と家族が地域で生きることを目指して闘いとってきたものです。実際に、全国の共同作業所の多くは無認可の状態で出発。その後、行政からの助成が始まりました。

個性豊かで、小さくても、それぞれの理念を掲げて運営されてきた共同作業所を守りましょう! どこまでも弱肉強食の「競争原理」を持ち込んでくる「障害者自立支援法」そしてその後の「新法」も廃止にさせましょう!!

法内施設に移行すると“作業所の報酬額を上げる”ために、職員に大きな負担がのしかかってきます。「作業所に対する報酬」の日払い制です。利用者の出席率に応じての報酬ですから、日々、利用者を確保していかなければなりません。不安定な「報酬額」収入となり、常に作業所の「利益」を上げるために、利用者をたくさん確保することが重要ということになります。利用者確保のために“仕事”をとってくる“営業”までもが、作業所の職員の仕事になります。とんでもない労働強化です。
自立支援法の法内施設では、月々の報酬額の請求事務が以前に比べて膨大に増えて、これも職員の大きな負担になっています。

利用者と向き合う時間がなかなか取れない、何のために働いているのか分からないほどだ、という職員の声も多く聞かれます。職員の皆さん、利用者の皆さん、力を合わせてこの「障害者自立支援法」を、そしてその後の「新法」も廃止させましょう!!④職員の負担が増大します
●みんなの力を合わせて、共同作業所を守ろう!

< 6 >「今の作業所をやめて、障害者の雇用を支援している施設に行こうか、と迷っているけど、自分はそこに行くほどは、働けないんだ。」働ける障害者になることをめざせ、働けてこそ1人前だ、そんな価値観は間違っている。企業の求める“人材”に育て上げられたうえ、都合よく働かされて、安い賃金でこき使われるだけだ。就労が何より優先される障害者自立支援法の「法内施設」の作業所では、自分のところの実績を上げるために、とにかく、利用者を就労させようとする。そしてその矛盾は全部利用者にのしかかってくるってことだ。「今の作業所が合わない」と言っている利用者『毎朝、朝礼で「社訓」を大声で言わされる。イヤだったけど、覚えさせられた。今ではスラスラ言える。そのあと、きのうのこと、昨日何をやっていたか、言わされる。それから、作業に入るのだか、とにかく就職できることが優先。仕事ができるか、できないかで判断される。できる人間にならなきゃいけない、就職が目標のところだから。

今の責任者になってから、ここの就職率が、グッと上がった。経営の側も、それが実績になるので、かなりこだわっている。
就職したって、障害者枠、でのこと。ボクは一生、障害者のレッテルを貼られて生きていくなんてまっぴらだ。旅行に行きたいんだけどって、スタッフに相談したら、3日間、まじめに働けたらよいよって言われた。なんでいちいち許可を取らなきゃいけないんだって思ったけど、旅行に行きたかったから、遅刻もせずにがんばった。がんばるしかない、と思わされている。
一緒に働くメンバーも仲間なんかじゃない。ライバルだ。ストレスがすごい。

あんまりつらいので、今この作業所をやめようか、どうしようか、迷っている。「法内施設」で就労目的の施設に通っている利用者「障害者枠」で働く、とは何なのか? 企業の側は、安く障害者をこき使うために「特例子会社」を作って、本社とは別の給与体系で障害者を雇う。でも、グループ傘下なので、企業全体としては障害者を雇っているという「実績」になる。だからこれで、企業は国からの助成金が受けられる。

「特例子会社」を作るノウハウを教える事業を始めたところまである。認可を受けるための方法を助言するほか、障害者に任せる事業の選び方などを伝える。価格は、1社あたり、100~400万円!!ここは「障害者雇用を支援している」として、東京都が最大800万円助成する「東京都地域中小企業応援ファンド」の対象にまで選ばれている! なんてこった!!!

< 7 >皆さん、こんな法律はおかしいと思いませんか?
法内施設に移行していないところも、すでに移行したところも、「障害者自立支援法反対!」で共に立ち上がりましょう!!
私達が立ち上がれば、障害者自立支援法もその後の新法も廃止にできます。作業所の闘うネットワークを作りましょう!

障害者は救済の対象なんかじゃない!障害者とは、何でしょうか? 歩けない、見えない、聞こえない・・・、あるいは、精神的な“障害”を持つことは、いつでも、誰にでもありうることなのです。そこへ「障害者」という概念を持ち込んだのが、資本主義の社会です。資本主義の社会は、労働者を労働力商品として徹底的に搾取して、成り立っている社会です。生きている一人一人を「労働力商品」として扱い、お互いを競争させる。資本にとって、「儲け」をたくさん生み出せる労働者に「価値」があり、「儲け」を生み出さない労働者には価値を認めない、ということです。

「生産能力」があるとかないとか、そんなことで人の価値が決まるなんてことがあっていいはずがありません。それは資本家が労働力を商品化し、支配するためにつくった勝手な尺度です。障害者は職場・学校・地域から、排除・分断隔離され、社会共同性を奪われてきました。人間をモノ化する資本主義だからこそ激発する「精神障害」に対しては、社会防衛論を振りかざして、治安弾圧で押さえ込もうとしています。

こんなことは、絶対に認められません!人間的屈辱でしかない健常者との“区別”。また、「生産能力」のなさを強調されたあ
げく国からの救済措置の“許可”を申請しなければ生きられない存在とされること。この仕組みそのものが、限りなく人間としての誇りを踏みにじるものです。障害者は、治安弾圧の対象でもなければ、救済の対象でもありません。自己解放の主体です。人として生きさせろ!!ということです。差別・分断を打ち破り、真の人間的共同性を奪還する闘いに、共に立ち上がりましょう!!

「障害者自立支援法」も、その後の「新法」も、廃止にさせましょう!障害者自立支援法の後に、私達にとってすばらしい「新法」ができるでしょうか?闘わない労働組合幹部と一体となった資本家政府としての菅民主党・連合政権に協力して、労働者の解放も障害者の解放もありません。

障害者解放、それは競争と分断、差別と排除、すべての労働者を「商品化」することで支配する資本主義社会を根底からひっくり返すことです。

障害者も労働者階級の一員です。労働者階級の人間としての誇りに満ちた自己解放闘争こそ、固い団結をつくり出し、資本主義社会を根底からくつがえすことのできる力です。障害者の解放は、この労働者階級の解放の中にあります。

障害者差別の根幹をぶっとばしましょう!!こんな社会に怒りをぶつけていきましょう!※まずは交流と意見交換から始めていきましょう。連絡をお待ちしています!
< 8 >
9月24日(金)
「作業所に通っている、」という人が遊びに来た。
「今の作業所が合わない。」
「障害者の雇用を支援している施設に行こうか、と、迷っているけど、自分はそこに行くほどは、働けない。」という。
 
働ける障害者になることを目指す、働けてこそ1人前だ、そんな価値観は間違っている。企業の求める“人材”に育て上げられたうえ、都合よく働かされて、安い賃金でこき使われるだけだ。
 
「実習で3日間、働いたけど、その分の工賃は無しだったんだ」
就労が何より優先される障害者自立支援法の「法内施設」の作業所では、自分のところの実績を上げるために、とにかく、利用者を就労させようとするが、矛盾は全部利用者にのしかかってくる。
 
「障害者枠」で働く、とは何なのか?
 

企業の側は、安く障害者をこき使うために「特例子会社」というのを作って、本社とは別の給与体系で障害者を雇う。でも、グループ傘下なので、企業全体としては障害者を雇っているという「実績」になる。だからこれで、企業は国からの助成金が受けられる。
 
「特例子会社」を作るノウハウを教えます、という事業を始めたところまである。ここでは、企業が特例子会社の認可を受けるための方法を助言するほか、障害者に任せる事業の選び方などを伝える。価格は、1社あたり、100~400万円!!
ここは「障害者雇用を支援している」として、東京都が最大800万円助成する「東京都地域中小企業応援ファンド」の対象にまで選ばれている!なんてこった!!!

9月17日(金)

 だ  ん   け  つ 2010年9月17日
№450
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

電話 3928-1378

障害者自立支援法 反対!
9月8日(水) 

午後、自立支援法のアンケート

をもらった施設

を訪問して、交流・意見交換して

きました。職員は若い労働者でした。
 「障害者自立支援法反対アンケート」へ回答をくれた作業所へ、返信を送りました。
みんなの協力で、73の作業所へ、やりきりました!
 
そして、今日は「自立支援法反対」と、書き込みを送信してくれた近くの作業所へ訪問。
そこの職員と交流を持つことができました。
その作業所は、活動内容がまったく「障害者自立支援法」の枠には収まらないもので、「自立支援法の法内施設」に移行するなど、考えられない、ということでした。
とにかく、一歩、一歩、「闘う作業所の団結」を作るために前進です!
9月16日(木) 午後、自立支援法絶対反対、東京都作業所行脚、第2弾
 「闘う作業所のネットワークを作ろう!」と、作業所訪問第2弾!
今日は、渋谷区にある作業所に行きました。ここは、渋谷区の中でも数少なくなった、「障害者自立支援法の法内施設に移行していない」作業所です。アンケートに「自立支援法反対!」と回答をしてくれた所です。
 
この作業所が「自立支援法反対」の理由:
・うちは利用者が10人。これ以上増やせない。(作業所の広さから見ても、ここに20人の利用者が居たら、危険。オーブンや、ミキサーがある。これ以上は無理!)
(法内施設に移行するには、20人の利用者が居ることが条件なのです。)
 
・働いている人から、利用料をとるなんて、間違っている!
 
「自立支援法の法内施設に移行しないと、補助金を打ち切る」と、練馬区から言われていることを話すと、「渋谷区は、それは言われていない」そうですが、「そのときは一緒に立ち上がりましょう」と意見が一致。利用者も、家族も一緒に反対していきましょう、とのこと。
「街」がミーティングで毎日討論していること、「障害者自立支援法」に絶対に反対であること、を話しました。
 
帰り際、「共にがんばりましょうね」と声をかけてくれました。
 ここにも、一緒に闘える仲間がいます。「障害者自立支援法絶対反対」で闘う作業所のネットワークを作ろう!

ある職場での闘い 物販・職場闘争・動労千葉を支援する会結成へ
 何から始めれば良いのか? 
 反合・運転保安闘争路線の職場実践といった場合、必ずしも全ての職場・生産点で今日、明日から反合・運転保安闘争が実践できるわけではない。そもそも職場に労働組合がない。あっても御用組合であったり、少数組合であったり。いずれにせよ職場闘争の条件がきわめて困難でかつ、圧倒的に孤立している状況から始めなければならない場合がたいていだ。そうした場合、いったい何から始めれば良いのか?それが動労千葉物販闘争だ。
 
雇い止め
 ある地区において、物販闘争を契機にして職場闘争をつくりだし、動労千葉を支援する会の結成に成功した典型的な例が報告されている。

 その職場は、全労連に属する自治体職場で、歴史的に日共支配が強力に貫かれてきたところだ。その職場においてA同志たちは、日共系組合執行部にによる悪質な過激派キャンペーンに屈することなく、動労千葉物販を職場で取り組み続けてきた。

 その職場で昨年、学校給食の「受取調理員」を現在の臨時的任用職員としては一旦雇い止めにし、日々雇いに転換するという攻撃が開始される。「受取調理員」というのは、給食センター発足にともない各学校の調理員を合理化する過程で、調理員を配膳係として各学校に1名ずつ残すことで雇用を保障したものだ。当初は全員正規職員だったが、徐々に非正規に置き換えられ、現在では全員が非正規職である臨時的任用職員になっている。それでも臨時的任用職員は、非正規だが月給制で一時金や有休など一定の保障がある。これをさらに文字通り何の保障もない日々雇いに置き換えるというのだ。
こんな侮辱があるだろうか?
 給食の配膳は「受取調理員」一人では無理なため、現実には学校用務員たちが手伝うことで成り立っていた。ところがこれに対して市当局は、「用務員は汚れているから衛生上問題だ」と言い放ち、「受取調理員」を全員一旦雇い止めにし、何の保障もない日々雇いにして人件費を削ることで要員を各学校2名に増やすというのだ。

 「用務員は汚れている」こんな侮辱があるだろうか?これに対して学校用務員労働者たちは「俺たちをダシにして受取調理員さんたちを雇い止めにするとは何事だ!」と怒りの声をあげた。だが組合は日共で何もやらない。「受取調理員」は臨時職員で組合員ではないからと。そこで物販を長年やり続けて有名人となっていたA同志たちの下に、組合員である用務員労働者たちからこの話が持ち込まれた。
正規、非正規一体となった闘い
 こうしてA同志たちの下で、学校用務員と「受取調理員」が一体となった職場闘争が開始される。それは正規、非正規一体となった闘いであった。この過程で同時に、動労千葉を支援する会が職場で作られていく。この組織化で重要な役割をはたしたのが、『日刊動労千葉』であった。何故なら『日刊動労千葉』こそ、動労千葉の反合・運転保安闘争路線を最も体現した機関紙だからだ。
雇い止めを撤回 
 この闘いの結果、ついに「受取調理員」に対する雇い止めを撤回させ、今までと同じ条件の職場を保障させるという勝利を勝ちとった。今では「物販のAさんたち」としてA同志たちの下に、様々な職場の諸問題が持ち込まれるようになっている。A同志たちと支援する会が、闘わない組合執行部に代わって労働組合の機能を果たすようになってしまったということだ。
1047名解雇撤回の旗印
 ここで総括として重要なことは、A同志たちが職場で旗を立て続けたということだけではなく、何よりも動労千葉物販を自分の旗印としたことだ。旗には旗印が必要だ。何故なら日共も協会派も全ての党派が旗は、たとえ偽りの旗であっても立てているからだ。だから一目瞭然で自分が何者であるかを表現する旗印が必要だ。それが1047名解雇撤回の旗印であり、その職場での実践が物販闘争だ。

 A同志たちの職場における闘いの展開こそ、1047名解雇撤回闘争の本来あるべき姿を示している。1047名解雇撤回闘争は、国労本部と4者4団体指導部の誤った路線の下で職場・生産点から切り離され裁判闘争に切り縮められてきた。本来1047名解雇撤回闘争は、物販闘争としてこそ闘われ発展するべきものだ。

 A同志たちの闘いは、決して偶然的なものでも単発的なエピソードでもない。物販闘争を切り口とした職場闘争の発展は、23年間一貫して展開されていた。ただ教訓化されなかっただけだ。
物販闘争の意義 
 中野顧問は1047名の存在を「日本の労働運動の宝だ」と評価し、「鍛えぬかれた一千名の専従オルグを擁する労組になったと位置づけ、全国に闘争団の仲間たちを配置し闘いを組織すれば、国労は間違いなく戦後最強の労働組合になるし、労働運動全体の否定すべき現状をぬり変えることも不可能ではない」と正しく階級的に位置づけていた。そしてこの1047名による、労働運動全体の否定すべき現状をぬり変える闘いが物販闘争なのだ。
  
 国鉄闘争全国運動とは、物販闘争を通して労働運動全体の否定すべき現状をぬり変える闘いに、われわれ動労千葉派が全面的に打って出るということだ。
支援する会結成
 ここでもう一つ重要なことは、A同志たちの闘いが職場に支援する会を創り出す闘いとして結実したということだ。ここに勝利の核心がある。総評が解散し既成の労働組合が闘えなくなるなかで、総評の存在を前提とし、総評内左派として登場するあり方はもはや通用しない。われわれ自身の手で、闘いと団結をつくり出す以外に道はない。その場合、動労千葉を支援する会が、A同志たちの職場においてそうであったように、闘わない組合執行部に代わるもう一つの労働組合としての役割を果たすということだ。

 全国の職場に「動労千葉を支援する会」を組織しよう。支援する会こそ労働組合結成のための、あるいは組合執行部を握っていくための職場フラクションだ。「組織!組織!組織!」のカギは、動労千葉を支援する会の組織化だ。支援する会の組織化なくして、国鉄闘争全国運動の発展はない。運動だけが組織と無関係に、無限に発展し続けることはない。 「組織!組織!組織!」という事柄が、情勢や運動のあり方と無関係に成立することはありえない。運動論と組織論は表裏一体だ。今日の情勢において、国鉄闘争全国運動が運動方針であることが偶然でないように、組織建設が支援する会の建設として打ち出されているのも決して偶然ではない。それは歴史的必然であり、支援する会の組織化なくして、全国運動の本格的発展はありえない。

9月7日(火)
換気扇の掃除をします
わさび漬けの差入れ 自立支援法撤廃アンケートをいったん集約し、各事業所に返信
「自立支援法反対アンケート」に回答をくれた作業所に手紙を送ること。
さっそく、みんなで分担して発送作業をしました。
分かりやすいように、アンケートの回答を表にまとめました。
 
自立支援法の法内施設に移行していない作業所44ヶ所のうち、
「移行に反対」がなんと33もあります。
 
法内施設に移行していない 44
移行に反対   33
書き込みなし  10
賛成        
・移行しないと補助金を打ち切る、というのには納得できない。
・国の言う事にただうなずくだけではより良い福祉にはなっていかない。
 これからは私たちが手を取り合い社会に訴えていく必要があると思う。
・「断固反対!」
・就労ばかりが強調されて、その人らしさが大切にされないので反対。
・廃止が決定されているのに、移行しなければならないのには納得がいかない。

法内施設に移行している  29
 
移行したが、不安 26
膨大な事務量の増加。(26ヶ所))
・職員を減らし、作業場を整備し、人員配置を効率化したが、以前に比べゆとりがなくなった。
・当施設においてよかった点はほとんどない。
・就労ばかりが評価されるが、就労が現実的に検討できる人は5%以下。その他の大多数の人をどうしていくのかが問題。
・作業の受注が大変。職員がますます重労働になった。
・通所率で毎日がヒヤヒヤもの。
 
この、作業所と団結を作ろう!
闘う作業所の団結をつくり出そう、と話し合いました。

月2日(金)
自立支援法反対アンケートに寄せられた回答を、まとめました。
 
東京都内の小規模作業所(小規模通所授産施設は含まれない)約1500ヶ所
の内、2010年7月1日現在で
障害者自立支援法の法内施設に移行済みの所……   600ヶ所(40%)
障害者自立支援法の法内施設にまだ移行していない所……900ヶ所(60%)
 
今回私達の「障害者自立支援法アンケート」
約300ヶ所に配布(都内)のうち、8月31日までに来た回答……67通
 
①法内施設に移行していない所……40ヶ所
  そのうち、移行の準備をしていないところ……13ヶ所
             しているところ…… 27ヶ所
 
②すでに法内施設に移行している所……28ヶ所
 
①の、「まだ法内施設に移行していない所」の意見(抜粋)
    スペースの確保が難しい
・ うちは    時々により、利用人数の増減が激しく、法になじまない。
    この法は、精神の共同作業所向けにできていない。
    移行先の受け皿が事実上ない。
    ただ、国の言うことに、うなずいているだけではより良い福祉にはならない。
    社会に訴えていく必要がある。
    障害者の実態とかけ離れた自立支援法だ。
    とても賛成できない。
    利用者の実態や生活とかけ離れている。
    就労だけが強調されていて、自治体として「何をしたい」「何をすべきか」という思いはないようだ。
    うちは「障害者自立支援法には全くなじめない理念」を高めあって23年間やってきた。心の居場所を守り   たい。
    撤廃あるのみ
    自立支援法は働くことができる方たちのための法で、一人一人がその人らしさを大切にして暮らしていく   ことを守り保障される法ではないので、廃止を望んでいます。 
②の、「既に法内施設に移行した所」からの意見
    ほとんどの施設で「事務の量が膨大に増えた」という意見。請求事務に手間がかかり、人件費もかさみ、  人手がとられる。このために、利用者への支援の質が下がりかねない。という意見も目立った。
    スタッフや空間が広がるわけではない中で、利用者ばかりが増え、ケアが希薄になってきている。
    就労のことばかり評価の目が向いている。しかし、現実的に就労が検討できる人は5%もいない。残りの   大多数の人達をどうしていくのかが問題。
    利用者の中に、自己負担が発生したために利用を中止した人がいる。
    安定した収入にならない。通所率でいつも(毎日)ヒヤヒヤものです。(日払い制)
    利用料に断固反対。
    利用者イコールサービス受給者ということに、双方違和感をおぼえる。
    当施設において、良かった点はほとんどありません。
    自立支援法に基づくNPO法人を無理に立ち上げたことに現在多くの問題をかかえている。
 
法内施設に移行してよかった点としては、
・事業所の収入が増えた。というのがほとんど。(これしかないくらいだ!)「しかし、収入が安定しているわけではないので、不安がある」、と続いているところも多い。

8月26日(木)
「自立支援法反対アンケート」の回答が60件に迫る勢いです。ものすごい数です!!
改めて、作業所で働く労働者の皆さん、忙しいなか回答をいただき、ほんとうにありがとうございます!!
 
なかでも、自立支援法の法内施設にすでに移行した作業所からの、怒りに満ちた回答が驚くほど多いです。
「利用者の出席人数が、今日はどれくらいか、毎日毎日ヒヤヒヤです」
(国から作業所に支払われる“報酬”が利用者の出席率に応じた日割り計算なので。)こんな書き込みもあります。
 
小規模でも、大きな誇りをもって運営している作業所がたくさんあります。こんな作業所に今、新自由主義攻撃がかけられているのです。それぞれが特色をもち、個性あふれる各作業所を絶対に守りましょう!労働者の団結で「障害者自立支援法」を廃止させましょう!!
「闘えば勝てる!」

8月25日(水)
「自立支援法アンケート」の回答
「自立支援法反対アンケート」の回答がバンバン寄せられてきます。
今まで、都内300通ぐらいアンケートを配布しましたが、回答がなんと、40通近く、来ています。
忙しい中、答えてくださった作業所のみなさん、ほんとうにありがとうございます!!
 
まだまだ、来ると思うので、もう少ししたらまとめてみますが、やはり、現場には怒りがあふれています。
自立支援法の法内施設に移行したところも、移行していないところも、この法に大賛成、というところはほとんどありません。
それどころか、この法に対する怒りや反対意見がたくさん送られてきています。
 
夜、7時半、8時、そんな時間に回答がFAXされて来ます。
こんな夜遅くまで、残業しているのか!と、愕然とするほどです。でも、これが作業所の、福祉職場の労働者の現実です。昼間は利用者に向き合う為や、作業所の業務に忙しくてアンケートに答えるなんていう時間は取れない、ということなのでしょう。事務に追われる、厳しい労働の現状が見えてきます。事務の量が法内施設に移行したら2倍になった、と回答してきているところもあります。
 
職場の、社会の、主人公は労働者です!労働者の団結で、自立支援法を、そしてその後の「新法」も廃止させましょう!!
闘う作業所の団結を作りましょう!

8月18日(水)
「私、うつ になっちゃったかもしれない」
と言って、「街」に来た人がいる。
古くからこの「街」にお客さんとして来ている、介護の福祉労働者だ。

娘さんが大学に通っている間は、2人暮らしで、「娘に金がかかる」、とか「勝手なことばかり言う」とか、「街」にはいつも、愚痴を言いに来ていた。その娘さんが自立して親元を離れると、今度はさびしくて、うつになった、という。

仕事もきつい。ヘルパーの仕事を2つの事業所かけもちで働いているが、時給で850円。お金が貯まらない。 (これも落ち込む原因のひとつだ!)
住んでいる部屋の、上の階の人がわざと、足音をうるさくして歩く。「バタバタ、バタバタ、うるさい。私にたいする嫌がらせかしら・・・」 (ひとりでそんなことばっかり考えているから、どんどん落ち込む)

あんまり、具合が悪いので病院に行ったけど、わかってもらえなかった。「なんで、ウツになんか、なっちゃったんだろう」

人は、悲しいとき、気持ちが落ち込むのは当たり前のこと。そんなときは、いつでも「街」に来て、話をしようよ。一人で考えていてもなかなか(そういう時はなおさら)いい考えは出てこないよ。・・・などと、じっくり話しているうちに、ちょっと元気になってきた。
資本にたいする怒りを持つことで、かなりすっきりしてきた。

搾取された労働の毎日。低賃金でおまけに重労働。一緒にこんな社会をひっくり返そう。労働者の解放をかけて、一緒に闘おう。

たくさん話して、たくさん笑った。

8月14日(土)
「街」分会日誌
 夏休み明け初日。 8・6ヒロシマに参加したHさんから、“すごかった”報告があったり、きのうの団結バーベキュー大会に参加した人の報告・感想があったり、みんなの夏休み中の「報告」でミーティングは大いに盛り上がりました。

 「障害者自立支援法反対アンケート」の発送も再開されました。
少しずつ、発送しているのでまだ三十数通おくっただけなのですが、なんと、回答が5通も来ています!
自立支援法の「法内施設」に移行したところも、していないところも回答を寄せてくれています。共通するのは、どこも、この法に反対の立場がほとんど、ということです。
・移行したら、事務の量が膨大に増えて困っている。
・移行には反対。
・補助金(収入)が減って安定した運営が危機になっている。
などなど・・・・

 もっと、多くの作業所にアンケートを発送して、意見を集めよう、とみんなの意見です。
怒りがものすごくある、と実感される、回答内容です。

 作業所・施設でネットワークをつくり、団結して「障害者自立支援法」も、その後の「新法」も廃止させよう!!

8月13日(金)
夏休み明け初日。 8・6ヒロシマに参加したHさんから、“すごかった”報告があったり、きのうの団結バーベキュー大会に参加した人の報告・感想があったり、みんなの夏休み中の「報告」でミーティングは大いに盛り上がりました。

「障害者自立支援法反対アンケート」の発送も再開されました。
少しずつ、発送しているのでまだ三十数通おくっただけなのですが、なんと、回答が5通も来ています!
自立支援法の「法内施設」に移行したところも、していないところも回答を寄せてくれています。共通するのは、どこも、この法に反対の立場がほとんど、ということです。
・移行したら、事務の量が膨大に増えて困っている。
・移行には反対。
・補助金(収入)が減って安定した運営が危機になっている。
などなど・・・・

もっと、多くの作業所にアンケートを発送して、意見を集めよう、とみんなの意見です。
怒りがものすごくある、と実感される、回答内容です。
作業所・施設でネットワークをつくり、団結して「障害者自立支援法」も、その後の「新法」も廃止させよう!!

8月7日(土)
 自立支援法反対のアンケートに、もうファクスが届きました
「自立支援法アンケート」にさっそく、返事がきました。
「街」のみんな、大喜びです。
 
返事の内容は「オープンスペース街のみなさんと、同じ思いです。
国の言いなりになっていては、良い福祉はなくなります。
ともに、がんばりましょう。」
 
これに、また、一層、歓喜!!
共に闘える仲間と、出会えた!
これで、やれる!団結して、勝てる!!
 
まだまだ、アンケートを配布し始めて2日目。ほんの一部にしか配布していないのに、早くも反応が来た、ということは、障害者自立支援法に怒っている作業所、反対している作業所が全国にどれほどたくさんあることか、いかに、この自立支援法がまちがっているか、ということです。
この、怒りを集めて団結を作っていこう。この力で、福祉の民営化に絶対反対で闘い、新自由主義攻撃と闘っていこう。
今こそ、「闘えば勝てる!!」と、確信をもって、全国の作業所に訴えていこう!

8月4日(水)
 障害者自立支援法反対のアンケートが完成しました!これを全国の作業所・施設に送ります。全国で闘う仲間と団結して、障害者自立支援法も、(廃止が決定しているので)その後の「法」も、廃止に追い込むぞ!ここから、新自由主義攻撃と闘います。
                      全国の作業所・施設の皆さんへ
                 特定非営利活動法人オープンスペース街
                  東京都練馬区関町北4-2-11
                  Tel:Fax 03(3928)1378
アンケートのお願い
  「オープンスペース街」は1993年の開所以来、17年間「精神障害者」共同作業所として続けてきましたが、2011年度内で「障害者自立支援法(現在は廃止になっている)」の法内施設に移行しなければ、補助金打ち切りと、行政から一方的に通告されています。
 
東京都内の小規模作業所(小規模通所授産施設は含まれない)約1500箇所のうち、2010年7月1日時点で移行済みは約40%、まだ法内施設に移行していない作業所は、60%もあります。

 この移行していない60%の作業所全部を「障害者自立支援法」内施設にあと1年で移行させるというのは、とうてい無理です。現在「障害者自立支援法」に変わる制度も確立していない中、あまりにも非現実的ではないでしょうか。
 
 自立支援法は、「障害者」「精神障害者」の実態とはかけ離れた予算削減を目的にした法律です。まず、就労が強調されていること、障害者もとにかく働け、働け、です。「働かせないで社会保障を与えているより、少しでも働かせれば経費削減になる」という制度です。一体全体何のための、誰のための法律なのでしょうか。
 
 つきましてはアンケートにご協力お願いします。皆さんのご意見をお聞かせください。
 
 ご回答は、FAXにてお願いいたします。 
          --------------------------------------------------------------------------------------------
自立支援法に関するアンケート 
  自立支援法の法内施設に移行していますか?
   ・はい      ・いいえ
  ② ①ではいと答えた方
 移行して、良かった点、悪かった点、教えてください。 
  ③ ①でいいえと答えた方
 移行する準備はしていますか?
   ・はい      ・いいえ
  ④障害者自立支援法について、ご意見がありましたら、お書きください。
 
                ご協力ありがとうございました。                  
 


2009年7月3日(金)
ベッキー日誌
考えてみてほしい。共同作業所とは、何を目的としたところだろうか?
就労なのだろうか?お金が目的なのだろうか?
私たちは違うと思う。私たちは、そんなものを求めて毎日「街」に来ているわけではない。

本来、作業所とは、心の安定、仲間をつくるところ、その中で今までの自分を見つめ、新たに自分の人生を歩いていけるように、周りの人や地域の人たちから学ぶ場所ではないかと思う。
世の中には、いろいろな人、いろいろな価値観がある。

社会の中で、人間関係に傷つき、疲れ果て、病になった自分、拒否されてきたじぶん、その人なりにいろいろな思いがあるだろう。
そんな自分をしっかりと受け止めてくれる安心感、自分がいろいろな価値観を学んだ中で、これからの自分を考えていく場所。
競争化社会ではないのんびりとした時間。人と話すこともない職場で生きてきても、ここでは、ありの自分をさらけだすことができ、むしろ、それができることを求められる。

しかし、お役所のやつらは、そんなことをまっ昼間からして、仕事をしていない人間は不必要だし、そんな場所も必要ない。だから、自立支援法というものをもちだし、いま、作業所つぶしにかかっている。
事実、自立支援法を考える前、実態調査というものをして作業所めぐりをし、「こんな場所に補助金なんて払うのは無駄だ」との考えをもち、とても怒ったらしい。

何故か?もちろん簡単だ!仕事もしないで昼間からだらだらしてるな!ということだ。
いま、自立支援法に求められているものと現実は大きくかけ離れている。このままでは、病を抱えているひとの唯一の居場所が奪われてしまう。
みんな立ち上がろう!声を出しておかしい!と叫ぼう。

月2日(木)
障害者自立支援法のことをもっと知ろう!!


区役所に、第二回・自立支援法の話し合いに行きます。
 7月1日(水)練馬区役所に、ハイジ、ベッキ-、りつ子の3人でいきました。

 障害施策推進課の説明によると、あと二年のうちに練馬区内全部の作業所を法内施設に移行させる、ひとつも残さない、とのこと。
今、「街」が自立支援法の法内施設に移行するとこんなに報酬が増えますよ、と、区側は試算表まで用意していた。

 しかし、作業所の報酬額が増えることは利用者の利用料が増えることを意味する。利用料は報酬の1割負担。現在は負担上限枠が設定されているが、それもいつ撤廃されるかわからない。そうなると作業所に一回通うと630円が利用料になる。利用者は、働いているのに給料をもらうどころか、お金を払わなければならないのだ。こんなの絶対にまちがっている!

 街は就労支援B型に移行するのが順当、と、区側は考えているようだが、1人当たり3㎡、利用人数20人以上が必須条件。街は狭くてこの基準を満たせない。
(自立支援法の法内施設に移行するつもりはないけど!)

 作業所に国から支払われる報酬額も利用者の出席率によって算定される。60%しか出席がないと60%の報酬しか支払われない。(日々払いの報酬というらしい)

 今回わかった問題点
①とにかく就労が強調されていること。働ける人が優れている人だ、働け!!稼いでこそ一人前だ、とでもいうのか。
②日々払いの報酬になることによって、作業所にも「経営」という概念が持ち込まれる。ほかを蹴落とすこともあり、か。不安定な経営が強いられる。
③事務の量が半端なくふえる。職員が利用者と、まともに向き合っている時間も取れない、と、法内施設に移行した作業所の職員がこぼしている。

6月30日(火)

要介護認定 新基準で4割超軽く 1次判定 6月30日15時2分配信 毎日新聞
新基準による要介護度の判定
 4月から運用が始まった新しい要介護認定の基準について、淑徳大の結城康博准教授(社会保障論)が全国15自治体の約5050人を調べたところ、4割強の人がコンピューターによる1次判定で現在の要介護度より軽くされていることが分かった。新基準は厚生労働省が専門会議を設け検証しているが、調査は利用者の不信感を裏付ける形となり見直し論議に影響しそうだ。

 調査は専門会議メンバーの結城准教授が自治体にデータ提供を要請し、認定更新を申請して5月に新たな認定が出た例を分析した。1次判定では申請者の約43%が現在の要介護度より軽度になり、現在と同じになった人は約37%、重度になった人は約20%だった。

 この結果を踏まえ結論を出す2次判定では、1次の結果をより重度に修正するケースが相次ぎ、最終的に現状より軽度と判定された人は約23%にとどまった。2次判定に携わる各自治体の介護認定審査会メンバーからは「要介護3だった人が非該当にまで下がったケースがある」「1次判定で半分以上の人の要介護度が下がり、吟味して救っている」などの報告があった。

 要介護認定では市区町村ごとのばらつきが大きいとして厚労省は1次判定基準を改定。だが利用者らの批判を受け、経過措置として現在と異なる判定が出た人は希望すれば今と同じサービスが受けられるようにしている。【有田浩子、佐藤浩】

 ◇ことば 要介護認定

 介護の必要な程度に応じて要支援1~2、要介護1~5の7段階と、非該当(自立)に分かれ、サービスの上限額が決まる。市区町村の調査員が申請者の状態を調査。コンピューターの1次判定に主治医の意見書や調査員の特記事項を加味し、審査会が2次判定する。新基準では調査項目が減り、調査員マニュアルも変更。実際の介助の有無が判定に反映されやすく、施設入所者に比べ、1人暮らしの人らが軽度に判定される傾向が指摘されている。

 すべての図書館が指定管理者による運営に
北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」 のブログから転載
 6/15の区議会文教委員会で、杉並区の地域図書館(12館)すべてを指定管理者による運営にする計画(2年間で完了)が報告されました。私が追及したのは、指定管理者の下ではたらく図書館労働者の雇用形態・労働条件について、区が一切関知していないままでいることです。指定管理者の契約は3年契約となっているので、その下ではたらく労働者は基本的に1年契約の非正規職という雇用形態です。その賃金について、区はその実態をまったくつかんでいません。これは「無責任」ってことじゃないですか!

 「サービス水準を低下させることなく、コストの大幅削減を実現」と、これまでの指定管理者の運営を総括しています。しかし、図書館の使命はそういうことなのですか?このような雇用形態の下で労働者として団結することからそもそも疎外されている図書館労働者に、どうして「図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまでその自由を守る」(図書館の自由に関する宣言)ことを求めることができるのでしょうか。ここらあたりのところを弾劾して追及したのですが、中央図書館長との質疑はいまいちかみあわないままでした。

6月1日(月)
パンフ「障害者解放」を闘いの武器に活用 町野立子
 「障害者」の共同作業所で働く福祉労働者です。「障害者解放」の創刊号を読みました。

 ここには「障害者は労働者階級の一員であり、自己解放の主体であり、革命的存在なのだ」ということが貫かれていて、私もそのとおりだと思います。「障害者」という概念は資本主義によってつくり出されたものであるし、資本家階級が労働者階級を分断するために優生思想を持ち込み、社会的共同性を奪ってきたのです!

 「生産能力」があるとかないとか、そんなことで人の価値が決まるなんてことがあっていいはずがない。それは資本家が労働力を商品化し、支配するためにつくった勝手な尺度です。障害者は救済の対象なんかじゃない、誰もが社会的生産を担う労働者であり、自己解放の主体です。

 今、私たちの職場である福祉作業所に自立支援法の攻撃がかけられてきています。この法は国の財源問題に起因していて、小泉構造改革による市場原理主義での「弱肉強食」の考え方を福祉分野に適応したものです。福祉にかける予算を削るだけではなく、社会保障制度を解体して、医療・福祉でもうけようとする丸ごと民営化=道州制攻撃でもあります。

 作業所に対して、国はあと2年の内に自立支援法の法内施設に移行せよ、期限までに移行していない作業所には補助金を打ち切る、と言ってきています。

 私たちは仲間の労働者との団結をつくるために、昼休みに『前進』の読み合わせを作業所の中で始めました。自由参加で始めましたが、全員が一緒に読んでいます。たまたま買い物に来ていた地域の労働者も仲間に入って参加することもあります。障害者自立支援法絶対反対と道州制粉砕で闘うための力強い武器として『前進』とこの「障害者解放」を使っていきたいと思います。

企業のために医療を破壊するPFI=民営化をすぐやめろ
充分な説明もなく強行された
 4月1日から、都立駒込病院がPFI(Private Finance Initiativeの略。企業の利益のために公的部門を民間に提供するための手法)により民営化された。都は利用者や働く労働者に充分な説明もなく、民営化を強行した。なぜ都立駒込病院をPFI化する必要があるのか、そしてPFI化によって病院はどうなっているのか
東京の病院がどのように変えられていっているのか
石原都政の推進する都立病院改革とは
 石原都政は2001年に16の都立病院を8病院にする「都立病院改革マスタープラン」を作った。03年、第一次都立病院改革実行プログラム(02年、母子保健院廃止、04年大久保病院、05年多摩老人医療センター、06年荏原病院を(財)東京都保健医療公社に移管)、都立病院を12に。2008年、第二次都立病院改革実行プログラム(老人医療センターを地方独立行政法人化、豊島病院を公社移管、3小児病院廃止、駒込・府中・松沢の整備にPFI導入、すべての都立病院を一般型地方独立行政法人へ)によって8病院体制へ。

 八王子小児病院(多摩西南部の高度専門小児医療の中心)、清瀬小児病院(トップレベルの高度専門医療を提供)と梅ヶ丘病院(日本で唯一の小児精神専門病院)の三つの小児病院を廃止し、2010年3月、PFIによって府中・小児総合医療センター(仮称)として開設することを3月都議会で決定した。

 なぜこうしたことが行われているのか、それは
税金を使って大企業にもうけの場を提供することにほかならない。清水建設が95%出資して設立したSPC(特定目的会社)が建設と運営を独占する。19年間、2490億円の長期巨大公共事業だ。医療センターが赤字でもSPCは都から利益を受け取ることができる。現在の3小児病院の委託費は31億円だが新センターでは50億円であり、新規大型機器の購入費は105億円になり、機器のメンテナンスは都の責任で行われる。年間のアドバイザー費用として1億円も支払われる。しかも議会への報告義務がない。

 こうした東京都のやり方は、政府による「公立病院改革ガイドライン」に沿ったものである。政府のガイドラインは①経営効率化②再編ネットワーク③経営形態の見直し。そして具体的には
①病床利用率三年連続70%以下の場合病床数の削減、診療所化
②民間も含む医療機関全体での再編
③地方独立行政法人、指定管理者制度の導入
④診療所化、老人保健施設・高齢者住宅事業などへの転換――である。

 都民や病院労働者を犠牲にし、民間大企業を儲けさせる石原都政を打倒しよう。
医療サービスは明らかに低下
次に4月からPFI化された駒込病院がどうなっているのか。
 4月1日以降駒込病院でおこっていることは、駒込病院の医療サービス提供における都の責任の低下と、その隙間に入り込んできた駒込SPC(
特定目的会社・三菱商事)が持ち込んだ様々な混乱である。この結果駒込病院の医療サービスの水準は低下している。医療サービスの明らかな低下をもたらしたPFIは、自治体責任の低下、企業の参入による労働の破壊、民営化としか言いようがない。

 都立駒込病院は40年前に作られた病院なので、プライバシーが守られない大部屋、天井が低く圧迫感がある、車椅子で洗面所が使えない、介助者が入れない外来トイレなど今すぐ改築・改修が必要だ。

 4月1日より院内清掃、MEセンター、医療作業、物流、ビル管理がSPCに渡っている。清掃を例にとると、事前説明では
①清掃のプロが
②病院清掃の専門教育を受けて
③患者さんのベッド回りの清掃も行う、であったが、

実際は
①3月まで来ていた同じ人が二病棟を受け持たされ、
②定着しないので教育しようがなく、
③人員不足で清掃に来ない日もある。この状態がすぐに契約違反にならないのは、PFIでは
仕様発注(手法を厳密に規定し安全等に自治体が責任を持つ)から
性能発注(性能を満たしていれば細かな手法は問わない)へ契約が変更されているからである。

 早晩、駒込病院PFIは破たんする。いま駒込病院で起こっている混乱は、移行期の不慣れによるものではない。労働者を安く使い、労働を破壊するPFIの本質がもたらす混乱である。近江八幡市は住民不在のPFIを導入し破産した。契約破棄にともな20億円の違約金をSPC企業に支払った。しかし、企業や自治体の責任は問われなかった。なぜならPFIに反対する運動がなかったからだ。
委託労働者と看護師の訴え
 続いて、三部の現場で働く、委託労働者と看護師が報告した。
 委託労働者。「定員が27人から17人に減らされた。就労時間が月から金まで30分、土曜日は午前中が夕方までと延びた。宿直が4人から3人へ。定期点検が1カ月から2カ月に延ばされた。

 看護師。「ベッドの回りの掃除やごみ集めもしてくれない。掃除が行き届いていないと苦情が患者さんから寄せられた。物流システムで、薬品を週3回補充するとしていたのに、週二回にするという。事務と作業係りが二人いるがこれから兼務するという。電話で連絡するとすぐに対応すると返事するが時間がかかり過ぎる。すべてのことで混乱している。こうした事態は移行期の混乱というよりPFIの本質による混乱だと思う」。
↑ 体制内労働組合の集会発言から使える点を引用した。↑「駒込病院で起こっている混乱」は日共的混乱

 新自由主義の医療福祉の民営化はすでに世界的な労働者支配の破綻点。医療福祉労働者の決起は革命の環を握っている。
Ⅰ 障害者は道州制絶対反対・自立支援法撤廃に立ち上がろう!
 1,共同作業所
共同作業所は、1963年、「柱1本持ち寄って、じぶんたちの手で障害者の働く場を作ろう」と共同作業所・第1号が誕生した。これまで福祉の光の当たらなかった、精神障害者・第1号の共同作業所は、1976年に誕生。

背景
1960-70年代前半は、政治・経済・社会の全般にわたる大きな転換点といえる時代。
・高度成長政策から低成長へ、公害反対運動、保育所増設運動・・住民運動の盛り上がり

1977年共同作業所全国連絡会(共作連)結成
6都16ヶ所・・・10年後、42都道府県300ヶ所・・・小規模作業所は、毎年およそ300ヵ所増えつづけ、全国で6000ヵ所(2004年度現在)

・全国の共同作業所の多くは無認可の状態で出発。障害者と家族が地域で生きることを目指してきた。
行政からの助成を勝ち取り、精神衛生法が精神保健法、精神保健福祉法と改定されてきた。
 2,障害者自立支援法
障害者自立支援法は、2005年10月31日に成立、2006年4月1日から施行。
従来の福祉制度を大きく変質させた。そもそもこの「法」は国の財政問題に起因している。福祉の基本理念にかかることに十分な議論の無いまま施行された。

障害者自立支援法の考え方は、小泉構造改革による市場原理主義での「弱肉強食」の考え方を福祉分野に適応したもの。その結果、障害者に大きな犠牲が強いられている。そこでは、利用者がどうなろうとかまわないという発想しかない。障害者自立支援法が障害者の「生存権」を脅かしている。

「障害者作業所」は、2011年までに自立支援法の施設に移行せよと言われている。移行しなかった作業所は指定取り消し、補助金打ち切り、つぶされる、ということ。2008年の4月の時点で、全国的にはおよそ6割の小規模作業所が自立支援法の新体系事業に移行している。また、移行先の約6割が地域活動支援センターとなっている。
一方で、都内の小規模作業所・約1500箇所のうち、2009年4月の時点で移行済みは約500箇所、そのうち、
就労支援A型は14箇所、
就労支援B型184箇所、
地域活動支援センターに移行したのは112箇所。
まだ法内施設に移行していない作業所は993箇所もある。

小規模作業所への補助金制度が存続している東京都に対して、補助金制度の廃止に伴い、望むと望まないとにかかわらず、移行を余儀なくされてしまった地方との「差」がこの数字に表れている。
3,自立支援法の問題点
①就労が強調されている。
自立支援法の就労支援施設には、大きく分けて雇用型と非雇用型がある。雇用型は、障害者を雇用する施設をつくったら、障害者に対して都道府県ごとに定められた最低賃金を確保するよう努力せよというもの。

 この最低賃金は、月額で約7万円。非雇用型は、その半分の約3万5000円を目指しなさい、というもの。とうてい無理な額だ。

②障害程度区分
106項目にわたる障害程度区分の認定調査の問題である。
高齢者が対象の、介護保険法に使う「介護認定のための調査項目」をベースにしている。そのため、さまざまな障害があり幅広い年齢層の「障害者」の障害の重さについて量るには不備な点が多い。認定調査項目がその人の障害程度をはかる適切な物差しになっていない。そもそも、障害程度を量るという考え方に根本的な誤りがある。

施設については、経営が優先されていく。従来の授産施設などが介護給付の「生活介護」という事業を選ぶ場合に、障害程度区分によってその人を支援する際の報酬額がちがう。
(就労継続支援という事業は訓練等給付なので、障害程度区分による報酬の違いはない)
施設によってはいかに障害程度を重く判定させるかの研究を重ねているところもあるという。一方、障害程度が重くなると、本人の負担が重くなるという問題も忘れてはならない。また、施設の選択した事業が、そこで働いてきた障害のある人にとって、希望どおりの事業であるのか、といった疑問もある。

③応益負担
「応益負担」とは、受ける福祉は「益」なのだから、当事者の収入によることなく受けたサービスに対して支払い負担を一律一割にするというもの。障害者自立支援法以前は、当事者の年収入によって自己負担金が決まっていた。どんな高額な医療や福祉サービスを受けても、支払能力がない人はその範囲内(応能)で負担することができた。

それが、「障害者」とその家族から「応益負担」として多くの費用を取り立て、福祉は減らそうというものにかえられた。

福祉は保障すべきものではなく、個々人が買うものとするのがこの応益負担の発想だ。

買う主体になる、これが新しい福祉の考え方で障害者自立支援法案の根幹を成すものである。みんなが買う主体になる、障害者もサービスを買う主体になる、この基本的な考え方には様々な根本的な問題がある。サービスを買う。作業所に通うのも全部益だ、とでもいうのか。

貧乏人は家族の介助なしに地域生活は成り立たない。毎日通っていた人が通所日を減らす、給食を食べていた人がお弁当を持参するようになる、利用料負担が大きいことを主な理由として、施設を退所するといった、いわゆる利用抑制の例もある。サービスを買う金が払えないなら、家の中でじっとしていろ。それが応益負担のもたらす効果だ。保障するという発想を捨てた結果である。
障害者の生存権が著しく損なわれる深刻な事態だ。

④日割りによる報酬の支払い
国が直接補助金を支給する。利用者の出席率に応じて補助金額が決まる、個別給付。運営が不安定になる。施設は利用者をたくさん集めることが経営上必要となる。

⑤新体系に移行できるのか
20名の利用者登録が必要。作業所の床面積は1人当たり3.3㎡なければならない。

⑥移行したとしても維持できるのか
就労継続支援A型の問題点
・ 報酬単価がきわめて低いこと。そのため、十分な職員体制を確保できない。
・ 地域最低賃金を保証することが重くのしかかる。最低賃金の保証に耐えうる安定した事業展開がもとめられる。
・ 「雇用契約を結び働く施設」であるにもかかわらず、利用料負担が発生すること

就労移行支援の問題点
・ 利用者が就職した後の補充が難しい。そのため、本来の事業目的(一般就労移行)を果たすことにより、事業継続が難しくなる。

・ 就職者に対する加算が、翌年の新しい利用者の利用料に反映されてしまう。(この件に対する厚労省の見解が、一般就労への移行実績の高い事業所を利用することで、就職できる可能性が高まるわけだから、その分、お得でしょうということらしい)

・ 事業所単独で、就労支援(企業開拓や面接同行、企業内支援、職場訪問等のフォローアップ)を行うことが、きわめて困難であること。

 障害者差別は人為的・階級的に作り出されているものであり、資本家階級が労働者階級を分断するために強制していることに最大の根拠がある。障害者の自己解放とは、本質的に資本制・階級社会からの解放と不可分であり、労働者階級の自己解放としての共産主義と一体不可分である。

 障害者は労働者階級の一員であり、自己を労働者階級とともに解放する主体であり、労働者階級と同じ革命的存在だ。

新自由主義の下で障害者差別、排除はより徹底して進んでいる。高齢者医療制度、年金、介護保険制度、障害者自立支援法は、市場原理「受益者負担の原則」をねじ込んで底なしの規制緩和・民営化=市場開放の突破口になっている。道州制の下で障害者は殺される。絶対に許すな。障害者は道州制絶対反対・自立支援法撤廃に立ち上がろう!
ミッちゃん メモ
福祉とは、人が個々に幸福を追求することである。
それは、日本国憲法第13条「個々の尊重、生命、自由、幸福追求の権利の尊重」においても法的に保障されている。
この「福祉」という概念が精神障害者に本当の意味で定着したのは1987(昭和62)年の精神保健法公布以降のことであり、わが国においてはたかだか20数年しか経ていないことになる。

①日本における法的歴史
1.明治時代前期
この時代、治療はもっぱら加持祈祷に頼っており、多くの精神病者が寺社などに   収容されていた。
制度としては医療に関するものと警察に関するもの2つの流れがあった。
医療に関するもの―1874(明治7)年に東京、大阪、京都の三府に発布され
た。医制第25条の癲狂院設立に関する規定
            
・1875(明治8)年に南禅寺の一角に京都府癲狂院が設立される。(その後、財政難のため民間に移管され現在は川越病院になっている。)
    
・1878(明治11)年はじめての民間病院として東京に加藤瘋癲院が設立される。
 警察に関するもの―「路上の狂癲人の取り扱いに関する行政警察規則」(1985)
 「瘋癲人.不良子弟等の私宅鎖固に関する東京警視庁布達」(1978)

「不法監禁防止に図る瘋癲人取扱心得」(1894;警視庁訓令)
病院に入院するためには「警察」が指定した医師が診察しなければ許可されなかった。

2.精神監護法 1900(明治33)年~1919(大正8)年
この法は現在から見れば「悪法」とされるが、歴史的に見れば精神障害者の人権保護を目的とした施策であった。

 1884(明治17)年の相馬事件と1899(明治32)年に諸外国との不平等条約改正に関する国内法整備が必要になったことからこの法が生まれた。この法で国ははじめて精神病者の保護に関して責任をもつことになった。

 この法の本質は欧米諸国との対等条約を結ぶにあたり、治安維持、社会防衛的な観点から精神病者の監置・拘束に関する手続き法規に過ぎず、医療の治療、人権上の保護を欠くものだった。

・1910(明治43)年―呉秀三がいた東京帝国大学医学部精神病理学教室で医員、樫田 五郎と精神病者私宅監置の調査を開始する。

 これより、精神病者の悲惨な状態が内務省に知れ1919年(大正8)年精神病院法の公布となる。
  
・精神病者の扱いは個人の責任で収容しろという収容主義がメインであり、そのため家の離れなどに裸で生活させられたり、部屋のトイレがあるなど環境は劣悪で「端的に云えば動物の飼育に似たるもの」だった。東京癲狂院においても患者60名に対して看護者7~8名という状態だった。

・各県に公的病院ができるはずだったが、財政難、1929(昭和6)年の満州事変勃発などにより大阪、鹿児島、神奈川などの数ヶ所しかできなかった。

3.精神病院法 1919(大正8)年~1950(昭和25)年
この法は呉 秀三と樫田 五郎の調査を『精神病者私宅監置の実況及びその統計
観察』というものにまとめ、私宅監置の廃止と精神病院の設立を要求し、精神監護法が精神病者の医療や保護をほとんど考慮していないという事実を指摘して、帝国会議に積極的に働きかけた結果生まれたもの

・呉 秀三―初代都立松沢病院院長
「我国十何万の精神病者は実にこの病をうけたるの不幸のほかに、この国に生まれたる不幸を重ぬるものというべし」という言葉はあまりにも有名である。
4.精神衛生法 1950(昭和25)年~1987(昭和62)年
 この法の公布の一年後に私宅監置制度が廃止される。

・1954(昭和29)年の法改正
 都道府県立精神病院への国庫補助だけでなく非営利法人の設置する精神病院へも国庫補助を行えるようにした。

・精神病院および病床の異常な増加
 1947(昭和22)年―17,196床
 1955(昭和30)年―44,250床
 1970(昭和45)年―247,265床
実に14倍である。 

・1958(昭和33)年  医療法特例
人件費の削減が可能になり、病床稼働率のアップとなった。その結果、過剰投薬・治療・長期入院など人としての権利が阻害されていく(現在も継続中)

・1960(昭和35)  医療金融公庫設立・低利長期融資の始まり、これにより精神病院設立乱立時代に入る

・1973(昭和48)年11月のオイルショックも精神障害者には病だけでなく、生活が「しずらい」ものにした。

・1961(昭和36)年改正
 措置入院費の国庫負担が2分の1から10分の8に引き上げられる。これが     入院医療優先の引き金となる。生活保護の適用を可能な限り排除し、措置    入院優先とした。

・精神病の治療法として向精神薬が導入された。

・行政は措置入院制度の強化に重点を置き、精神病障害者の長期隔離を助長した。

・入院患者を確保する事が第一だったので、患者の社会復帰に熱心なソ-シャルワーカーが「退院させすぎだ」という理由で解雇されたこともある。

・たくさんの人権侵害事件がおきる。
 1984(昭和59)年―宇都宮事件はあまりにも有名である。

・1985(昭和60)年
人権侵害事件に関する調査を行うために、NGO組織の国際法律家委員会(ICJ)と医学専門団体の国際保健専門職委員会(ICHP)が派遣される。

5.精神保健法  1987(昭和62)年~1993(平成5)年
・「入院中心の医療体制」から「地域ケア中心の体制」へということと「精神障害者の人権擁護」と「適正な精神科医療を確保する」ということからこの法が生まれた。

・1990(平成2)年  社会福祉法8法改正が行われる
 これにより市町村に福祉計画を義務つけ地域福祉の理念が明確になる。

欠格事項に対して、栄養士・調理師・製菓衛生士・けし栽培の資格が絶対的
から相対的に改められる。

・1995(平成7)年改正 「精神保健及び精神障害者の福祉に関する法律」という現;精神保健福祉法となる。

・この法の目標として、これまでの「医療及び保護」「社会復帰の促進」「国民の精神的健康の維持」に加え、「自立と社会参加の促進のための援助」という考えを加えた。

・2004(平成16)年 「心の健康問題の正しい理解のための普及啓発検討会」「精神病床等に関する検討会」「精神障害者の地域支援の在り方に関する検討会」の3つを合わせたものが『精神保健医療福祉の改革ビジョン』であり、それが「今後の   障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」となり、それを法制化したものが『障害者自立支援法』である。

・この精神保健福祉法ではじめて精神障害者が「障害者」として国は明確に位置つ
けをした。この法でいう精神障害者とは「統合失調症、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者」としている。

6.福祉法の流れ
・1940年代 福祉三法―児童福祉法、身体障害者福祉法、生活保護法
・1951(昭和26)年 福祉六法となる―老人福祉法、精神薄弱者福祉法、母子福祉法が追加される。
・1970年代半ば 福祉八法になる―身体障害者福祉法、知的障害者福祉法が追加される
・尚、精神保健福祉法は、独自性が強いということで福祉八法には含まれていない。

5月13日(水)
  10時から「共同作業所についての検討会」 
①大恐慌をプロレタリア革命へと転化すべき時代の到来の中で、共同作業所はどう闘うか?
②大恐慌―大失業時代、精神障害者は同じ労働者階級として革命以外に生きられない存在、
③共同作業所とは、民営化された自治体職場。民営化絶対反対と階級的団結を闘う水路として。破綻した民営化に絶対反対で「乗り込んだ」一種の自主管理闘争の実践。プロレタリア独裁への階梯。青年労働者を生み出す拠点。④障害者福祉の民営化=自立支援法は破綻している。
⑤絶対反対で闘うことの意味、
⑥四大産別決戦などなど、第一回の検討会。

   障害者解放  仁君     仁の部屋は、こちら
 いつだって仲間だったんだ。ドリフが野球で中止された時、あしたのジョーを見たときの激しい何かへの想い、50年代ロックンロールとの出会い、その直後に見たパンクロックへの傾倒と衝撃、ビートルズをコードだけで口ずさんだ時の喜び、身内の死からスタートした拒食、初めて手にした恋愛の終わりと一人ぼっちの自分、やせ細った体での力仕事、不思議な肉体を手に入れた! 数多くの賃労働により発病。

 病であがきながら乗ったバイク、薬無しで走ってみた第3京浜。たどりついたのは陽も沈んだ鎌倉、高波におぼれ笑った後に心して飲んだデパス、トライしてみた不動産業から逃げ出した夜、労働を棚上げして飛び込んだ作業所(街)での自分探し、俺って何だ?人間だ!

 フォークギターを手にし決別したバンド、そして創った唄「心病んでも」最後の賃労働の風俗業→入院→自傷行為…残ったのは50錠の薬と歩けない日々、退院後にしいられた父からの社会隔離、信じ支えてくれた女との出会い、彼女の元へと家を飛び出した2008年12・23日、家族を持ち再び作業所(街)へ!病者的ナルシズムからの脱却、同じ労働者階級との問いかけへのとまどい、車椅子で通ったデモ、そしてびっこで歩き出した!最低限の薬と蘇る力!ついに分かった!資本家からの分断策「障害者」!労働者階級として飛び込んだ法大闘争!スクラムでもちこたえた折れない心!支えあった未次元の力、仲間を奪われた怒りと涙!何もいらなかった…飯も、薬も、座る場所さえも!いくばくかの水と空気、立てるだけの場所、それだけでよかった。まして唄さえも!

 今後は資本により分断されてきた労働者階級のなかの障害者、その怒りと確信への恍惚と不安の2つ我にあり!とても怖い!だが不動の想いを!力を!魂を!それを手に入れた時僕は全ての障害者解放=全労働者解放=人間解放へと続き我が唄を労働者階級と共につづり唄うであろう!

できればこのうでにギターを!高らかなおたけびを!労働者階級としての誇りを!資本により分断されてきた全障害者諸拝、シュプレヒコール!我々は労働者だ!人間の源だ!血と肉と汗!
これが団結だ!                        

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